ヤクルトっておいしいよね(躁うつ病持ちの幼少期の記憶)
どうも、躁うつ病持ちです。双極性障害とも言いますが、もうめんどうなので自分の言いなれている躁うつ病で統一します。
先日書いた通り、少しずつ歩んできた道を書き残していきます。今回は幼少期の記録です。
まあ覚えてることなんて少なく、親から聞いたものが多いです。さらに本日は体調わるわるマンなので、今回は軽く書いて終わろうと思います。
●一人しかいない祖父母
父は普通に働き、母は専業主婦をしていました。これは普通ですが、祖父母は父方のほうしかいませんでした。
私が生まれた時点で母方の祖父は行方不明、祖母は死去していたため、おじいちゃんおばあちゃんは一人しかいないのが普通だと思って育ちました。クレヨンしんちゃんを何年も見続けているうちに、本来の家はおじいちゃんおばあちゃんが2人いるんだ。というのを知りました。
しかしそれ以外に特に変わったところはなく、祖父母には甘やかされ、私もそれに甘えていました。
私が小さかった頃は、祖父は一人で家を建てたりしていました。その現場に行き、廃材で遊んだ記憶がうっすらあります。祖母はヤクルトレディとして働いていたため、祖父母の家に行くと常にタフマンとヤクルトが置いてありました。それを祖母から貰い、飲むのが本当に嬉しかったです。
●ヤクルトのみで生きた数カ月(?)
これは母から聞いた話なのですが、どうやら小さいころ、ヤクルトしか飲まない。それ以外のものはほぼ口にしない。という生活を数カ月送っていたらしいです。まあ統合失調症持ちの母の証言なので本当なのか分かりませんが。
まあそんなことがあり、小学生までガリガリ体系だったらしいです(小さい頃の写真みるとそこまででもない気がしたのですが)。
この時点で好きなものは好き。それ以外は嫌!という性格だったのではないかと思います。
●一切勉強しようとしなかった幼少期
こどもちゃれんじという学習教材。多くの方は触れたのではないでしょうか。私はそれをやっていました。
といっても、私はそれについているビデオとふろく、絵本で遊び続ける。肝心の勉強部分の本は開きもしない。という感じでした。母に、「これやってみない?」とその本を渡されたときに「イヤ!」と拒絶したのははっきり覚えています。
この時点で勉強嫌いを発揮していたんだなと、今は思います。
それでもひらがな、カタカナ、時計の見方だけはなぜかゲーム感覚で学習していたため、小学校に上がるときには何も障害はなく入学しました。
●生まれ持っての勉強嫌いはあるのでは……?
これは今でも思っています。何かきっかけがあったわけではなく、何か理由があるわけでもなく、ただただ勉強が嫌い。というか好き嫌いが激しすぎるパターンがあるのではないかと思っています。
そしてこの性格は今になっても引きずり続けています。勉強は嫌いです。努力は嫌いです。でもやらなきゃいけない。なので頑張りに頑張りまくって、やっと沸いたほんの少しのやる気で非効率的に作業を行う。というのをやっている状態です。
●今とは違ったところ
まあ普通だと思いますが、明るい子供でした。どちらかというとやんちゃな子供で、毎日ギャーギャー騒ぎながら遊んでいました。
今では根暗な陰キャです。騒がしいのはそこまで得意ではありません。この性格は小学3年生になると少しずつ変化していきます。
また家庭環境ですが、当時は特に問題のない幸せな家庭、という感じだったのかなと思います。
と、幼少期の記憶はこんな程度です。さすがに参考になるようなものはありませんね。
こんな感じで、今後も記憶にあるものを片っ端から書いていく感じになると思います。読みにくくてすみません内容薄くてすみません。暇なときには覗きに来て修正し、読みやすくなるようにしていこうと思います。
ではでは今回はここまでです。
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