伝説の日本刀:(五)『真柄の大太刀』
日本刀の歴史で、南北朝期を中心に「大太刀」は数多く登場するが、実戦で熾烈な激闘を経験したと言われる伝説上の大太刀は、それ程多く無い。
日本刀の形状が古典的で優雅な平安・鎌倉期の「太刀姿」から大きく変化した最大の瞬間が南北朝時代だった。
戦乱の激化に伴い、敵を必要以上に威圧しようとする剛勇の武士達の感情の発露なのか、それまで、三尺(約90cm)以下だった太刀の長さが、争乱の頻発と共にドンドン長くなり、「延文貞治姿(えんぶんじょうじすがた)」と呼ばれる長大な4尺や5尺(約121~152cm)を超える大太刀が出現したのである。
現在、各地の神社や博物館に残っている大太刀の多くは、この時代に製作された遺品が多い。
しかし、刀身は武士の要求に従って、刀鍛冶の腕次第で、いくらでも長く出来たが、使用する侍達の腕力は、無限に成長するものでは無い以上、使用者の膂力の限界から、大太刀の長さも、早い時期に限定されたと思われる。
そんな背景もあって、あれ程、流行した大太刀も、戦国期には使用者が激減し、手軽な槍が戦場の主役に変わっている。
しかし、戦国期に大太刀を振るう豪傑が居なかった訳ではない。そんな中で最も有名なのが越前朝倉氏配下の豪族で、大太刀を自在に振るう大力と勇猛さで近隣に名を知られた強豪真柄十郎左衛門直隆だった。そして、十郎左衛門の振るう大太刀は、『真柄の大太刀』と呼ばれて恐れられたのである。
この大太刀が有名になったのは、戦国時代後期の元亀元(1570)年、戦場は、浅井氏の本拠地小谷城近くで起きた「姉川の合戦」での逸話である。
浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が姉川を挟んで対峙・激突した、この戦いは、浅井氏対織田氏、朝倉氏対徳川氏によって、激闘が繰り広げられているので、当然ながら、真柄氏の戦った相手は徳川勢ということになる。
この戦に真柄氏は父子共に出陣しており、父十郎左衛門直隆は「真柄の太郎太刀」と称する大太刀を、子の十郎三郎直基もまた、父同様の「真柄の次郎太刀」と称する大太刀を振るって奮戦している。
太郎太刀と次郎太刀の長さには諸説あるが、一説には、「太郎太刀」が長さ5尺3寸(約160cm)程、「次郎太刀」が長さ5尺に近い長さと伝えられているので、いずれにしても、父子共に、1.5m前後の長大な豪刀を振るって徳川勢を薙ぎ倒し、勇戦したのだった。
前半、徳川勢と互角に戦っていた朝倉勢だったが、中盤になると徳川勢に押され気味になり、剛勇真柄父子も父子離ればなれとなってしまい、孤独な戦いを繰り広げていたのだった。
しかし、周囲の朝倉勢が敗退する中、やがて孤立して戦っていた親子は、手傷を負い、次々と襲い掛かる徳川勢相手に守勢に立たされてしまったのである。
父十郎左衛門直隆と対戦したのは徳川家の臣匂坂(さきさか)三兄弟と郎党が総掛かりで斬り合って、匂坂の郎党が斬られた隙に、朝からの戦いに疲労の濃かった真柄を兄弟三人が押し包んで討ち取っている。
子の十郎三郎直基と行き会ったのが青木一重で関の孫六兼元の刀で対峙、遂に十郎三郎を討ち取り、これ以降、誉れの兼元は、「真柄斬り兼元」と呼ばれるようになった。
この兼元は長さ2尺3寸余(70.6cm)、反り5分(約1.5cm)の如何にも実用刀の時代らしい、扱いやすい寸法の名刀で戦前、重要美術品に認定されている。
「真柄斬り兼元」以上に驚きなのが、「真柄の大太刀」が今も残っていて、一般人が拝見出来る点である。場所は名古屋の熱田神宮である。
即ち、今日、熱田神宮に「真柄家伝来の大太刀」と称せられる長大な太刀が二振伝わっている。
姉川の戦い直後に奉納されたという「朱銘千代鶴国安」の太刀は、刃長166.7cm、反り1.5cmで南北朝時代の作とされている。もう一振りの「朱銘末之青江」の太刀は、更に長く、刃長221.5cmに及ぶ、こちらも南北朝時代の太刀と伝えられており、この巨大な大太刀を自由自在に振るって奮戦した勇姿を想像するだけで、一瞬、戦国時代の戦いを彷彿とさせる迫力を見る者に与えてくれる。
両方の太刀共に軽量化の為か、表裏に刀樋が彫られており、しかも、樋の中が朱漆で塗られているために、余計伝承の凄惨さを感じさせる。
さて、ここで、ちょっと気になるのが伝説の大太刀の長さよりも現存する「真柄の大太刀」の方が、更に、長い点である。朱銘千代鶴が5尺4寸強の長さなのは、まだ良いとして、朱銘末之青江の太刀が、7尺2寸を超えるのは如何であろうか?
こうなると、伝承の長さが誤りなのか、それとも朱銘末之青江の太刀の方が、真柄氏所用の太刀では無いかのどちらかになりそうだが、今日では追求のしようがない。
それ以上に、厄介なのは、「真柄の大太刀」が、他にも存在する点である。
加賀の白山比咩(ひめ)神社にも真柄の大太刀として伝わった6尺の長大な太刀があると聞くし、その他にも敦賀の気比神社に以前伝来されていた長刀の長さは、5尺5寸(約167cm)だったとも伝えられている。
このように、戦国時代から江戸時代に掛けて各地の神社に奉納された大太刀は多かったろうし、中でも大太刀で有名な真柄直隆父子の剛勇を忍んで、後に伝来が付加された大太刀も多かったと思われる。
真偽の分別も必要だが、各神社の伝承を大切にして、後世に伝えるのも日本文化の一部として貴重な気がするが、如何であろうか!
(参考文献)
1.『伝説の日本刀』 宝島社 2018
2.鈴木眞哉 『戦国時代の怪しい人たち』 平凡社新書 2008
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