アメリカでの日々、そしてヨーロッパへ
RAURAはアメリカ生活を振り返り、「演奏を研究するためのスタジオとエンジニア、住む場所も、提供されクリスタル シンギング ボウルの演奏だけに集中できる最高の環境。
クリスタル シンギング ボウルのことだけを考え、クリスタル シンギング ボウルのことしか話さず、クリスタル シンギング ボウル一色の生活だった」と語ります。クリスタル シンギング ボウル一色の生活が2年目を過ぎた頃、RAURAは「ここでできることは、やりきった」という思いを抱くようになります。
「このままでは、クリスタル シンギング ボウルに吸い込まれるのではないかという感覚に陥った」とも。クリスタル シンギング ボウルに魂を捧げるかのような日々を送ったことのある、RAURAならではの感覚でしょう。2013年、RAURAは、アメリカでの恵まれた環境に自ら別れを告げ、楽器を抱えてヨーロッパへ向かいます。
アメリカでの日々、そしてヨーロッパへ
ヨーロッパに活動の場を拡げてからもスイス、ドイツと拠点を移しながら、現地レーベルのアルバム参加、ファッションブランドとのコラボレーション、ニューヨークでの舞台出演など、幅広い分野で活動を続け2014年よりパリを拠点とします。
そんな、RAURAがアトリエを構えたのは、パリ・セーヌ川のほとり。クリスタル シンギング ボウル奏者としてアルバム制作や教会や劇場でのコンサート公演。フランスを中心に数多くのアーティストとの共同プロジェクトに携わるかたわら、アメリカでの研究を元に、世界初のクリスタル シンギング ボウルの教育研究機関『Crystal Resonance Institute』も設立します。
RAURAがパリを選んだのは「この国だったら、ありのままの自分として純粋に生き、生粋な音楽を創り出せるかもしれないという希望を感じた」から。
アーティストを尊重するパリの文化に守られたRAURAは、何にも邪魔されず、誰に遠慮することもなく、自由にクリスタル シンギング ボウルに向き合い、音を探し求め、Parisの美しい街並みの中で「RAURAの音」を作り上げています。
RAURAの音楽は、RAURA自身が今の時代を生きること、世界を旅することで心に見えてくる、浮かんでくる景色が、表現された心象風景。
そこに、RAURA自身がアメリカで活動していた時に楽器メーカーサポートのもと開発した「技術」と、フランスで育んできた「感性」、日本で生まれ育ったことで自然に身につけてきた「個性」 が融合された完全なオリジナルである。RAURAの音楽に心揺さぶられるのは、RAURAのメッセージの何かに、あなたの心が共鳴しているからかもしれません。