「アンネの日記」増補新訂版
アンネ・フランク著 深町眞理子訳 文藝春秋 2003年4月
「夜と霧」同様、ホロコースト関連ではやはり避けて通れないのが「アンネの日記」
これまで読んでこなかったのは、いくらホロコースト問題に興味があるとはいえ、思春期の女の子の日記であり、隠れ家での生活が延々と記述されているのを読むのは退屈なのではないか、という気がしたからです。
「アンネの日記」は実際にはオリジナルでも2つあり、一つは本来の意味での日記、もう一つは半ばまで書き始めてから亡命政府の放送で日記などの戦時中の記録を戦争が終わってからアーカイブに集めたい、との話を聞いたアンネが出版を目的として清書したもの、とのこと。
どちらも1冊の日記として纏まっているものではなくて、本体から分離したり、別の紙が添付されたりしているようで、また当然ながら1944年8月4日にゲシュタポに突然逮捕されたことから、不完全なまま残された。
一部にボールペンで書かれた箇所が存在することなどを理由に日記はアンネ本人が書いていない、といった風説が流布されるようなこともありましたが(今でもそういうことを言う輩は存在する)、ボールペンの箇所は父のオットーや出版に際して編集者などの第三者が記入した注釈やページ数の書き込み、初版で削除対象とされた箇所(後述)やプライバシーへの配慮による修正であること、オリジナルの筆跡はアンネのものであることが確認されていることから、真贋論争は決着したものとされています。
今回読んだ「増補新訂版」は最初の出版の際にオットーが母や同居人に対する辛辣な表現で批判した部分や性に対する記述を削除した部分を復活させたものに、1998年になって新たに発見された5ページ分を追加し、細部の記述の校訂を改めて行ったもの、とのこと。
本文だけで570ページほどもあるボリュームで、アンネが日々感じたことを素直に書き記しているということで、一度に長時間読み続けるのはなかなか辛いものがあります。
できれば1日分か数日分を長期間に渡って読むのが良いのではないかと思います。
日記の最初の日付は1942年6月12日。
父のオットーから誕生日に日記帳を貰ったことからイマジナリーフレンドとしての“キティー”宛ての手紙という形で書き始めた。
最初は学校生活の様子や級友の寸評など、普通の女の子の日記。
約一月後の7月9日に迫害を逃れるために隠れ家に移動。
それから逮捕されるまで2年と一月弱を隠れ家の中だけで過ごした。
隠れ家はオットーの会社の奥にある棟続きの離れで、入り口を本棚で塞いで行き止まりのように偽装された。
隠れ家にはアンネの両親と姉のマルゴー、それともう一つの一家であるファン・ダーン(仮名)一家(ファン・ダーン氏の息子がペーター)、のちに歯科医のデュッセルさん(これも仮名)が入る。
日記の登場人物はこの他に隠れ家に匿う人に補給や連絡を行うために行き来するミープやベップ(この二人の女性はなぜか呼び捨て)、クレイマンさん、クーフレルさんといった協力者。
アンネの世界はこの隠れ家の中だけで完結してしまったので、いきおい日記の内容は上記の登場人物中心にならざるを得ない。
映画『ジョジョ・ラビット』のエルサに比べると隠れ家のスペースは大変恵まれているといえますが、そこから一歩も出ないとなると、さすがにさまざまな軋轢が生まれるのは当然というべきでしょう。
日記は次第にファン・ダーン家の両親とデュッセルさんへの辛辣な批判、そしてお母さんへの不満が増えていく。
いきなり完全版を読んだので、オットーが削除した具体的な部分については分からないのですが、確かに批判は辛辣で、当然のことながら相手の反論の余地もなく糾弾されていく記述には当惑してしまうのです。
本当にそうだったかもしれず、アンネの気性が相手と合わなかったのかもしれず、実際のところがどうだったか知る由もないのですが、こうしたところに一切の手加減もなく書いてしまうところが、この年頃らしいところでしょう。
母親への辛辣さは家族であるためか更に厳しく、板挟みになったであろうオットーやマルゴー、更に娘から反発される母親の心中を思うといたたまれなくなってきます。
辛辣に批判した後に、反省と後悔の記述がある素直さも見られますが、やはり極限状態とはいえ、精神的にまだ不安定で大人になりきっていないところが、年齢なりに等身大の姿がそのまま映し出されているのでした。
全体にこうした記述が多い(概ね半分くらいかそれ以上)のですが、それに加えて予想以上に多いのが時事問題についての記述。
会社が終業後にラジオを聞くことが出来た関係で、オランダ向けBBCの放送は良く聞いていたようで、反攻作戦の開始時期への待望や、ナチスに対する敵意、またユダヤ人のおかれた社会的状況など、こうした面での記述は既に大人と同等と思える聡明さを見せます。
Dデイの当日やヒトラー暗殺未遂事件などの書き込みの興奮ぶりは、閉塞状況の打破への期待の大きさが窺え、解放される日が近いかもしれない、という希望が心の支えとなっていたことを思うと、それが叶わなかったアンネの悲劇が殊更重く感じられるのでした。
また、日記の後半に次第に増えてくるペーターへの思慕。
更に性への目覚めというような無防備な記述・・・
齢50代半ばのおっさんが読むには刺激が強すぎ、軽く眩暈がしてくるのでした。
全体を通して読むと、その記述は紛れもなく13-15歳の少女の心の軌跡を綴った日記であり、大人の第三者がこれを書けるとは到底思えない。
偽書などと主張する輩こそ、この完全版を完読し、その真贋を確認してみるといい。
2年のうちに、アンネの心に成長の跡が窺え、同居人への批判の中にも自身への反省や他人の心中を思う気持ちが芽生えるなど変化が見えてきます。
そうした中で隠れ家の変わらぬ日常と思いを綴った日記が突然終わる(1944年8月1日分まで)唐突感は、2年分の日記を通して読むと、なおのことはっきりと感じます。
隠れ家の中にあって、外のユダヤ人がどのような扱いを受けていたのか、強制連行された人々の運命がどうなったのか、BBCを聞いていたアンネたちは今日我々が知っている事実とほぼ同様の、ユダヤ人の過酷な運命を知っており、実際に逮捕後オットー以外の7人ともが収容所で死亡したという事実は、アンネたちにとってどれほど絶望的で無念な運命であったことか。
あとがきにはアンネたちのその後の運命が簡潔に記されており、またネットで検索することで、より詳しいその後についても知ることができるわけですが、数百万のユダヤ人たちが同様の運命を辿ったという事実の重さが、日記を読み終えた後も改めてのしかかってくるのでした。