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「ホロコーストを知らなかったという嘘 ドイツ市民はどこまで知っていたのか」
フランク・バヨール/ディータァ・ポール著 中村浩平訳 現代書館 2011年4月
ブルンヒルデ・ポムゼルがホロコーストのことを知らなかった、という点について書籍版の著者(=解説者)は非常に強い疑念を呈していましたが、こちらの書籍にも触れられている戦後まもなくの1946年に行われた調査結果によれば、ドイツ国民の40%から32%が何らかの形でホロコーストを知っていた、とのこと。
この書籍は二人の著者による共著ですが、本文は前後2編に分かれていて、第1部がナチスが政権に就いた1930年台から戦時中のドイツ国内における反ユダヤ主義の浸透とそれに関わったナチスとそれ以外の組織と人々、その社会的認知度についての考察、第2部が海外におけるナチス政権の犯罪行為の認知とドイツの関係機関の対応についての考察となっています。
第1部ではナチスが政権に就いてから、それまで市井の人々の一部で横行していた反ユダヤ主義が政府の政策となることで、ナチスという1政党の運動から国家的事業に昇格し、それに関わった政府機関や民間企業などに所属するさまざまなドイツ国民が当初は反ユダヤ主義、戦時中はホロコーストそのものに業務として関わった、という事実を明らかにしています。
これは軍関係者(SS・国防軍如何に関わらず)が直接的に現場で知り得た事実や、国鉄や警察、地方自治体を含む政府機関、強制労働に関わった民間企業、没収されたユダヤ人の家財道具などの資産を供与された一般市民に至るまで、実にさまざまな階層や職業の人々が関与することで、直接・間接的にホロコーストが行われた事実を知る機会があった、としています。
またヒトラーやゲッベルス、地方管区の長官などの枢要な地位に居た人物の演説記録から、数百万のユダヤ人が1942年から43年頃にかけて既に「存在していない」と実際の数字を挙げて発表している事実(戦後に明らかになったのではなく、戦時中にそれが国内向けに発表されているという事実)などを採り上げています。
今ほど情報の拡散や整理がスムーズに行われていない時代という点を意識しないわけにはいきませんが、想像以上にさまざまなところからユダヤ人の大量虐殺についての情報が漏れ伝わっていたということが分かります。
第2部では、ホロコーストが行われているという事実がどのように海外に浸透し、それが世界中の知るところとなったのか、という点を明らかにしていきますが、最初はやはりポーランドからソ連というルートでの情報と、ドイツ政府・軍の通信の傍受による主に英国の暗号解読による情報の流れがあったとのこと。
当初英国がエニグマの暗号解読を秘密にしておく必要から知り得た情報を開示していなかったが、ソ連からの情報が明らかになるにつれ、出所をボカしつつホロコーストについて情報発信をするようになったとのこと。
興味深いのはそれらの海外での情報をドイツの外務省は在外公館を通じて積極的に情報収集し、本国に報告していたというところ。これにより、外務省や宣伝省などでは海外に広まったホロコーストの情報について広範に知る得る立場にあった、とのこと。
ますますポムゼルがホロコーストについて何も知らなかったとは信じ難くなっていきます。
「ゲッベルスと私」の書籍版の解説者が非常に強い疑念を表明しているのも頷けます。
冒頭に挙げた1946年のホロコーストについてのドイツ国民への調査については、口頭での質問と回答という比較的曖昧な形でのインタビューであること、また知っていたと答えた人々がその具体的内容についてどの程度まで知っていたのか、という点については何も記録が残っていない点を挙げて、統計的調査としては非常に曖昧で誤差が非常に大きく出る可能性を指摘し、40-32%という数字についてはブレ幅が大きい点を留意する必要がある旨指摘していますが、書籍全体で具体的に挙げられている非常に広範で膨大な関係組織の従事者のボリュームからして、40%という数字はともかく、ドイツ国内では戦時中からユダヤ人が大量に抹殺されていた事実を知り得た人は今日私などが想像するよりも非常に多かったとの印象は拭えません。
この本では関わったドイツ国民の心理的背景についても詳述しており、ナチス政権獲得前については19世紀から第1次大戦前後に拡大したドイツの右翼勢力による反ユダヤ活動に一定の支持者がおり、それが第1次大戦後に急拡大した(ワイマール体制の矛盾と抑圧意識の反動と軌を一にしているのでしょう)、このことは直接間接的にナチスの政権獲得の非常に大きな後押しとなったのであろうことは容易に想像ができます。
ナチス政権初期においてはヒトラーの政策そのものの成功から反ユダヤ的政策への反発は公には少なくなったこと、またそれによってユダヤ人資産の没収と再配分によって直接的利益を得た人々が更に反ユダヤ政策の後押しをしたこと、それが戦争初期の勝利までの間に増幅することで、国家的事業として国民的コンセンサスを得たことが語られています。
この後、1941年冬のモスクワ前面での停滞からスターリングラードの敗北に繋がる転換期に勝利への確信が揺らぎ始めると、万一に戦争に負けた場合、ユダヤ人の抹殺に関与したものは処罰されるという意識に転換が起き始めた、とのこと。
これは「勝利によってしかユダヤ人の抹殺は正当化され得ない」とするゲッベルスの日記や、同様のことが述べられた報告書などに記載がみられる。
また1943年以降、勝利の可能性がなくなり、敗北が現実に迫りつつある中では、連合軍の都市爆撃はユダヤ人を抹殺したドイツ人への報復であり天罰であるとの空気が市民の間に支配的なものとなってきた。
戦争末期になるに従い、ナチス以外の機関でホロコーストに従事した者はその原因をナチスと親衛隊に矮小化する動きが見え始め、これは戦後もそのまま温存された、とのこと。
なるほど、戦後「反省した」とするドイツであっても、その当事者については自己保身と合理化による正当化は人間の本質的弱さとしてむべなるかな、という気がします。
比較的薄い本であり、市民の心理的変化については実例として挙げている内容のみで断定的とするのは少々ご都合主義の罠に嵌る恐れもないとは言えませんが、少なくとも、ホロコーストに関与した人々が想像以上に広範囲に存在し、それを知り得た人々も少なからず居た、ということは確かであろうと思われます。
40%という数字が仮に本当であった場合、国民の半分近い人々はホロコーストについて何らかの情報を得ており、30%としても3人に1人というかなり高い比率で事実を知り得たとなると、改めて国家的犯罪が行われるに至るプロセスが容易に回避困難なものなのか、愕然とするところでもあり、その端緒となり得る些細な変化でも注意していくことの重要さを痛感するものです。
トランプの台頭などポピュリズムに席捲される時代に生きる今、それは既に手遅れでなければ良いが、と思わずには居られません。