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『闇の奥』と『闇の奥の奥』

『闇の奥』
ジョゼフ・コンラッド著 藤永茂訳 三交社刊 2016年4月

『「闇の奥」の奥: コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷』
藤永茂著 三交社刊 2016年12月

『闇の奥(Heart Of Darkness)』は映画『地獄の黙示録』の原作にあたるジョゼフ・コンラッドの小説で、1900年頃のコンゴの奥地で象牙を集める貿易会社の代理人が現地人を支配下に置き、王のごとく振舞っているらしい・・・という物語。

物語は現地から帰還したマーロウという男が当時の回想をテムズ河に浮かぶ船の上で仲間に聴かせる、というスタイル。
問題の代理人の名前はクルツといい、綴りはKurtzなのでそのまんまカーツ大佐と繋がるほか、河を遡上して彼の王国に至るというプロット、王国の領域に差し掛かると川岸から多量の矢に襲われるところ、クルツの崇拝者として口数の多いロシア人青年が登場するところなど、確かに根幹部分で『地獄の黙示録』と共通するところがあります。
マーロウは物語のかなり後の方でクルツと対面することになりますが、そこでは『地獄の黙示録』のカーツのように強烈な独白を続けるということはせず、僅かな会話をするのみ。
しかし、マーロウはそのときにクルツから尋常ならざるカリスマ、非常に高い知性と同時に恐怖、崇拝に近い共感を覚えるのです。
実際のところ、クルツのこうした神秘性については原作の中でもごくわずかしか触れられておらず、狂気に相当する明確な描写も家の周りの塀に人の頭部が据えられていた、との記述がある程度(まあ、それだけでも確かに狂気を語るには充分ともいえますが)。
マーロウがクルツの元に行くことになった経緯についても、クルツが象牙の収奪に関して強引な方法を行っていることを知った会社の上層部の意向からクルツを任地から戻すという目的があることを窺わせる描写はありますが、マーロウが直接それを担当するように指示を受けたという描写はありません。
クルツはコンゴの奥地で病に侵され、不本意ながら帰還することになり、その床のなかで"The horror! The horror!"とつぶやく・・・このセリフはもちろんカーツと同じ。

こうして『闇の奥』を読むと、『地獄の黙示録』ではカーツの狂気を強調する描写としてウィラードと会ってから、長く、あまり脈絡のない独白を続けて正気を失ったさまを描くことで、原作でははっきりと描写されないクルツの狂気を、より分かりやすく描いているわけです。
『地獄の黙示録』を先に知っているからこそ、クルツの狂気はすんなり受け入れられますが、原作を先に読んでいたら、果たしてクルツの狂気、その源、正気を失った理由、といったものが素直に理解できたかどうかは、少々心許ないものがあります。
『闇の奥』ではヨーロッパに帰還したマーロウがクルツの婚約者に会いに行く描写がありますが、婚約者はクルツがコンゴの奥地で狂気に囚われたことを知らず、それまでの知的で思慮深く、誰もが魅力的に感じるクルツの印象を語るのみです。

一方で、この物語の根幹をただ漠然と未開の地であるアフリカ=野蛮で野生のままの「暗黒大陸」の最深部・・・と捉えようとするのはイメージとしては実に簡単なのですが、これは大きな誤りです。

『闇の奥』を読むにあたり、三交社刊・藤永茂訳を読みましたが、本文の後に60ページに亘って注釈がつけられており、また過去の訳との相違を列記していて、最も大きな違いとしてビールの美味い「白く塗った墓をいつも連想させる都市」を旧訳ではパリのこととしているが、これはブリュッセルの間違いとのこと。時代背景や物語の前後関係からしても確かにこれはブリュッセルに違いなく、以前の訳者の確認不足か知識不足と言われても仕方ないところです。
この藤永という人はあとがきで当時のコンゴを巡る世界情勢と欧米人主導の驕りについて非常に手厳しい批判を加えており、なかなか読み応えがありました。
藤永氏はこのあとがきを書いたあとに、コンゴを巡る動きとヨーロッパ人の未開の地を開拓する白人の驕りについて、内容をそのまま拡大する形で『闇の奥の奥』という本を書いていることが分かりました。

当時(1900年前後)のコンゴはベルギー国王レオポルド2世の“私有地”となっていて、国際的には「コンゴ自由国」と呼ばれて、19世紀の後半には一応奴隷制の廃止されていたアフリカ植民地と比べて私有地であることから最も過酷な搾取と支配がまかり通っていたとのこと。
「コンゴ自由国」で検索するとその驚くべき実態が良くわかるのですが、そのうち最もセンセーショナルなエピソードとして、ゴムの生産を現地人に行わせ、ノルマに達しないと手首を斬り落とす、というもの。
『地獄の黙示録』でカーツがベトコンの強靭さに驚愕したエピソードとして語る、“アメリカ側が予防接種をした子供の腕をベトコンが斬り落とした”の元ネタはこのことだろうとのこと。(伝聞としてそういう話を聞いたという話は記載されていますが、実際にベトコンが子供の腕を斬り落としたという事実はないようです)
カーツはそのことがきっかけで純粋な意思の元に行う行為が倫理的な壁を簡単に超越することに心酔し、狂気へ傾斜していったわけですが、なるほど、そのあたりに元ネタがあるのもさもありなん、という気はします。

『闇の奥の奥』ではコンゴ自由国がレオポルド2世の私有地となった経緯、英国をはじめとする植民地運営の“先輩”が植民地主義への風当たりや新参のベルギーに対する勢力争いの側面からコンゴ自由国をベルギーの正式な植民地として「正しく」統治するように圧力を加え、1908年にコンゴはベルギーの植民地となった経緯を詳述していきます。
この中でコンゴに対する圧制を告発した欧米の著名人や英国の植民地政策の権化ともいうべきセシル・ローズといった人々を例に挙げ、植民地支配や未開人の搾取の根源には「”The White Man's Burden”=白人の重荷(重荷は藤永氏の表記、Burdenは責務とするのが収まりが良い気がします)」というラジャード・キプリング(これも藤永氏の表記、ウィキベディアではラドヤード・キップリングJoseph Rudyard Kipling)の詩句があるとのこと。
この人はどうやら帝国主義の精神的支柱と捉えられる人物で、それだけでも大変興味深い人物ですが、要するに「白人の重荷」とは、未開の原住民に文明の光と教育によって啓蒙し、そこから向けられる憎悪や敵意に臆することなく開拓を推し進めなければならない、というもの。
大まかな概念としては良く知られた話ですが、掲載された全文を読むと戦慄を覚えるほどのインパクトがあります。
一応指摘しておきますが、この詩句は白人のみならず帝国主義全般にも当て嵌まるもので、「八紘一宇」だの「大東亜共栄圏」だの言っていたこの国もまったく同じ論理で周辺国を支配していたことをお忘れなく。
確かに過去数百年からイラク戦争に至るまで、今日今そこにある欧米と非欧米勢力の対立の根本にある精神的支柱の根源は確かにこうした欧米人の驕りにあると確信せざるを得ないわけです。

ちなみに映画『シャイニング』においてもこの”The White Man's Burden”が出て来る場面があります。
バーでジャックが最初にロイドと会い、ロイドが酒を出す場面。
酒を出されたジャックがロイドに向かってのセリフ、ブルーレイでは「酒は白人の呪いだ。インディアンは知らん。」となっていますが、NHK-BSでは「“白人の責務”ってやつを果たすわけだ。」となっています。
オリジナルのセリフにはインディアン云々は含まれておらず、The White Man's Burdenははっきりと聞き取れるので、ここはNHKの訳の方がオリジナルに近いというか、正しい。
要するに、インディアンをはじめとする未開人に西欧文明の恩恵をもたらすのは「白人の責務」である、という、植民地主義的西欧支配の思想的根拠(=免罪符)として使われた言葉なのでした。
インディアンは酒を飲まないので、酒を飲むことは西欧文明を背負う白人としての責任である=酒を飲むことを正当化する、というニュアンスでジャックが発言しているわけです。

話を『闇の奥の奥』に戻すと、藤永氏は例のアイヒマン裁判の評論で有名なハンナ・アーレントですら、その欧米人の枠内からはみ出ていないことを指摘しています。
ドイツ系のユダヤ人であるアーレントはナチスの悪の根源や人の中にある全体主義と帝国主義について考察しておきながら、レオポルド2世のコンゴ支配は植民地支配の観点からして例外的事象であり、植民地主義を論じるときに同列に扱うことはできない、と主張しているとのこと。
これは藤永氏が怒るのも当然で、コンゴにおけるゴムと象牙の利益収奪の仕組みは国家が行うものと国王の私有地で国王個人が行うものとではなんら違いがないばかりか、「アフリカ奥地の暗黒大陸そのものが欧米人を狂わせた」とする先に記したような漠然としたイメージから喚起される都合の良い解釈と変わらないものです。
ボーア戦争やセシル・ローズのアフリカ支配などの例をみても、アフリカに行った欧米人がその魔性に触れて狂暴化するなどということは確かに妄想以外の何物でもないでしょう。
アーレントですら、その欧米的価値観の中から抜け出せずにいたことはある意味ショックであるのと同時に、問題の根の深さを実感するわけです。

『闇の奥』のなかで、英国人であるマーロウはコンゴでの経営があまり上手くいっていないとし、それと対照的に英国の植民地支配は上手くやっていると指摘する場面があります。
コンラッドがクルツの狂気について文学的意味合いからその原因を明確にしていないと考えることもできますが、マーロウのこの物言いから察するに、ここでもアーレントと同じくコンラッドもまたコンゴは普通の植民地とは異なる事情があると認識していたことの傍証になると思われます。
また、1900年前後というコンゴ自由国がまさにその収奪のシステムがいちばん大きく機能しているときに書かれた『闇の奥』にコンゴ自由国はおろかベルギーだのレオポルド2世だのといった言葉がまったく出てこないのも、コンラッドの微妙な立ち位置を暗示しているともいえなくないでしょう。

カーツの狂気の源が物語の上でのベトコンの強靭な意思に衝き動かされたということは出来ても、クルツの狂気については安易にその源を“未開の地=アフリカ”に由来するように結論付けるのは難しいとしなければならないと思います。
なんとなくアフリカという神秘に満ちた世界に飲み込まれたという幻想に浸りたくなるのは確かですが、仮にそうだとしても、それはあくまでクルツ個人の身に起きたこととして限定して考えなければならないのではないかと考えます。

この物語(=『闇の奥』)の奥の奥を覗くことはカーツやクルツが未開の地の奥で迷い込んだ迷宮に似て、非常に見通しづらい世界なのだろう、と、そう実感したのでした。

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