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「愛」ってなんだろう?

おばんです。
この8月はとてもとても暑い日が続いておりました。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
電気代は爆上がるのかと思ったけど、そうでもなかったみたいです。

さて、読む前に注意事項をば、説明させてください。
今回は「愛」とはなんだという考察記事でございます。
久々の考察記事ですので、なんだか新鮮な気持ちと複雑な気持ちでいっぱいの遠隔殿ですよ。
「どうせ、空の写真とかあげてポエミーなことを書くんだろ?」
「重すぎるくない?テーマが重い!メンヘラか!」
いや、大正解です。心の病気も持ってなけりゃ、空の写真でもないですが、僕だってさそり座の乙女だし、生理近いから感情的だし、ロマンチストの年頃ですもの。
またポエミーな遠隔でお送りしようと思っていたので、感づいた貴方は「何をそんな偉そうに」と思う方も非常に多いはずです。
そんな方は基本的にブラウザバックをお勧めします。よろしくお願いします。

では、ごゆっくり。


さて、常日頃から、「愛」って何だろうなって思います。
家族愛・友情の愛・性愛・主従の愛、本当にいろいろあると思います。
この国中、合わせて「愛」って何種類あるんだろうなとか、「愛」のはじまりはどっからなんだろうとか。
それを思わせてくれたのは1冊の写真集でした。

桑島智輝 「我我」

この写真集は写真家である、桑島智輝氏とその妻、安達祐実の出産から芸能界復帰までを写真で納めた写真集です。

そこには夫婦である「愛」の形があって、たまにの喧嘩と安達祐実の笑顔の写真は、年齢適齢期の僕には、もうそれはそれは大嫉妬でしかなりませんし、初見の感想は「2度と見るかこんなリア充本」と平気にソファに投げつけていたくらいなので、されど大きな印象はあたえなかったです。

しかし、女友達との口論で少し考える機会がありました。それは友人の恋愛相談でした。
とある日の夜、友人が泣きながら電話をかけてきたのでどうしたのかと聞くと
「私にはけっこう上の彼氏がいるの。とんでもなく、好きだったから、ちょっとだけ束縛?みたいなことをしちゃって、でもわけわからずに「別れよう」って。わたしどうすればよかったの?」
彼女はかなり感情的になっていました。
突然の別れの原因も彼女に聞いてもわからず、運よくその友人の彼氏とも共通で知り合いだったので、彼の意見を聞いてみました。
彼は最初、何も言わず、「俺が悪いでいいんだよ。」と言っていたのですが、それでは理由にならないだろうといったところ、重い口を開き、話しました。
「あいつは、僕じゃなくていいんだよ。2か月付き合ってみたけれど、本当に自分本位なんだよ。最初は好きでいたけれど、僕じゃなくて「彼氏」というアクセサリーが欲しいのだと思う。」
それは、僕でも感じるところがありました。
彼女の性格は、少し幼稚なところがあり、話を聞いてもらえればそれだけでいい。相手の意見を素直に聞けないところや自分本位なところなど彼が言っている「アクセサリー」にあたるといったところがなんとなく教官できました。彼はうつむいていました。
「別れて正解だったのかな。俺が悪いんでいいんだよ。」
僕は首を突っ込むのはよそうと思ってはいましたが、
あまりにも彼女の愚痴がすごいものですから、すこし彼女に言ってみることにしました。
「気分を悪くしてしまったら、ごめん。
友人としての立場で僕は言うね。
多分、君は、自分本位の性格と少し幼稚なところがある。それは、いいところもあり、悪いところもあって、友人の僕にはもうそのキャラだと思っているから、付き合いきれるけど、彼氏はどうだろうか?彼氏は幸せだったのかな。もっとそこを考えるべきだったんじゃないかな。彼氏は君のこと、だいぶ考えていたはずだよ。相手の話、もっと素直に聞くべきだったんじゃないのかな。」と言いました。
僕は素直な意見で間違いはないと思っていたので、友人は考え直してくれると思っていたのです。
しかし、結果は意外でした。
「なんでそんなこと平気で言えるの?そうやって、いつも見下して何がたのしいの?何?慰めのつもり?私は彼を愛していたし、あなたは何もわからないくせにいちいち首突っ込んでこないで。マジで不快。」
と。
それを聞いた私もなにかスイッチがはいったのかわかりませんが、声を大きくしていいました。
「あんたこそ何にも知らないんだよ。あんたの彼氏はあんたより十分愛していた。それでもあんたのことを悪く思わないでって言った僕の気持ち、なんだって思ってるの?そっちこそ何様だよ、どうせあんたは「彼氏」をアクセサリーにしているんだろ?そうやって毎回愚痴ばっかり言って、「ありがとう」の一つもないんだね。何?僕はお前の裏垢のつぶやき?ツイッターだと思ってんの?だったら自分で彼氏の気持ち聞いてくれば?本当にダサいし、重い。なんもわからずに付き合って申し訳ないと1mmも思わないなら、もう一生誰からも愛されないね。」

今はもう仲直りした口論でしたが、彼女に当てた言葉の傷は一生ものだと思います。後日、謝まりましたが彼女はうつむいたままでした。「なんだろう。愛ってね。」彼女とは少し疎遠になりました。僕の言葉が悪かったと思います。怒鳴ってしまったこと、彼女自身の意見を聞かなかったこと。そしてなにより彼女の愛を否定してしまったこと。

当時の僕には、彼氏と別れたてで、同時にコロナにかかったり、転職を考えたり、彼氏との寂しさを埋め合わすためのはけ口として吐き出してしまったのではないかと思っていたのですが、なんだかシンプルに考えると相談した友人と同じような事をしていたと思います。彼氏に慰められた言葉やスキンシップを否定していたことは事実ですし、人のことなんか言えないのに。と反省の気持ちでいっぱいでした。


僕は考えました。なぜ相手を思いやれないのだろう?なぜ自分本位に動いてしまったのだろうか。

僕はまたあの写真集を引っ張り出して読み返えしてみたのです。読み終えると、そこにはなんだか不思議な感じがして仕方がなかったのです。なんで、そんなうれしそうな顔ができるの?喧嘩をしても夫婦こその「愛」がそこに映っていている。僕はやはりあの写真集を見ても「愛」が何なのかを感じきれなかったのです。しかしその写真集ではとっても暖かくて懐かしい匂いがしたのです。

「愛」ってなんだろうか?

自問自答をしたときにまっすぐに浮かんだのは、まぎれもなく異性のことばかりでした。
だから僕は愛を探しに、男と会いに行きました。別れた彼氏との寂しさを埋め合わすための器として、またそれは儚いものだと思って。不特定多数の男性はそうそう簡単に「愛」をくれやしませんでしたが、たまにヒントを出してくれました。

「愛」ってね、見返りがないものなんだよ。

「愛」はセックスなんだよ。

「愛」ってね、自分が犠牲になっていてもその人に命をあずけられるようなものなんだよ。

「愛」ってね、ちょっとだけ大盛のおかずを相手にあげることなんだよ。

男はそういうと、僕を抱きしめてくれました。
これも「愛」なのかと聞くと「遠隔さんが「愛だな」と思えばもうそれは「愛」でいいんじゃないかな。俺ら男にはわからんけどね。」とそういって、僕にキスをしました。

寂しさの器である「男」を僕は聞いていくうちに写真を撮っていました。空気感・距離感を大切にして映ってくれた男性はもう軽く50人くらいは超えていたのではないでしょうか?愛のカタチは様々で、人の形も様々である。ここまでは知りました。ただ今執筆してもなお、「愛」ってなんだろうか?と思います。愛ってセックスだけなんだろうか。キスをしてくれたことなんだろうか。あの友人に言った言葉なんだろうか。そして、貴方を思うことなんだろうかと。

では、皆さんに聞きます。
「愛」ってなんだろう?

その答えを分かつ日まで。

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