私が『Free!』にハマった理由。仲間ってこうだ!と思わせてくれた名作

大人気水泳アニメ『Free!』ですが、本来なら私が好きになる要素はほぼゼロでした。絵も上手いとは思うけど好きなタイプじゃないし、ニアBLはだるい。水泳にも男の裸にも特別な興味はない。

にもかかわらず、そんな私が、しかも1度は挫折したにもかかわらず、それでも回を追うごとにハマり最終的にそうか!そうなんだー!!と感動するに至ったのはなぜか。その最大の理由は、結局キャラクターなんだと思います。

『Free!』って、キャラクター描写が丁寧すぎない!?

物語って、そこに人間が生きていて、行動で示してくれるからテーマが心に響くんじゃないでしょうか。

『Free!』のテーマは、おそらく「仲間」です。二流三流の物語なら、水泳部に個性豊かなキャラクターが集まって協力してその結果勝ちましたよと、これが仲間だ!めでたしめでたし…なんてことも少なくありません。でもね、『Free!』は、そう単純には済ませないところが巧みなんです。

まず水泳部に、個性豊かな仲間が集まる。この個性とは、クールだのツンデレだのオカンだの、そういう属性のことではありません。キャラクターにはそれぞれ、行動原理があります。大事なものや譲れないものがみんな違うのですから、それは行動に表れるはずです。

『Free!』はそこが揺るがない。ほんの細かな描写まで、キャラクターの個性を大事にする。そこが好き。大好き。

第1期3・4Frを例にして説明しましょう。岩鳶水泳部4人目の男・竜ヶ崎怜が登場してからバタフライを習得するまでのエピソードです。

まず怜を見つけ出したのは渚でした。遙・真琴(・凛)たちより1つ下の、愛され末っ子キャラ。しかしその純粋さゆえに押しが強く、まっすぐに好意を伝えて怜を仮入部にまでこぎつけます。

それでもまだ一歩踏み込めずにいた怜を、水泳の世界に引き込んだのは、水との一体感だけを追求する孤高の天才スイマー・遙。遙は渚とは正反対といえる役割です。何も語らず、働きかけず、ただその泳ぎで怜の心を動かしました。

そしてようやく本入部した怜に世話を焼くのは真琴の役目です。全体のまとめ役であり、細やかなフォローが得意な真琴は、カナヅチだった怜の特訓も率先して行いました。特訓は実を結びませんでしたが、怜が水泳部の仲間になれたのは、彼の自然な誘導があったからではないでしょうか。

バック、ブレ、フリー(クロール)と、どの泳法も全滅だった怜。しかし遙は、理論にこだわる彼にフリーという概念を与えます。それによって何かをつかんだのか、怜は何と第4の泳法であるバタフライを習得するのでした。

これがもしですね、怜ちゃんが3つの泳法に失敗して挫折しかけて、3人(+江)が手を差し伸べて「大丈夫。みんながいるよ」とでも言おうもんなら、一体それの何が面白いのかと! それでああ、仲間っていいなーってなるわけあるかと! 何それ小学校の卒業式か? いいともの客か? 数の暴力か!? …すみません。取り乱しました。

遙、真琴、渚の怜との関係はそれぞれ違います。まっすぐな好意で陥落したり、細やかなフォローをしたり、実力で魅せたり。そうやってそれぞれできることが違うからこそ、4人が仲間たる価値があるのではないでしょうか。

今回は怜を中心に読み解きましたが、『Free!』は本当に、それぞれみんな違う関係性を築いています。それによって、「仲間」というテーマに厚みと深みが出るのです。

さらに言えば遙がいつになく怜の特訓に加わったのは、前日の凛との衝突があったからで…。それも遙と凛だけの関係で、この2人を軸として仲間のあり方が多角的に描かれます。

かつての仲間たちが再結成するだけじゃない。キャラクターにはそれぞれ思うところがあり、背負うものがあり、過去の傷もある。しかし個々が様々な形で触れ合うことで、お互いを大切に思えるようになる。そうやってひとつになって、それが仲間じゃない?っていうお話。それが『Free!』です。多分ね。

第1期のラストは賛否両論ありますが、私はそうやってすべてがひとつのテーマに収束するのが好きだなー。


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