幼児期の課題と父

長い記事になってしまった。

加藤諦三さんが、
「人はそれぞれの成長段階に応じて課題があって、その課題が未解決のままになると、
後になってその課題が噴出する」
理論を話していた。

究極に真実かどうかわからないけど、
父や自分を見ていると、
体感ではたしかにそうだと感じる。

父は幼少期、
戦中生まれの自分の祖父母に育てられたわけだけど、
祖父母は食事だとか旅行だとか、
買い物とか

そういう物質的な贅沢を父にあまり許してくれなかった。
経済的な理由もあったけど、
嫌いなご飯を少し残したら怒られたり、
旅行に連れて行ってもらえなかったり、
欲しいものを買ってもらえなかったり、
とにかく厳しい時代に育った人間の教育というか、
何かと厳しくされた、
愛とか、ありのままで受け入れてもらえるとか、気持ちを打ち明けさせてもらえるとか、
そういう雰囲気とは真逆の、
戦場みたいな雰囲気だったようだ。
それが父からすると
辛く惨めな体験だったようで、
それで父は旅行とか食事とか、
自分の子どもにはそれなりに贅沢できるように
してあげたい、
旅行とかキャンプとか登山とか釣りとか祭りとか、スポーツとか連れて行って、
思い出をたくさん作ってあげたい、
という反動になったようだ。

父は教師だし、
学校でいじめられてないか?とか
辛くないか?とたまに自分に聞いたり、
そういう配慮もしてくれていた。
父の辛かった子ども時代をやり直すというか。
でも、
自分はINFPで、
つまり内向的で繊細で、
抽象的なことに興味があるタイプの子どもだったから、
焼肉とかディズニーランドとか、
釣りとか登山とか、
そういうアウトドアの活動があまり楽しくないし、
図書館とか本屋にいるのが1番幸せな子どもだった。
だから、ESTPで肉体感覚の活動が大好きな父や、
妹や母には旅行とかアウトドアは楽しくて
幸せな思い出になるけど、
自分には、
何か欲しくないものを押し付けられる感覚だった。
ひたすら疲れる労働に駆り出されるというか、
父の理想とする家族のあり方に付き合わされている感覚。
でも、飛行機に乗るのは楽しかったし、
旅行に行けるのは日常とは違う感があって、
それなりの新鮮さとか、
特に幼少期はキャンプとかの
楽しさの感覚はあったから、
ありがたいという気持ちもあったんだけど、
自分が成長するにつれて興味の対象が変わるから、
だんだん合わなくなった。
逆に両親は、感覚タイプだから
50歳を越えてもテーマパークをすごく楽しめるので、
行かないか?と未だに誘ってくれるけど、
自分は全く惹かれない。

家族がディズニーランドを楽しんでいる間、
自分だけ歩き疲れて、
痛い足を引きずりながら、
楽しくて興奮してるからどんどん先に歩く父の背中を見ながら、
「本来楽しいはずの家族旅行なんだけど、
ただただ苦しい。
なんかおかしい。
肉体的にも苦しいけど、
心理的にも、
家族とズレている。
自分のありのままのペースとか、
これが幸せ、みたいなことは無視されている。
自分の本音は、父に置いていかれている」
と感じていた。
父にとっては、
父はベストを尽くして理想の父を演じたし、
自分は旅行楽しかった?と両親に聞かれたら
楽しかった、と答えて、
理想の息子を演じていたんだけど、
結局、
父の子ども時代と同じで、
「自分はありのままを受け入れてもらえないから、理想の子どもを演じるしかない」
と子どもが感じて、
辛い思いをしながら親の期待に応えるという
状態だった。
形が昭和の厳しい家庭から
平成の中流家庭になっただけで、
結局、同じだった。
日頃から働いて、それなりにお金もかけて家族サービスをする父に、
それはぼくにはあまり興味ないんですとは言えなかった。
それで、父のほうでは、
自分は理想の父を演じたし、
キャッチボールもやったし、
上手くいった、
かなり幸せで理想的な家庭を築いた、
と思い込んでいた。
父には、内向的な人間の気持ちはわからなかった。

それで、加藤諦三さんは、
幼児期や子ども時代の未解決の課題が
老年期になると理性のタガが外れて噴出する、
人間の本能的な欲求は口に現れてくる、
と話していた通り、
父は好きなものを強烈に食べたがる。
子ども時代に満たされなかった欲求が
50年後の今になって
噴出して、
父が求めていた理想の祖母役を、
妻である自分の母が演じている。

幼少期に好きなものを食べさせてもらえず、
ありのままを受け入れてもらえなかった父は、
その課題の解決を妻に求めた。

この前、祖母の家に親戚で集まって、
叔母たちと父について話して、
父は子どもの頃は優しく面倒見がいい子どもだったのに、
なぜパワハラで地方新聞に載るようになってしまったのか、
何が父を豹変させてしまったのか?
仕事で上司やモンスターペアレントとの確執とか、いろいろあったからか?
と話しあったけど、
「優秀で役に立つ自分しか認めてもらえない、
生き残るには、
強く優秀である以外にないし、
他人の気持ちなんか配慮する余裕はない」
という精神状態になったのは、
やっぱり祖父母との未解決の課題が青年期から
中年期にかけて噴出し続けていたんだろう、
と思った。
コースなら神との関係になるけど、
自分が数年前に4か月風呂に入らなかったのも、
父と同じ未解決の課題、
「ありのままの自分は受け入れてもらえない、
愛されないから、
両親の期待に応え続けないと生き残れない」
という信念が
両親への怒りと恨みになって
噴出していた。
おまえらはこれでもオレを愛せるのか?
無理に決まってるよな、
という気持ちだった。

尾木ママも、
娘が大学生くらいで突然、
お菓子の異常な過食とかを起こし始めて、
理由を聞くと、
「お父さんはわたしがお菓子を我慢すると
喜んだから、
チョコレートとかずっと我慢してた」
と言って泣いたと話していたけど、
尾木ママみたいな教育のプロでも、
自分の子どもとのコミュニケーションは
全然できてなかったし、
自分の無意識の期待にも全然気づけなかったと
知って本当にショックで落ち込んだと
話していた。

 自分の幼児期の課題というか、
幼少期から同じものを引きずっているというのは、いわゆるアダルトチルドレンとか、
何か自分がひどく幼稚で未発達で、
本来あるべき成長段階から
遅れている、
理想からズレている劣っている恥ずかしい存在なんだ、
という感覚が強烈に上がって来たけど、
自分の幼稚さを無視せずに見つめるのは
真に幸せであるためには必要なんだろうと思った。

そう言えば、父は買い物が異常に好きで、
服やゴルフ用品を買うのに異常に熱中していたけど、
それも子ども時代の抑圧とかみじめさから来てたのか。

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