あの日から6年。
やっぱ投稿を辞めて過去を脚色する人生にするか悩みましたが、それはそれで今後60年位の人生が大変なので、等身大の自分と関わってくれる人を大事にしたいなと思い書いておこうと思います。
お前、生きてるんか?って話だと思いますが、ぼちぼち元気です。
内定3社貰って自分の道に入って本当、大変だけどなんとか生きてます。
随分と卒業が遅くなりましたが先日、3月19日をもって関西学院大学を卒業しました。コロナでリモート2年、休学2年で合計4年間まともに大学に行ってなかったので、大学生やったんかーい!って思う人もいるかもですが、、!
一応、肩書は大学生でした。笑
たまにいますよね、そういう変な経歴の奴、それが僕ですww
少し日が空きましたが、節目なので少し文章を書きます。
興味ある人はお付き合い頂けると。
かっこいい文章ではないですが逆に等身大で良いんじゃないかなと思ったり思わなかったりします。
卒業式中に様々な感情が巡り、この感情を10年後とかに思い出せるように書きたいなと思い、記します。
人生最後の卒業式当日の率直な感想は嬉しくもなく悲しくもない不思議な感情でした。自分で選んだ道とはいえど、卒業式の最中にタスク、アポ、返信のことで頭が一杯になり、全力で卒業式を楽しみ切れず。もっと卒業式は卒業式で楽しんで、卒業式後は仲間と余韻に浸りたい人生でした。。。笑
今思えば入学式は内部進学率7割越えの身内ノリが凄過ぎて、「何しに大学に来たんだろう」という思いで仮面浪人して一緒に入学することになった友達と帰り道に萎えながら複雑な心境で三宮駅でローストビーフ丼を食べたことを覚えてます。
大学というまだ見たことない世界に憧れを抱いていた高校時代。
もう1年の夢を予備校で見た後に入学した大学。
”受験勉強を失敗したので就職活動を失敗しない、成功する”というゴールを掲げて大学を過ごすことを即座に決めました。
受験勉強の正解は偏差値、就職活動の正解は年収と知名度だと思い、大学1年生の4月に総合商社orリクルートに就職をする。という目標を掲げて始まった大学生活。
そこからは「とにかく成長!他の人がやっていないことを!」という原動力で動いたけど、空回りが多かったです。言い訳も多く、口だけ達者で、最後は逃げることも多く、でもプライドも一丁前で衝突が多かったし失うものも多かった。
入学前、実家のベットで関学から総合商社に入社するには体育会経験が必要。との記事を読んだ。高校時代に悔しい思いをしたテニスを本気で打ち込んでみたいという思いもあり、思い切って体育会ソフトテニス部の門を叩いた。私学なのでスポーツ推薦が多く、YouTube見たこともある人も多々いました。
部活ではスキル不足を拗らせてイップスになりました。
部活の雰囲気にも溶け込めずコートに足を運ぶのが本当に地獄で、部活に入ったのに部活に行くのが嫌で仮病を何度も繰り返しました。
本当に孤独で辛かったけどチームが全日本3位になった景色は入部をしたから見えた景色で生涯忘れることないと思います。
大学1年の冬に辛過ぎて退部をしようと思ってた矢先、体育会学生本部の存在を知り入部をして、テニス部も継続をすることに。
学生本部では面白いことも面白くないことも沢山ありました。
ただ、ここでの出会いは本当に財産です。
最初は特にシモンさんにお世話になり、代替わり後はフリ君をはじめ先輩方に大変お世話になりました。沢山ご迷惑をおかけしましたが、今でもこの時に関わった人達の影響で”熱く生きてる人”が大好きです。
大学2年の冬、覚悟を決めて商学部の名門ゼミの門を叩きました。
そこで頑張っていたら恐らく大手証券会社orメガバンクに就職をしていたと思います。ただ最終的には大学3年春に辞めました。
些細な食い違いをきっかけに辞めるまでに発展、冷静に今、振り返れば当時の僕は未熟者でした。組織としては僕が辞めて正解だと思うし、代表と僕がお互い頑固で周囲を巻き込んで冷静に話し合えば、妥協点が見つかった気もするのは凄く後悔してます。
大学3年時に代替わりした体育会学生本部でも代表と衝突。
これも今、振り返れば僕が未熟者でした。
責任感の強さと承認欲求、情熱が空回りを続けた。
衝突が原因で同期、特に同期の代表とは埋められない大きな溝が出来て気持ちが離れたのを覚えています。
ゼミも部活も代表はバリバリの体育会でした。多分、出世するし起業とかも将来的にはする気がする。今ならもっと上手に解決が出来るだろうなって思います。ゼミを辞めた直後だったので”どうしても今、選んだ道を正解にしたい”という想いが空回りをしてました。
ゼミの代表とは”伝統と革新のどちらを重視するか?”、部活の代表とは”結果と過程のどちらを重視するか?”という議論がきっかけだったはず。
今、振り返ると両方共、代表の意見の方が正解だなと思ってます。
伝統と革新では”伝統”の方が大事、結果と過程では”結果”の方が大事。
補足するならば”まずは伝統で挑戦、伝統で解決出来ない、結果が出ない部分は革新”が大事。
”結果が全て、結果が出た過程にこそ価値がある”と思ってます。
言われてみれば凄く当たり前だけど、当時の僕には”伝統だから”を口癖にするのは”お前の意見はどこにあるねん”と思ってたし、”結果が全て”という代表はドライ過ぎると思ってました。
当時の僕には納得出来る程の経験値が不足してた。
伝統の偉大さと結果主義の重要性を最近は痛感しています。
途中で就活イベントを企業と共同主催して100人位集客したり、オンラインで合同新歓を立ち上げて50団体•100人位集客したりした。
代表と衝突した当時の自分はリーダーをどうしてもしたかった。
リーダーとして自分の考えの正しさを証明したいと思ってた。
就活イベントは途中から20人位を巻き込む全体リーダーになり、新歓も自分で5人ほど巻き込んで作り上げました。当時の自分は”負けたくない、見返したい、結果を出したい”がモチベで両企画とも意地で目標達成をした。
今、振り返ると何ともない実績で原動力も微妙だけど、当時の自分は”俺はやっぱ出来る奴だ”と思ったのを覚えています。知ってる世界だけで優劣を決めてる、まさしく井の中の蛙でした。今思えば情けないです。
派手に衝突した2人は当時は顔も見たくない位に憎たらしかったですが、今振り返れば凄く優秀で熱い奴でした。もっと上手に関われていたら、一緒に組織の先頭を走っていたらもっと面白い世界を見れてただろうな。
そんな後悔だけは今でも日々、感じています。
就活では最終的には第一志望の会社に落ちました。
組織コンサル会社「リンクアンドモチベーション」です。
入学時に掲げた「就活を成功させる」の定義は総合商社から「リンクアンドモチベーション」に変わってました。ですが落ちました。
そこに行く為に色々と足掻いて来た大学生活だったのに結果として報われず、当時の自分は努力の方向性を間違えていたんだ。と社会に突き付けられた気がして絶望しました。
自分は行けると思ってたので面接では尖りまくり。
それを評価してくれる会社も見透かされる会社も沢山ありました。
第一志望に落ちた後は流石に弱気になって、「この言葉を言えば喜ぶんだろな。」と思って「御社が第一志望です。ここで頑張りたいです!」と精一杯の作り笑顔で言って内定を貰い終活。
就活をしながら「就活って何やこのゲーム」って違和感を抱えながら取り組み、「結局、周囲は何がしたいん?自分は人生で何がしたいん?」って思ってました。
「良い会社に入社をする」ことが原動力だった自分にとっては就活が終わった途端に何もかもを続ける目的を失いました。
学生本部では関係性に溝が深まり続け、テニス部の日々も苦しかった。
「就活で休みます」って重ね続けた欠席理由がなくなり、無理して続ける理由もなくなり、最後は投げ出して退部。引退まで残り3ヶ月とかだった。
別に続けることが美学ではないし、辞めたことを悪いとは思ってない。
経営の世界では撤退・損切りという言葉がある位、引き際は大事。
ただ、もっと早くに辞めたら良かったのに。って今なら本気で思う。
まあ、ああしておけば良かった。とかは書き出したらキリがないのでこれ位に。
辞めた瞬間に人が一気に離れ、SNSのフォローも外された。
”付き合いで関係性が構築されてた”ってことに気付き絶望をした。
夜の公園で4年間大学に通ったのに本当の仲間が出来なかったこと、就活でも上手く行かなかったことに絶望して夏の夜の公園で1人で号泣。
そしてこの悩みを相談出来る人がいない現実にもっと辛くなり、2〜3日、毎晩夜の公園で泣きました。「大学4年目で仲間もいない、就活も失敗」という現実が本当に辛かった。
最終的には僕は大学では全部を辞めた。
捉え方によっては継続力がない、協調性がないと思われても仕方がない。
辞めてからは休学。休学時代は色々としました。
でもまあ、休学時代だけでnoteを書けるので今回は割愛で。
この休学時代は僕にとって良い経験でした。
そんな大学生活を過ごして休学2年を加えて迎えた卒業式。
ゼミ生で写真を撮る集団、部活生で写真を撮る集団を見て、羨ましいと思った。大学の交友関係では数年後、自分が戻って来る場所はないんだ。と感じた時に寂しさを覚えました。
寂しさを覚えると同時に「これが自分の選んだ道だ」と再認識した。
卒業時に自分が感じた感情は「後悔」でした。
”やらない後悔よりやって後悔”という言葉あるのですが、”やって後悔”という経験かなと。部活もゼミも本部も入部するか悩んだけど入部。
衝突時も自分が折れるか悩んだけど、自分の本心を伝え切った。
結果的には意思決定も関わり方も大失敗に。
もっと他にも出来たこと無限にあるなって思います。
今のマインドセットで大学入学出来たら人生めっちゃ良くなるのになあ。とか思ってもキリがないですが。。。笑
ただ、”やって後悔”が出来たのは人生において成長な気がします。
振り返れば中学選びは挑戦が怖くて地元の中学に進学、入学後に試合で負ける度に”強豪校の中学に行っておけば良かった”って数え切れない程に思った。高校では仲間と本気でぶつかる。という経験が出来なかった。
大学では強豪校に入ったし、ぶつかる経験もした。
結果は全然良くありませんでしたが。
なんだろう。凄く纏まりのない文章になってしまいました。笑
いっぱい後悔してる奴みたいですね。
良いこともいっぱいあった大学生活なんですけど、、笑
ただ、良いことを書くのではなく、後悔を書くあたりが僕の大学生活を物語っているなと。そして僕の中では、良いことも失敗経験も沢山あると思いますが、組織での失敗経験が大きく印象に残ってて、生涯忘れることはないかなと。
そしてこの後悔の経験は、”あの日の経験があったから”と思えるような上書き保存をする必要がある。まだ僕は上書き保存が出来ていないから後悔が先に出てくるんだと思います。
いざ、「就職を辞めて自分でやろう!」と思って少しずつ自分でもお金を貰い始めたのが1年半前。本当に大変な道を選んじゃったなあ。って感じで今は生きてます。笑
時が過ぎるに伴って「本当にこの道で良いのか?いや、もう進むしかない笑」という思いで日々を過ごしています。笑
「選んだ道を正解にする」という言葉を使うのは簡単だけど、やるの難しいぞ。って思いながら生きてます。「レールの上に乗って未来が見えるのは嫌だ」って当時の自分は言ってたし周囲にも言われるけど、未来が見えないって本当に怖いよ。って思う日々です。笑
ただ、「本当に普通の就活生だった自分がこの道を正解に出来た時、自分にしか価値を届けられない人が沢山いるんじゃないか?」っていうのが最近の
原動力かもです。
まあ、そんな感じです。
色々とありましたが、今、選んだ道で苦しみながらも歩みは止めずに前進を続けてます。いつか関わってくれた人達と「あの頃は若かったな笑」って美味しいお酒を飲める日が来るように歩み続けたいと思います。
関わって下さった全ての皆様、ありがとうございました!!
またいつの日かお会い出来るのを楽しみにしています!
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