人から”らしさ”を奪う魔法

メンタリストさんの発言が炎上している。
そういう話題でSNSは盛り上がっている。

内容は見ていない。

後から、言い訳動画を作ったり、謝罪したり、いろいろ弁明しようとはしているのかもしれない。

けれど、僕は恐怖と怒りしか感じない。

それは、発信者本人に対して…というか、こういう排除に関わる価値観を容易に発信したことが、良かれ悪かれ広まってしまう社会に対して。

「〇〇〇はいらない。」

この種の排除の言葉は、その言葉が存在するだけで、見事に人の自尊心や尊厳を奪っていく魔法の言葉だと思う。

もちろんその言葉に属するすべての人に対してという意味ではない。まったく無頓着に生きることができる人間もいる。
しかし、その魔法の言葉一つで十分に自分の生き方を奪われてしまう人間もいる。

今回の発言も含め、最近はオリンピックに絡んだいろいろな言動が批判され、「炎上」という形で話題になることが多くなった。
これは、この社会がこういった話題に対して、スルーしなくなったともいえる。これは歓迎されることだと思う。ただ、そういった話題すらも表面的な批判で聴衆を集め、面白がってしまう、もしくは利益を得てしまうような仕組みもあるのではないだろうか。「炎上」などという陳腐な言葉で話が広まることがそれを示している気がする。
その魔法の言葉が許されるべきではない理由の本質を見失っている。

どんな人権課題についても、基本的には排除の形をとる。差別とは排除と言える。
障害者運動・自立生活運動をされているジュディス・ヒューマンさんは、著書『わたしが人間であるために』の中で

「誰かがあなたのことを無視するとき、相手は意図的に力を誇示している。相手は基本的にあなたが存在しないものとして振る舞う。そして、そう振る舞う理由は、それが可能だからだ。それをしても、自分の身に何も起こらないと思っているからだ。」

と書いている。
「〇〇〇はいらない。」と発言するだけで、その対象となった人間には大きなダメージとなる。それが後から批判されても、訂正されても。
見えない存在にする側は、自分の立場を確かにするだけ。
見えない存在にされた側は、自分の立場を失う。

そこで終わりではない。

見えない存在にされた側は、それでも生きていかなければならない。見えない存在にする側が作り上げる社会で。
その社会に適合しよう!適合しろ!
自分は邪魔な存在で、気持ち悪い存在で、何もできない存在で…

ちょっと傷つくとか、腹が立つとか、そういうものではない。
魔法はその人の内部まで浸食し、呪いとして束縛する。

そういう呪いを無頓着にばらまく行為は、許せない。許してはいけない。
しかし同時に、自分自身もその魔法の言葉を気づかずに使っている可能性があることも考えなけでばいけない。

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