幻想小話 第四十二話
不忍の口、犬鏡
忍ぶの内には、耐えて押し通す、と言う意味が隠されている
人と魔物とは
あい、相容れぬもの
いや、本当の魔物とは無口で、我々には無関心で高尚な存在
出来うることなら彼らは、我々と距離を置きたい
我々が近付き過ぎるのだ
魔物に取り憑かれた、悪魔のような人間はいるが、特に女
まだ人の成りを保ちつつ溶け混んでいるものの、女の外身であるために、うまく器を使う奴らだった
むかし、あの手の女鬼は大陸でよく見かけた
この國の女鬼は、小心で愛嬌があった
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浅いのか深いのか知れない、藻の泥で緑色の掘りで、ただ竹をしならせて作っただけの竿に糸を垂れていた
「釣れるかい、あにさん」
ちらと、目線だけ後ろにくれてやる
「いや、あいにくと。これなんでね」
私は竹竿をくいっと持ち上げて、垂れた糸の先を示す
「針がついてないんでね」
「でも吊れただろう?」
「...間人がかい?」
「あんた連れてるじゃあないか」
「欲しいならくれてやっても良いよ。馬掘の駿馬だから。生き肝が...欲しいんだろう?」
「あんたと取引なんかしたら、尻の毛まで抜かれる。それに違う。あんたのそれは白い犬だ。白い山犬さ」
ジリジリと後ずさる
「わかっていて何故声をかける?手鏡が欲しかったのか?お前の真の姿を写すではないのか」
「勝手にこうして心が出て来てしまう。岩の洞窟に封じられても」
「それでは、意味がないではないか」
「あたしには知恵がないから、智恵もあって法眼のあんた。ひもじくて。法力をおくれ。腹が膨れるから」
「そんなものは持ちあわせておらん。あいにく無神論者だ。いや、輪廻転生否定派かも知れぬ。素直に坊さんを頼れ。なんとかしてくれるだろう。薬師寺さんだぞ。ほら、これをやるから」
私は手鏡を放った
キラリ
一瞬、光ったような気がした
女鬼は嬉しそうに笑って、手鏡を拾うと跳び跳ねるように山に帰って行った
「飢渇、飯食、法味、全て満たされ、すなわち安楽第十一の誓願」
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このように人間よりも生粋の鬼のほうが、昔から人間臭く、人間らしかったように思う
人を食ってしまった後ではもう、封じられぬ限り食い続ける魔物でしかないのだ
ただ一度にたくさんは食わない
少しずつ少しずつ
目撃証言も当てにならない、噂として
人の器だけは手に入る
弱くから強く
重い稗沼から足を引き抜くように、一歩づつ
不老不死と言う究極
仙道の丹田と西洋の錬金の形式を持てば、肉体も若いまま長く使用出来る
間違ってはいけないことだが、体内に毒素を残してならないし、完全に体内で吸収されるもの、自然界にあってはならない物質を、口にしたり注入してはならない
もちろんその手の女鬼は、冷たく怪しい魅力はあるが、心に熱を持たない
男にも人にも思いをかけると言う概念がない
そのような、肉体は人間である鬼や魔物は、人間の赤ん坊を産むことが出来た
鬼の種が発芽し
鬼の実がぶら下がり
ああ、なんだ人間のなる実かと、すぐさま興味を失う
まだ折檻したり、食ったり、殺したり、捨てたり
舐めるように、肌身離さず、抱き上げて歌を聞かせ
わざとらしく可愛いがって見せたり
自分の思い通りに育たぬなら無視や罵声を浴びせる
人の餌さとはなんだろう
人の大罪は、人間が何者であるか知らぬこと
何者であるか知りたがること
どんなに考えても答えは出ぬのに、答えを作る
此の世をば我が物と思う
作った答えではおこがましく、畏れの心が神を産み出した
だが、自分をまた神のごとく賞賛する
神隠して
神しだく
崇めるもの
祟るもの
表裏一体
蚊遣り箱の灰が、こそりと落ちる音がしたような気がした
箱の蓋のつまみが華の蕾である
鉄製だが、蚊遣りの箱は軽やかで愛らしい
蚊帳の中で、薄暗い灯りを頼りに、まだ夜の庭を眺めていた
そよそよと、何処かで荻の夜風に、野風にそよぐ音が聴こえたような気がした
このまま夜が明けず、何日も夜のみの世界が続けば良いと思ったが、微睡みかけて全身の力がすうーと抜け、温かくなってきたが、突如一瞬にして寝落ちの快楽から目が覚める
万年寝不足とは、このような弊害を引き起こすのだ
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