「水府の三門」◆道しるべ◆⑨
番外編ー冥府船頭
胸板と間に一突き
引抜いて振り返ったところを
満月斬り
それで絶命したはず
時世の句か、呪いのまじないか
口から血をゴボリながら、襟口と肩袖に掴みかかってくる
(まだ息があるとは・・金子の欲に溺れるは冥府魔道への、まこと近道よ)
不自然な位置で逆立てた刀を、股間の間から突き立てる
えぐり抜いた切っ先が脇腹を突き破った
地べたにずり落ちて、ビクビクとはぜているそれは
必死に貧しさから這い上がって来ただけなのに、なぜ詮議から追われ、橋のたもとで出くわしただけの侍に斬り殺されるのか
納得のゆかぬ貌をしていた
春爛漫の頃
朱塗りの欄干の堀りの口
枝垂れ藤がそれは美しい
小さな堀船
あの人はほっそりとした身を丈短く切り上げた簡略的な着物姿
御高祖頭巾を被り、宵闇に紛れて隠れ進むも凛としている
形ばかり、己はほっかむりをして顔を隠すも、身なりは偽れず、抜け出た城に戻るていは一目瞭然なのだった
姫を送り届ける
このお堀の口は神聖なのだ
藍の昊に空気が染まる頃
それは清々しき姿にて魔道を歩く
「そこのお人、ちょいとお待ちな」
ぴたり
ほんの僅か
睫毛がこちらを向く
御高祖頭巾ですっぽりと頭を隠し、それでもきり、とした眉は美しさを隠しきれない
「易者さんかえ?」
「そうねぇ・・」
「それにしては若い易者だね」
「それはねぇ・・こうして辻にいるとね・・。たまに面白いのに行き当たるからでねぇ・・」
「わらわが、面白いとな?」
「今夜は冴えざえとした月夜の晩。お前さん、ちっと変わったものを飼っているみたいだねぇ・・」
ぴく、と片眉が動いた
「血濡れた観音と黒爪の獣じゃあ、添えられるもんじゃないからねぇ・・。せいぜい正体を暴かれぬように気をつけてゆくんだね」
「まあ、ほほほ。それは有難うなことよ」
「なあに、お前さんに声をかけて無事なことのほうが、恐ろしいくらいさ」
何をして来ての帰りなのか
心当たりは聞いているが、口にしないのが無難だろう
好奇心に負けて声をかけた
月に向かって飲み込まれてゆくよな
飛ぶように軽い影は濃い
血を好み、残忍冷酷な心根を持つ魂が、尊き血筋に現れた折りは、数多の命が犠牲となり国や御家が乱れると言う
姿形はそれは美しくたおやかだとか
「ねぇ、易者さん」
いつの間に舞い戻って来たのか、耳元に囁かれた
心ノ臓を鷲掴みされたように、ギュッと火傷したような鋭い痛みを感じた
「その時こそは・・わらわのために念仏を唱えてあの橋をくぐらせておくれ・・」
火箸を押し付けられたように飛び上がりそうだった
冷たい川の水を臓腑に浴びせかけられたように、しばらく易者は後ろを振り返られなかった
次の満月の頃には、ここはもう店終いだな、と袂のキセルをさぐった