見出し画像

幻想小話 第四十五話

悪魚/吉祥魚

万葉集にうたわれた
常陸國多可の海原、ささきの浜の汐溜まりから
磐城國に向かう勿来の関の浜
その手前には國境・村境のおおつ浜がある
ささきの浜とおおつ浜の間に、天妃山
海上に突き出た岩山の峰の森の頂きには「弟橘比売」神社がある
倭尊の妃であり、海神の怒りを解くために自ら入水した
漁の盛んな村である為に、常灯を掲げ、海上鎮護の神として祀る
さらにおおつ浜に入るにあたって、二ツ島と呼ばれる大小の浮島が存在する
朝陽峰と異名のある天妃山とほぼ直線上に結ばれ、二ツ島の向かいの山には恐らく祀られるものがあり、二ツ島の地形から考えてこの浜は何らかの儀式が朝夕行われていたと思われる
真夜中のことであるが、今日でもこの向かいの山から道を横切り、二ツ島の砂浜に向かってゾロゾロ歩く、黒い行列を見る者が後を断たない
二ツ島の砂浜に降りる入り口で一人二人と、吸い込まれるように影が消えて行くという怪異だ
陽の昇る海では豊漁を祈り、豊漁に感謝する儀式として、松明と贄漁が盛んだったと思われる
ささきの浜、勿来の関の浜にかけて、湾になる所が幾つもあり、奇岩、浸食崖が多く、海鳥が海上の島の頂きに巣を作り、人になつかない天然の鵜さえ飛来する
その昔、この常陸國多可郡にこそ、高天原があったと解く学者がいた
「新井白石」
天と海は、同じくあま、と読む
確かに興味深き事象かも知れない
先頃、おおつの浜では吉祥魚と呼ばれる龍魚が上がった
額がしらに、都の貴い方の五三の桐模様
背鰭に葵の紋様、そして腹に蝶の文様を刻まれた、岩の鎧を纏ったような、八尺程の大きな魚だった
人が入る棺桶より子供一人分、大きい感じだろうか
この龍魚は同じ年に余所でも打ち上げられ、高貴な紋様を戴いている為、縁起の良い魚と上覧されている
倭尊にちなんだ伝説で、相対して人に仇なす悪魚として、巨大な「えい」の化け物がある
また、弟橘比売が入水した海から内地にある印旛沼にも、異形の怪物伝説がある
この沼の怪物も見せしめとして人を贄をした
まつわろぬものたちを平定する奢りの為に、神をうやまわなかった代償として、人命を失うという痛手を受けるのだ
それが愛する妻か、水夫か人夫か、とるに足りない生命か、人によって大きいか小さいか、あるかないかの価値の違いなのだろう

私はあかあかと燃える緋色の太陽が昇る、誰もいない二ツ島の砂浜を想像する
静かで二ツ島の松も、向かい側の山の松も、海も私も赤く染めるのだった
黄金色の風と影
神ノものはみな、神ノ息吹きを感じて、やがて恐怖から解放される
心に立てるべき標を見失い、混乱し、自我を見失う
恐れる必要はない
ただ、思った通りに物事は良くも悪くも、その通りになる
確かに存在するおのれ、他人
そして存在はしないとわかっている神
けれど見えない力に導かれている確かな事柄
私の中の幻は、誰かの幻影でもあり、私であり、他人であり、神であるのだ
私の中の海は、いまとても凪いでいる
歩いてゆけば二ツ島
振り向いて「わたくし、わかっていました」という顔をして、微笑んでいる万代がいるに違いない
私はこわくない
こわくない、なにも
それが死であっても、此の世もまた幻

いいなと思ったら応援しよう!