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舞台『夏の砂の上』を観て感じたこと(ネタバレ)田中圭主演

舞台『夏の砂の上』を観て感じたこと

捨てられたもの同志のふたりが、向かい合うでもなく、傷を舐め合うでもなく、そっと暮らしていて。

私には、2人が、向き合っているのではなく、お互いの背中を預けてそっともたれ合っているように感じました。

背中越しの温もりと、そこに自分以外の誰かがいるというささやかな安心感のような。

そんな、私の感じたイメージと感想を

世田パブ、兵庫、愛知、長野。
各公演を見ながら追記していきます。

全体の感想

お箸をパチンと割る音が響きわたるほどの静かな舞台。

小浦治の日常を隣の部屋から眺めているようなシーンから始まります。

レジ袋を細くたたんで、輪ゴムで止めるのは、どこまでが演出で、どこまでが圭くんの想像する小浦治像なんだろう。

いろんな仕草や表情で、そう思うことがたくさんありました。

手で扇風機をつける治さん。

足で扇風機をつける阿佐子と優子、など。

いろんな仕草や声音。



小悪魔的に立山を振り回し、気まぐれに振る舞う優子。

でも、立山の家でお母さんが作ってくれたハンバーグをひと口食べた時、
自分の持てなかった幸せを感じて、泣きながら逃げてきてしまう。

そのシーンでの治は、優子の気持ちを理解して、そっと静かに寄り添うようで。


望遠鏡の中の、虚像。幸せの象徴のような立山さんの住む家。

優子と治。あたたかい家族の団欒を持つ人にはわからない心の痛みが、2人を結びつけているようにも見えました。


恵子は、どうして置いていく治に対して、後足で砂をかけるような、傷口に塩を塗り込むようなことを言うんだろう。

どうして陣野は友人の妻を奪っておいて、
ひれ伏して詫びるどころか、仕事を見つけようとしないのは情けないとなじったり、
旅立ちの時に揃って訪れたりするのか。
その身勝手さが理解できません。

ーーーここの部分について

何度か舞台を見るうちに、この陣野が言う、
仕事を探さない治への、情けなか、気になるなら恵子に会いに行けばいい、というのは、恵子が陣野にグチをこぼしていたことかもしれない、と感じるようになりました。

陣野は、治と気のおけない友達であり、小浦家の家飲みで、恵子とも話したりする機会があったかもしれない。
子供を亡くして憔悴する恵子が、本当は治にかけてほしかったような言葉を、そっとかけてくれる人だったんじゃないかな。
深い仲になってからは、恵子の良き相談相手でもあったのかも。

陣野の言葉は、妻を寝とっておいての言葉というよりは、
恵子の肩を持ち、気持ちを伝えたいという思いがよぎったのかもしれない。

私には、いないはずの恵子の気配が、あの茶の間を通り過ぎて行ったように感じられました。

治も、陣野の言葉の裏に、恵子の影が透けて見える気がして、苛立ちを感じ、思わず声を荒らげたのかもしれない。

そして、恵子が治より陣野を選んだ理由についても、別のnoteに徒然に書きました。↓↓↓


明雄のことを『あたしのいとこだったのにと思って··········。』と優子が言った時の、治の表情は、
泣きたくなるほど優しくて。
そんな治が明雄を忘れるなんて、嘘でしかなくて。

明雄を囲んで幸せだった日々は、治にとっては今では虚像のように、初めからなかった幻のように感じられたのかもしれません。


愛する子供を亡くし、妻に捨てられた治。
自分を優先してくれない親に振り回され続け、馴染みのない叔父の元に置き去りにされた優子。

捨てられたもの同志のふたりが、向かい合うでもなく、傷を舐め合うでもなく、そっと暮らしていて。
私には、2人が、向き合っているのではなく、お互いの背中を預けてそっともたれ合っているように感じました。
背中越しの温もりと、そこに自分以外の誰かがいるというささやかな安心感のような。


2人の静かに寄り添う生活の中でも、

たらいやバケツを持って走り回ったり、たらいの水を飲み合うシーンでは、

生命力や、親しみ、朗らかさも感じられて。


離れてしまった後も、寂しくやるせないふたりの現実は続いていくけれど、
遠くどこかにいる、寂しさをかかえた片割れのようなお互いの存在を思い出して、
少し心の支えになるんじゃないかな?と思いました。


優子はずっと自分の居場所を求めていたんじゃないかな。
自分を優先してくれない母親。
母親が連れてくる恋人たち。
そんな中で優子が見つけた花村さんという居場所も、転々とする母親によって、また引き離されてしまう。

長崎で居場所を求めた立山さんにも、家に行ってみたら、自分には求めようもないほどの温かな居場所があった。

そんな中で治さんは、優子にとって一番の居場所だったんじゃないかな。


最初に脚本を読んだ時には、ラストシーンでの、阿佐子の余白たっぷりの
『··········これで、もう、一生会えないかもしれないけど··········
ホントにもう、兄さんには、迷惑かけないから··········』

続いて戻ってきた優子が、

『··········どうせウソだと思う。
カナダになんか行かないよ。
もっともっと遠いとこだよ。
〜中略〜
誰も知らない地の果ての、もっともっと遠いとこ··········。』

という優子のセリフを読んだときには、死への旅立ちみたいなものも、少し頭をよぎったのですが。

舞台での阿佐子はあっけらかんとして、たくましく、生命力に溢れていて。
死の影はどこかに吹っ飛んで行きました(笑)

きっと、カナダでも、アラスカでも、シベリアでも男を渡り歩き、我が道をゆき、優子や周囲を振り回しながら逞しく生きて行きそう。

そのいっぽうで優子は、日本にいても転校先で、たったひとり花村さんしか友達しかできず、
長崎でも、バイト先で何を考えているかわからずクビになり、
立山さんの家に呼ばれても家族の食卓で、逆に自分の不遇と孤独を感じて帰って来てしまう。

言葉も心も通じないカナダへの旅路は、ある意味死への旅に近いような孤独と不安を抱えているだろうと想像すると胸が痛みます。

たぶん治に引き留めてほしくて戻ってきた優子。
治の表情を隠してしまうような大きな帽子は、心を顔に、思いを言葉に乗せられない治と優子の象徴のように見えました。

私を忘れないで、と置いていく大きすぎる麦わら帽子。

意外とすぐ、あっけらかんとカナダから戻って来て、優子を治の元に置き去りにして行ってくれたらいいのになぁ。


私は、脚本を読んでから舞台を観たのですが、
まず、想像と違ったことがいくつかありました。



小浦治は、ゆっくりとボソボソ話し、

田中圭さんの声として、脚本で想像していた声とは、全く違う治でした。

ゆっくりと、ぼんやりと、ボソボソと、時に強く激しく。



バンバンバンと包丁を叩きつけるシーンが、とてもゆっくりと、
バン、バン、バンと間を置いて言葉を区切るように...
声は大きくハッキリしていましたが、静かに念を押すように表現されていて。
私はもっと激しい声や動きを想像していたので驚きを感じました。



優子は思ったより小悪魔的で、あどけないのにどこか妖艶で。

私は、以前から杏奈ちゃんに、可愛いだけじゃなく、ただものではない感じ、
あどけないのに底知れない、深みのある妖しい美しさみたいなものを感じていて。
杏奈ちゃんがやるからこその優子の魅力が爆発していたと思いました。

続いて、私が見た各回でのカテコ

それぞれの回で特に違って感じられたことなどを記しておきます。



世田谷パブリックシアター

東京千秋楽(初観劇)

2022.11.20

初日から4日間、世田パブに住むつもりでチケットを取っていたのに、コロナになってホテル療養。

優しい友達の好意で、私がやっと夏の砂の上を観ることができたのは、東京千秋楽でした。


2人で水を飲み合うシーンが、場面写真では想像もしなかったほど、盛大に水をこぼしていたことに驚き、笑いそうになりました。

何度か見た友達に聞くと、前に見た時にはあれほどたくさんこぼれてはいなかったようです。
東京千秋楽のお祭り感だったのかな。笑

ちょっと2、3歩踏み出せば、小浦家のお茶の間に足を踏み込んでしまいそうな舞台。

圭くんが陣野さんの奥さんが解いた包帯でギョッとして固まるシーンが、目の前で見れる位置でした。

V字腹筋の体幹がすごいです!


カテコは5回

圭くんが、片手をあげてクルンと回って後ろを向いたのが可愛かったです。
VOCEさんの、このポーズのような。

舞台が終わった瞬間に、魔法が解けたように田中圭に戻る切り替わりの瞬間が、いつもとても好きです。

楽しそうにみんなに合図して、元気に駆け戻ったり、

杏奈ちゃんに華をもたせるために、舞台の真ん中にひっぱりだしたり。(ここウルッとしちゃいました)

なんども続く鳴り止まない拍手に、みんなと顔を見合わせたり。

口をキュッと結んで微笑む(よくやる顔)や、胸の前で拍手をする姿が目に焼きついています。



兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール

兵庫公演 1日目

2022.11.26

兵庫までの間に、少し髪をカットしたみたいで、トップは短くなったぶんコシが出たのか、立ち上がりが大きく高くなっていて、しっかりと固められていました。襟足はスッキリ。


東京楽では息を飲むように感じていたシーンで、結構な人数が笑っていて。

世田パブで見たばかりだったので、そこ笑うところ?とビックリした場面もありました。

世田パブでは全体的に緊張感で張り詰めたような、息を呑むようなお芝居で、観る方にも緊張感を感じていたのですが、

兵庫公演は観る方に少しリラックスムードを感じました。

観る方の緊張感は、自分が座った座席の位置にもよる気がしますが、確実に笑いは増えていました。


妹の阿佐子に、優子ちゃんを押し付けられるシーンや、
陣野さんの奥さんが乗り込んでくるシーンなど、
ここコメディパートやったんやなwと。

スキアラバ笑う観客たち(笑)


カテコ4回

3回目のカテコでオールスタンディング

初回から4回出てきてくれると思わなかったので、とても嬉しかったです。


兵庫公演2日目 マチネ

2022.11.27

恵子が治に別れを告げに来たシーンが、今まで見た中で一番辛く心に沁みた回でした。

明雄を囲んで幸せだった日々は、治にとっては今では虚像のように、初めからなかった幻のように感じられたのかもしれないと、感じた回でもありました。


優子と、明雄について語るシーンも、とても悲しくて。
初めて遠くから全体を俯瞰で見たせいもあるかも知れませんが、静かに深く心に悲しみが沁み渡るような回でした。

そのせいかどうか、
前回なぜか笑いが起こっていた、指を切り落とす瞬間。
今回は、『ヒィー』とか『ひゃー』という息を飲む声が、漏れ出ていました。

その続きは、圭くんが笑わせにかかっているような感じもあり、笑いの取れるシーンに仕上がっていました。


初めての2階席。

肉眼で表情が捉えられないかわりに、

お弁当の中身や、照明が当たった床、
ライトの色が変わる様子、
煙草の強い香りなど、
前方の席では感じなかったことに、新たに気づいたこともありました。

下手側の端っこだったので、階段の奥の方まで見え、パンツで出てくるサービスタイムが一番長いリーチで見られました。


お弁当で食べたもの。
磯辺揚げ、ごはん、フライをちぎったが食べず、磯辺揚げ、ごはん、間できんぴらごぼう。

初めてお弁当の全体像が見えたので、配置を覚書で。


兵庫公演2日目 ソワレ

さすが地方の楽日のお祭り感。
兵庫では、ちょっと笑いを誘うようなシーンでのタメが長くなってきていて、観客の笑いを煽っている感じもあり、兵庫楽は盛り上がった回でした。


優子を預かってくれと言う阿佐子に、恵子が勝手にハイと言い、
治が『ちょっと待てよ』と言うシーン。
3人の間合いが最高でした。

優子を置いて立ち去る阿佐子を止めるシーンなど、タメにタメきっての
『ちょっと、待てって!』で、会場がドッと沸きました。

キムタク風に、ちょ待てよ!とか言っちゃうんじゃないかぐらいのおもしろさでした。

陣野さんの奥さんが乗り込んで来るシーンも、緩急が増していました。

恵子が入ってきたシーンの『え?』も、へえ?というか、ふぇ?というか。笑

なんとも言えない間と言い方で、観るのは4回目ですが、一番笑ってしまいました。


パンツタイムでは、最後にクルッと回ってくれるというファンサービス(笑)


治の、というか田中圭のタンクトップの脇ぐりの、肩から胸にかけて見える面積が、今まででダントツに広く、ナンバーワンに逞しく見えました。

今回はかなり早めのタイミングで前髪がひと房ハラリと落ちて、
それがとても良きでした。

カテコ5回

ちょいちょいと手招きのような、ちょっと奥さんみたいな手振りで、鳴り止まない拍手にツッコミを入れながら登場。

その前の回から、圭くんが他のキャストのみなさんにお手振りを促すような流れがあり、
今回は、キャストのみなさんが並んでお手振りタイムに。

その時に、割れんばかりに続いていた拍手がサッと止んで、無音になった瞬間があり、
見渡すと観客のみなさんが揃って手を振っていて。
2階から見渡して、エモいーっ!!と感極まりました(泣)

ファンミに来ているような、ここのみなさんだけじゃなく、演劇ファンの皆様も一体化してお手振りをしていた姿、2階から見下ろす絶景でした。


市販ののり弁を、治さん仕様に並べ替えてみました。でもバランス的に少し魚のフライが大きくなってしまいました。


愛知公演

愛知公演1日目マチネ

↑↑間違えました、カテコ4回


愛知公演1日目ソワレ


愛知公演2日目 愛知楽






長野公演

長野公演1日目


長野公演2日目大千秋楽









2022.11.3世田谷パブリックシアター〜
2022.12.16まつもと市民芸術館

主演 田中圭
西田尚美、松岡依都美、山田杏奈、粕谷吉洋、尾上寛之、三村和敬、深谷美歩
演出 栗山民也
脚本 松田正隆


ここに書くほどでもない話

小浦夫妻を舞台で初めて観たときから、頭に浮かんでいた親友夫婦の話。

ダンナさんは、めちゃくちゃイケメンで穏やかで口ベタな人で。
結婚前から、私はダンナ様とも友達だったから、まあどんな人なのかはザックリとはわかるんだけど、
自分の気持ちを言えない?あえて言わない?
私も実はそういうところがあるので、ダンナ様の気持ちはわからないでもない。(ぶつかりたくないから、意見が分かれると、自分の思いは飲み込みがち)


その友達は、ダンナ様が優しくてカッコ良くて、みんなに羨ましいって言われるけど、
悲しい時、辛い時、迷った時に気持ちを話し合えない。
一方的に話しても、うん、まあ、そうかな...と、『生きてる人間と暮らしてる気がしない』って。
何もない穏やかな日常の時は良かったけど、子供のことで大変な時期があって、同じ意見でも、違う意見でもいいから話がしたかった。
そんな時には、もうダメだと思ったこともあったって。(仲良く暮らしてます。念のため。笑)


浦ちゃんを見ながら、そんなことを思い出していました。

恵子は、陣野さんとはきっと話し合えたんだよね。

これは私の勝手な想像だけど、
歳もバラバラだけど友達です、と名乗りあった3人。

気の合う仲間で、小浦家に集まって恵子も交えて飲んだりしていたんじゃないかな。

明雄くんを無くした後も、小浦家に集まって、恵子が治にかけて欲しかったような言葉を、陣野さんはくれたのかもしれない。

仕事を探さないことへの『情けなか』、恵子のことが『気になるなら行けばよかじゃないですか』

私には、『あの人、なかなか仕事を探さなくて情けなかよ』『気になるなら、自分でのぞきに来てくれればいいのに』と恵子が陣野にこぼすのが聞こえてくる気がしました。

治さんも、それが透けて見えたから、柄にもなく声を荒らげたのかも。



そして、優子と治。
保護者といっても、あしながおじさんのような万能感はなく、
父親というには甘い。

優子と治、2人の共犯者のような関係に、
私はサガンの悲しみよこんにちはのセシルと父親が頭に浮かびました。

『おじちゃんのことは私が面倒みますから』という淡い独占欲。

レイモンと治は、正反対と言っていいほど違うけど。

繊細で残酷で、奔放で傷つきやすいセシルが、自分を支配しようとする、父の婚約者の心を、取り返しがつかないほど粉々に壊してしまったように、
優子もまた、母親とその恋人たちに支配されてきた世界から逃げて、治とふたりだけでどこかに行ってしまいたかったのかな。

今まで、ギュッと身を固くして自分を守っていた優子にとって、治はそっと羽根をほどいてくつろげるような、
傷ついた子供にとっての、大切な居場所だったらいいな、と思いました。(母性)



ガラスが砕け散る音。
このシーンをみんなで、いろいろ想像を語り合ったの、楽しかったな。

私も、その時話していたみんなと同じで、治は日常的に暴力は振るっていないと思う。

恵子から離れたところある鏡に何かを投げつけた(危なくないように、優しい)、
拳で叩き割った(なんか激しくて艶っぽい)、
ちょっとムフフ♡な事があって割れた。
などなど、みんなの想像がおもしろくて、どれもありそう♡と思って、めっちゃ楽しかったな。

私は鏡台の上にあった何かで、対角に鏡に映る恵子を叩き割るようなイメージを、想像していました。

いそいそと陣野に呼ばれて行ってしまう恵子。
嫁入りの時に母から譲り受けて持ってきた鏡そのものが恵子の女性性の象徴であり、
生身の恵子に手を挙げるほど粗野ではないけれど、鏡に映った恵子を叩き壊してやりたかった。

そんなことを想像していました。


観た舞台について語り合うの楽しいな。
そんな見方もあったかと驚かされるし、漠然と抱いていた感想を、人に話して言語化できることもある。


何度も観るうちに、固まってきた思いもあるし、変わってきた思いもありました。
実際の舞台を観て、戯曲で読んだときとは全く違って感じたことが多かったな。

配信では、ナマでは観られなかった細部や表情も見られるだろうし、今まで治さんにロックオンしていて観ていなかった部分も、カメラワークによって、見ることになると思います。

そしたらまた、違う感想が生まれてきそう。


おまけ 三茶巡礼







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