
厄年について思うこと
占い、言い伝え、信仰。
そういったものを否定も批判もする気はさらさら無いし、人を傷つける種類のものでなければ、文化の一つとして良い側面がある物だと思っている。
その分野に詳しい方、生計を立てている人も多くいることが、何よりもその証明になるだろう。
だが、僕自身は全くといって良いほど気にしない、というより、興味が無い。
そうは言ってもだ。
特段信心深いタイプでもなければ特定の信仰心があるわけではないのだが、世間一般の方々同様、子どもが生まれればお宮参りにも行くし、正月には初詣にも出掛ける。
おみくじを引いて大吉が出れば多少なりとも浮かれるし、一緒に入っていた大黒様や弁天様(金型でプレスされたであろう大量生産品的な金色のプラスチック片)をありがたがって財布に忍ばせたりもする。
僕は1982年(昭和57年)生まれ、満年齢でいうところの現在40歳。
数え年でいうところの42歳。
いわゆる『厄年』だ。
上述のように深い興味を持たない人間でも、初詣で厄年の看板を何度も目にしたり、親や親戚、仕事関係の人々から「お、厄年だね」と言われれば、意識せざるを得なくなってくる。
自分は厄年の人間だ、と。
先々週の話。
出勤の為、いつも通り家を出て、いつも通りホームで地下鉄を待つ。
出口が見え始めたとは言われているものの、やはり列に並ぶ人は何となくソーシャルなディスタンスをキープしている。
僕の前には30代半ばと思しきサラリーマンが先客として立っている。
彼は何故か駅のホームでストレッチのような動きをしている。
腕を伸ばしたり、肩を上げ下げしたり、膝をゆっくりと上げ下げしてみたり。
大多数の人は手元のスマホに夢中だが、目の前でそんな動きをされると、僕はそれが気になって仕方がない。
(変な奴がいる…距離もそれなりにあるし実害はないが、視覚的にうるさい。)などと思いながらも手元のスマホに視線を戻したその矢先、アキレス腱を伸ばすような動きで後ろに振り出された彼の踵は、僕の革靴のつま先を盛大に踏み潰した。
誤解を招きたくないので先に言っておくが、雑踏の中を歩いている時に足を踏まれたところで、僕はいちいち腹を立てるタイプの人間ではない。
そんなのは「ミス」、「アクシデント」といった類いのものなので、当人を責めたところで仕方がない。
「あ、すみません」
「いえいえ」
といったような、取るに足らないやり取りで終わる。
が、今回は違う。
ストレッチの中でも一番後方に注意を払はねばならないアキレス腱伸ばしを、ストレッチに適さない場所で、ストレッチに適さない時間帯に、ストレッチに適さない人口密度でノールックのまま実行したのだ。
まさか朝っぱらからノールックアキレス腱伸ばしプレスを喰らうとは思ってもみなかった僕は、シンプルに驚き、「痛!」と声を上げる。
僕以上に驚いたのは彼の方だったようだ。
堅い床に着地するはずが、人の足らしきモノを踏み込み、その足の持ち主、しかもドの付くほどの赤の他人が「痛!」と言っているのだから無理もない。
責任の所在はどうあれ。
いま考えれば36個ほどの罵詈雑言を思いつくのだが、驚いた彼に対し僕が発することが出来たのは「あ゛?」のみ。
眉間にシワを寄せながら。
文字にするとヤンキー漫画の台詞のような「あ゛?」に対し、アキレス腱野郎が放ったのは小声の「うっす…」。
「うっす…」…だと…?
踏まれたこと自体というよりも、場違いストレッチと『うっす』に怒りが込み上げてくる。
さすがに腹が立ち、「『うっす』、じゃないよね?踏んだよね今。意味の分からんストレッチで。すみませんとかが普通なんじゃねぇの?なに『うっす』って。」と声を発する。
周囲の乗客の
「そうだそうだー!!」(という声が僕には聞こえた)
「よく言ったぞ!」(という声が僕には聞こえた気がする)
「場違いストレッチ野郎を駆逐してやれ!」(という声が僕には聞こえたと思う)
という雰囲気に居づらくなったのか、「…すみません」の一言を残し、アキレスは元々並んでいた2両目から、3両目の列に並び直した。
これで話は終われば良いのだが、被害妄想が強めの僕には、不幸なことに周囲の人々の声なき声が聞こえ始めるのだ。
さっきまであんなに称賛の声を上げていたオーディエンスの声なき声が。
「あのおっさん、足踏まれたくらいでキレ過ぎじゃね?超ウケるんですけどー。」(という声が僕には聞こえた感じがした)
「踏まれた後、眉間にシワを寄せながら『あ゛?』って言ってたよね。東京リベンジャーズかよ。あ、おっさんだし、ろくでなしブルース世代か。」(ろくでなしブルースは読んでない。)
「足踏まれて可哀想だよね。なんか何ごとも無かったように『足踏まれてません顔』してるけど、見ちゃったしなぁ…。」(という声が僕には聞こえたはず)
居づらくなった僕は元々並んでいた2両目から、1両目の列に並び直した。
足も踏まれていないし、何も起きてませんという顔をしながら。
厄年。
しかも本厄。
これは…あると思います。
そんな話をしたからか、先日、妻が厄除けのお守りを買ってきた。


そういうの信じないんだよな…などとは言わず、素直に通勤用のバッグに忍ばせてみる。
足を踏まれただけのショボいエピソードを超えるような巨大な厄をよけてくれるなら、こんなに良いことはない。
ありがてぇ。