ひねくれ者の損得勘定と大盛無料について思うこと
しばらく投稿を中止し休暇を満喫していたが、皆様、いかがお過ごしだろうか。
僕はというと、極端にnoteを開く機会を減らし、家族とお出掛け三昧…と思いきや娘が発熱してしまった為、自宅に軟禁状態となった。
結果的に体調は回復し保育園にも復帰したが、娘の昼寝中など少々空いた時間は、読書やAmazonプライムビデオ鑑賞、家事に充てていた。
休みに入る前の記事で「休暇」とはしたものの、実のところ我が職場の休日は額面通りカレンダーに則った休日。
子どもの不測の事態に備え、飛び石連休を有給休暇で繋げることもしなかった。
ゆえに、いわゆるゴールデンウィークの間も数日は仕事をしていた。
世に言う「2022年のGWは最大10連休♪」など、闇の組織が流布したプロパガンダに違いない。
僕の存在する世界線には関係のない、陰謀めいた都市伝説だったと認識している。
いったい誰の差し金なのか。
ただし営業という職種上、(別の世界線の)客先・取引先が休んでいればこちらのスケジュールにも若干の余裕は出る。僕はリーディングシュタイナーなので、そちらの世界線の人物達の休暇状況にも仕事が左右されるのだ。
どういうわけか生じた空き時間を使って、少しずつ書いたのが当記事だ。
あくまで個人の感想と感情なので、苦情は受け付けない。
ひねくれ者のリハビリ的独白に、しばしお付き合い頂きたい。
※ちょっと長いので、お忙しい方はUターンして頂いて構わない。
くだらない内容なので…。
ラーメン店、定食屋等で、それは多く目撃される。
「大盛無料」
僕はとある心理的な障壁があり、そのサービスを利用しない。
そもそも普通盛りで足りる、というのが理由の大半なのだが、その他の部分が分厚い障壁となって「大盛無料」の恩恵の享受を躊躇する。
例えば今この瞬間も、こんなやり取りが日本中のそこかしこで行われている。
お分かりだろうか。
僕はこの中のあるフレーズが、どうしても気になってしまうのだ。
「あ、じゃあ、お願いします。」
「あ、じゃあ…」
…「あ、じゃあ」って何なんだ。
いや、何なのかは分かる。
えーっと、まぁ、のような言葉同様、特に意味を持たない(であろう)、潤滑油的な言葉なのは理解できる。
僕も恐らくこの状況になったら、何の考えも無しに言うだろう、「あ、じゃあ」と。
実に「言いがち」なフレーズだ。
それでも、他人が言っていると、どうしても気になってしまうのだ。
話者の“隠された感情”が見え隠れするようで、とても気になってしまう。
この「あ、じゃあ、大盛りでお願いします」は、「あ、じゃあ、(中略)大盛りでお願いします」というように、何かが省略されているに違いない。
省略されている部分には、恐らく以下のような内容が含まれている。
細分化した上で、話者の気持ちを言語化し補足してみよう。
これを踏まえて、先ほどの注文の会話をノーカットでお送りする。
(上記のコピペなので適当に流してもらって構わない。文字数の圧を感じて欲しい。)
他方、「あ、じゃあ」を用いずに、最初から「A定食下さい。大盛りでお願いします。」と注文する人種もいる。
そう。
「大盛りでお願いします」と「あ、じゃあ、大盛りでお願いします」には、纏っている雰囲気に天と地ほどの差があるのだ。
前者は素直で良い。気持ちが良い。
腹減ってるし沢山食べたいから「大盛りでお願いします」。
是非とも食べて欲しい。
心配すんな、差額は要求しないぜ。
後者は言い訳がましい。
店内の至る所に「大盛無料」の紙が貼られ、何なら、メニューブックにも記載されている。
そしてさらに、彼が常連客ならば既知の情報でもある。
「大盛無料」の語句だけを無視して注文するなど、不可能に近い状況なのだ。
それにもかかわらず、自分から要求はせず、提案されたら「あ、じゃあ」を付ける。アホみたいに口を半開きにして。
「大盛無料」の事実にたまたま気付かなかったフリをして、「あ、じゃあ」と言う。馬鹿みたいな顔をして。
要するに、素直に「大盛りでお願いします」ということに照れているに違いない。
がっついていると思われるのが、食いしん坊だと思われるのが、無料に食いついたと思われるのが、恥ずかしいに違いない。
それ故、「あ、じゃあ」を付ける。
「あ、じゃあ」を言わずにはいられない。
…という、僕のようなひねくれ者が店員の中にいないとも限らない。
こちらの声を聞いている隣の席の客がそういうひねくれ者ではない、とも言い切れない。
そうして、僕は今日も通常量の、大盛りではない、普通盛りのA定食を注文するのだ。
一生、普通盛りのA定食を食べ続けるのだ。
たしかに大盛無料は客目線で言えば「得」かもしれないが、僕は別に損をしているとは思っていない。
もともと普通盛りで事足りるのだ。
損も得も無い。
こと食事の場においては、事象Aが得ならば対極の事象Bは損、という図式が、必ずしも当てはまるわけではない、と考えている。
一時期、そういった「大盛無料損得論争」もあったが、そんなのもどうでも良い。
微減した原価率と微増した利益率によって、僕が贔屓にしている店の寿命が延びるならば、このひねくれた/損な性格も捨てたものではない。
そう思いたい。
そう信じたい。
でも言ってみたい。
「あ、じゃあ、大盛りで。」と言ってみたい。
こんな性格だから生きにくいのよ。