「半田屋」について思うこと
その名は半田屋。
僕は宮城県仙台市在住だ。
仙台を語る上で避けては通れない飲食店がある。
決して「仙台に来るならこの店がオススメ!」という店ではない。
かと言って、もちろん「行かない方が良い」という店でもない。
いわば「仙台の象徴」。
それなりに多くの象徴はあるが、その中の1つとして紹介するべき店だ。
その名も『大衆食堂 半田屋』。
お世辞にも「グルメな店」とは言い難い。
お時間のある方はこちらで概要を(見なくてもいいよ)。
今から約64年前の1958年(昭和33年)6月11日、大衆食堂半田屋の前身となる「めしのはんだや」が仙台市の中心部に誕生した。
終戦後の闇市的な雰囲気の立地に「はんだやのメシはササニシキ100%」「安くて美味い物を心豊かにお腹いっぱい」のキャッチフレーズのもと、多くの仙台市民の胃袋を満たし続けた。
半田屋のシステム
入店したら入り口に積み重ねられたトレーを一枚取り、順路通りに進む。
通路にはショーケースがあり、棚には焼き魚や野菜炒め等の総菜、小鉢、納豆、卵などが所狭しと陳列されている。
食べたい料理をトレーに乗せ、カウンターへ向かう。
カウンター係の店員に「小と味噌汁」などと告げる。
「小と味噌汁」は「ご飯の小サイズと味噌汁を下さい」の略だ。
ご飯類を受け取ったらテーブルに着き、黙々と食べる。
黙々と食べていると背後から店員がトレーを覗き込み、食べている物を確認し伝票に記入する。
記入された伝票は無言でトレーの傍らに置かれる。
食事を終えたら下膳口にトレーを持って行き、出口付近のレジで伝票を渡し会計を済ませる。
愛想も何もあったものではないが、これが「伝統の伝票方式」と呼ばれるシステムだ。
現在は「伝統の伝票方式」は廃止され、料理を選んだ直後に会計を済ませる、他の飲食店でも一般的な「カフェテリア方式」が導入されている。
「はんだや三種の神器」
半田屋には「はんだや三種の神器」と呼ばれる3つの象徴(言葉)が存在する。
①「生れた時からどんぶりめし」
幼い女の子が口を大きく開けてどんぶりめしを頬張る写真と共に、この言葉がキャッチコピーとして現在も使われている。
②「貸借は友を失う」ゲーテ
カウンターで食事している時、顔を上げると目に入る場所に上記のような短冊が貼られていた。
※現在は無い。
ちなみに、ゲーテはこんなこと言っていない。
食事中に目にするには中々に重たい言葉だが、多くの仙台市民はここから貸し借りのリスクを学んだものだ。
③幻の「めし(大)」
半田屋の「めし」(ご飯)は下記のサイズから選べる。
ちょい盛/ミニ/並/小/中の順に量目は増える。
「ちょい盛」と「ミニ」、「並」と「中」は一緒じゃないのか、という気持ちも分かるが、多くの仙台市民にとってこれは問題ではない。
着目すべきは「小」「中」と来て「大」が無い点。
これには創業者の想いが込められている。
半田屋は終戦直後からご飯の盛りが多いことを店の特徴としてきた。
店舗上部に掲げられたメニューと伝票には、
「とても、くえない。(中)でたくさんです。」の言葉が書かれていた。
現在この言葉は店の中には見当たらないが、「お腹いっぱい食べたい」という、戦後を生き抜いた仙台市民の憧れや夢を象徴したものだった。
半田屋の価格帯
めし(ご飯):79~179円
味噌汁:66円
ライスカレー:276円
そば・うどん:184円~
ラーメン:276円~
かつ丼:362円
おかず:40円~(高くても200円台後半)
(執筆時点・税抜)
言うまでもなく、安い。
が、味はそれなり。(注:愛情を込めて書いている)
1,000円分食べるなど、拷問に等しい。
ちなみにこれらは殆どが常温で陳列されているので、会計後に店内設置の電子レンジで自分で温める。
おわりに
お金のない学生時代には散々世話になった半田屋。
大人になり行く機会も随分と減ったが、懐かしさから本日の昼食は半田屋に入った。
相変わらず安かった。
味はそこそこ。(注:愛情を込めて書いている)
今は店も随分と小綺麗になり、女性客も目立っていた。
肉体系仕事をしている方たちは概ね大きく盛られたご飯を掻き込んでいた。
見ていて気持ちが良い。
現在、半田屋は宮城県に8店舗、他にも北海道・青森・岩手・福島・埼玉・広島に店舗を構えている。
冒頭に書いた通り、決して「仙台に来るならこの店がオススメ」という店ではない。
言うまでもなく、牛タン定食や海鮮系を食べることを強くお勧めする。
かと言って、もちろん「行かない方が良い」という店でもない。
仙台に2週間程度滞在するなら、1回くらいは訪問してみるのも悪くはないだろう。
noteのネタ1回分くらいにはなる事をお約束する。
※投稿にあたり、(株)半田屋HP、Wikipedia内の情報を一部引用・参考にしています。