ついて思う渡邊について思うこと
日本語崩壊系タイトルを付けてしまった。
『ついて思う渡邊』とは、とある有識者の言葉を借りるなら、「note史上(おそらく)初の、名前も顔も知らない二人によるバーチャルお笑いコンビ(VOC)」である。
この説明文によるところの「2人」のうち1人は僕、もう1人は渡邊惺仁さんだ。
要するに、渡邊さんは「相方」ということになる。
有り難いことに、特定の界隈では何となく知名度も上がってきたような気もする。
この1ヶ月程コンビで取り組んできた企画がある。
「note-M1グランプリ(note-真顔で文字を書いて笑わせる1グランプリ)」という企画。
この結果発表が3/26に行われた。
詳細は↓の通り。
この企画に対する僕の思いも、審査員として参加者の皆さんの作品に触れた感想も、全てこの発表記事に集約されている。
改めてここで多くを語るのも野暮というものなので、一言、感謝の言葉だけ述べさせて頂きたい。
さて、我々「ついて思う渡邊」は、コンビで3本の記事を応募作品として投稿した。
個人記事を各1本、コンビ記事を1本の合計3本。
※コンビ記事についてはそれぞれのページに投稿したので厳密な記事数としては2つ。
どの作品にも多くの「スキ」や、コメント欄にもたくさんの感想や「便乗ボケ」を頂いた。
書き手としてこんなに嬉しいことはない。
しかし、何かがスッキリしなかった。
まぁタイトルに書いてしまったのでもう結論は出ているのだが、コンビそれぞれの名前を冠した記事は投稿したものの、コンビの名を冠した「思うこと」を書いていなかった。
よって、当記事のタイトルは
「ついて思う渡邊について思うこと」
こんなタイトル付けをしてみたものの、これといって今さら書くべきことが見当たらない。
名前イジリは一生分やった気がする。
とはいえ、最近こんなことを思う。
顔・本名・居住地・年齢・血液型・星座・その他諸々、全く知らない“相方”と1ヶ月程やり取りをしてきたが、存外、こんな情報など「実はどうでもいい」のかもしれない、ということ。
「こんな言い回しをしたら読者はどう思うか」
「こんなふざけ方をしたら喜んでもらえるだろうか」
「コメント欄で相方とどんなやり取りをしたら面白がってもらえるだろうか」
この辺の価値観や呼吸のようなものが、相方とはおおよそ一致しているように思う。
それで充分、信頼関係は構築出来る。
上記のようなプロフィールなど、文字通り輪郭にすぎないのだ。
運が良ければこの先、数十年は寿命が続くだろう。
僕は自分の寿命が尽きるまでの間に相方に会うことはあるだろうか。
もし会ったら第一声は何だろう。
「初めまして」だろうか。
いや、それも具合が悪い。
万が一そんな兆候が現れたら、その時に考えよう。
「ノリでnote上のコンビを組む」ということは、お勧めできない。
組んだ結果、「あれ、こいつ合わないな」と思うことなどザラにあるだろう。
そんなことになっても、辞めるに辞められない。
僕はたまたま恵まれていたのだと思う。
僕のように「良き相方」に出会える幸運なnoterなど、そんなに居ないだろう。