七夕について思うこと
今日は七夕。
離ればなれだった織姫と彦星が年に一度の対面を果たせる、ロマンに溢れる日だ。
…などと書くと、「ついにコイツ、体内時計が1ヶ月分くらいバグったのか。そうか、疲れてるんだな。記事なんか書かずに寝ればいいのに。」と思われるかもしれないが、仙台出身の僕にとっての七夕は、誰が何と言おうと8月7日なのだ。
この日付は“中暦”というやつなのだが、細かいことは知らないのであまり触れない。
ひと月前の全国一斉七夕デーである7月7日、皆さんは短冊に願い事を書いたりしただろうか。
大人になるとなかなか書くことも無かろうが、お子さんがいる家庭などはそういった機会も多いのかもしれない。
ところで…。
その願い事は「誰が」叶えてくれるのか。
神社ならば神様など、願いを乞う対象がハッキリしていそうなものだが、七夕における短冊の場合、担当者が曖昧なように思う。
七夕の由来は諸説あるが、一つだけ紹介する。
我が地元、仙台七夕のウェブサイトに掲載されている内容だ。
少々読みにくいので僕なりに優しい表現で言い直すとすれば…
めでたしめでたし。皆様、よい七夕を。
…では終わらせない。
この「川」の幅、資料は乏しいが最大でも500~1,000m程と思われる。
アパレル美女が毎日泣いていたのは事実として一旦受け入れよう。
しかし、「本当に」会いたい気持ちがあるならば、こんな距離は障害とも言い難い。
この程度の距離の移動もせずに“年に1回”という言いつけを律義に守るイケメン農業男子は、「本当に」他の364日を仕事に充てていたのだろうか。
「いや、でも、中国の漢水は流れの速さが○○で実際に渡るとなれば…」などという正論は不要。うるさい。
そういうのは他所でやってくれ。
自分の欲求を満たすために、大量のカラスを橋代わりに踏み付けるような男だ。
自分がイケメンであるのをいいことに、川向こうで他の美女と取っ替え引っ替えよろしくやっていたに違いない。ふざけやがって。羨ましい。
そしてここで明らかにすると、短冊に書かれた願い事を叶える担当者は、織姫である。
整理する。
選択すべき願いの種類は、「三味線を弾くのが上手くなりますように」「字が上手くなりますように」「裁縫が上手になりますように」くらいのものだ。
「身長が伸びますように」「イケメンの彼氏が出来ますように」を願うなど、愚の骨頂。
身長を伸ばすなど織姫の専門分野ですらないし、「イケメンの彼氏が出来ますように」など、年1回しかイケメン彼氏に会うことを許されていない織姫に要求すれば、どんな仕打ちが返ってくるか分かったものではない。
ましてや川の向こうのイケメン彼氏は、その面構えを武器に遊びまくっているかもしれないのだ。ふざけやがって。羨ましい。
試しに『七夕 願い事 誰が叶える』でGoogleに尋ねたところ一番上に表示されたのは…
随分と綺麗にまとめられてしまった。
つまり「各自で頑張れ」ということだろう。
無難にまとめられてしまった感はあるが、そういうことらしい。じゃあ「お願い」とは何なのか。ただの宣言じゃねぇか。
「お金持ちになりたい」「可愛い彼女が欲しい」「世界征服したい」などと書くのは自由だが、そうなりたければ自分でどうにかせい、という身も蓋もない話。
まぁ正論であり現実的な落とし所ではあるが、少々面白みに欠けるところはある。
…などということは我が家の2歳の娘には言えないので、全て撤回する。
離ればなれのカップルが年に一度デートを出来て、なおかつ、お星さまが願い事を叶えてくれる素敵な日。
それが七夕。
以上。
仙台市では毎年8/6~8/8の期間で七夕まつりが開催される。
今年は難しいかもしれないが、世の中が落ち着いた際には是非足を運んで頂きたい。
全く動きのない地味な祭りではあるが、それはそれで味わい深い。
こんな感じのが延々とぶら下げられている。