「心に響く」ということ
「心に響いた」や「感動した」ということがある
また、当然ながら逆も然りで「心に響かなった」や「感動しなかった」というケースもある
誰もが経験があるだろう
誰かの「心に響く」ものを量産できたらどれだけいいだろうか?
商売やものづくりに携わる人だったら永遠の課題だろう
答えのない問いだからこそ、様々な試みが生まれ、評価を得るものがあれば全く見向きもされないものもある
ここに面白い話があったのでピックアップしたい
工学博士そして大学で教鞭を執りながらミステリィ作家として有名な森博嗣先生が書かれた本の抜粋だ
森先生はこの後に「その良さがわからなかった自分」の理由を考えるべきだと続けている
そうしないと単に鈍いやつとして処理される可能性があるため、自分の感性を防衛する意味でも一度なぜ?をした方が良いということだ
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「固有周期」なるものがもし人それぞれにあったらという話になるが
あながち無いとも言い切れないなと思う
ひと昔前に「バイブス」という言葉が流行った
もうあまり使われてないと思うけど
「あの人とバイブスが合う」とか「バイブスを上げる」とか
そんなような使い方だったと思う
波長が合うとか、波長を上げるとか
そんな感じで置き換えることもできるだろう
要は「気が合う」とか「個人や気が合うもの同士気持ちを上げる」とかだ
僕はこの「人の固有周期」と「バイブス」は
かなり近いニュアンスに思った
「共振」は故障の元になるため建築物や機械では避けられがちだが
こと人間同士だといかがだろうか
この人とは何か気が合うなとか、理解できる、共感できるになるのだろう
つまり自分の波長と合っている状態である
そしてその「共振」する周波数にカチッと合った時に「心に響く」になるのだろう
それは人付き合いの中かもしれないし、旅やモノ、もしくはコンテンツに触れた時かもしれない
反対に自分の持っている帯域ではない周波数は共感しないし
人付き合いだと、なんだか気が合わないなぁになる
僕はこの「人の固有周期」なるものは材料などと違って
限定的な帯域だけではなく
もっとまばらでたくさんあるのだろうと思う
そしてその一つ一つの帯域は狭い
この帯域を持っている数が少ない且つとても狭いと
自分の考えに固執して視野が狭くなるように思う
人に共感する、分かり合うという感覚が減るのだ
そういう人に会うことはしばしばある
別に無理に分かりあう必要はない
共感はできなくともなんとか理解はできるというくらいの帯域をたくさん持つことでそういう人に対する自分の行動にも変化はあるのではないだろうか
そういうたくさんの帯域を持つためにはやはり多様な経験をするということが重要に思う
少しづつ少しづつ増やして広げていくしかない
また、森先生も本で書いているが理解ができないポイントをなぜ理解ができないかを一度考えてみる
ぼんやり理由が見つかったら前進している証拠なのだと思う
客観視ともいえるかも知れない
共振、共感する帯域が増えて
色々な場所で色々な人と色々な形で「心に響く」感動を心底共有できたほうがやっぱり人生は楽しそうだ
そんな豊かな人生に憧れる
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