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書きゃなきゃなー 書きたいと思いつつ

色々思うことが多いと、逆にまとまりがつかなくて書けない。

つまりは、こちらと…

こちらについての感想。

後者について、白饅頭さんが、おそらく登場人物の少年にインスパイアされる形でnote記事を書いておられた。

僕は、沼田牧師をガン詰めにする入院中の担当医の振る舞いを非常に興味深く読んだ。思考をアウトプットして第三者的に見直す、というのもかなりの心理的ストレスなのだけれど、その思考の「理路」を一々説明するように求められ、さらには悪罵されるシーンがある。長めに引用してみる。

「先生、あなたは今さぞかし、わたしに自分のありのままを受け入れて欲しいでしょうね。『今までよく頑張ったね。おつかれさま。あなたは悪くないんですよ』と慰めてもらいたいんでしょう?  そうやって労ってもらいたいでしょうね、みんな周りのせいにして。でも、ここでやるべきことは、それじゃあないんですよ。あなたがこれまで積み重ねてきた挫折の数々。あなたはそこにある共通点を見つけ出し、見つめ、内省を深めなければならないんです。そうでなければ、あなたはこれからも同じ挫折を繰り返すだけです。あなたはなにも変わらないでしょうね。ほんとうに変わりたいのであれば、あなたは自己の内面を見つめ、なぜ今こうなっているのか、自らの思考の癖について、考えを深めていかなければならないんですよ。それができないというのであれば、治療はここでお終いです」
—『牧師、閉鎖病棟に入る。』沼田 和也著
https://a.co/gKUVHyb

きつい。これはキツい。沼田牧師の身長がどのくらいか知らないのだけど、例えば患者さんが筋骨隆々の巨漢だったときに同じようなスタンスで接することが出来るだろうか、と、(臨床医サイドで)我が身に引き較べて感じてしまう。というか、自分が患者サイドなら担当医の撲殺未遂にまで至っていたかもしれない。

少しだけ、咀嚼できていない個人的な体験を書く。かつて精神科医志望だったころ(すべての医学生は一度は精神科医を志すものです:偏見に基づく観察事実)、夏季休暇にいわゆる「デイケアサービス」に日参して、患者さんたちと同じ作業療法に従事しつつ、雑談めいたことをしていた。

同じ年代(少し僕よりも上の学年)のKさん、という患者さんがいらっしゃった。Kさんは、都内の中高一貫私立進学校に通学中、統合失調症を発症し、高校で中退して闘病の末、デイケアに通える程度まで回復された方で、こちらが関西の中高一貫校出身であることから、親しみ(ただし表面的な)を持たれて話しかけられることがしばしばあった。

例えばこんな感じ。

「ハギノくん、ヘッセの『デミアン』読んでどう思う?」

これも結構ツラい。親しみと、(病気がなければ自分も辿れていたかもしれない道を行くものへの)やっかみを込めた諮問のように、当時の未熟な僕には響いた。そのこともあって、うっすらとデイケアから足が遠のいていき、今のリウマチ科医としての自分がある。どうなんでしょうね。
何かから逃げた感じのみが、咀嚼できずに残る。

じじゅつかいせん(噛んだ)について、むしろ16巻より前に漏瑚が言っていた

「100年後の荒野で笑うのは儂である必要はない
  呪いが人として立っていればそれでいい」

という話について書こうと思ったけれど、今日はここまで。

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