二度と共感したくない映画


遡ること5年、2019年4月

「愛がなんだ」

高校生だった私はある1本の恋愛映画に出会う。
その映画の存在を知ったのは同年9月頃、当時お付き合いをしていた男性と私が偶然にも成田凌のファンだったため、幾度となくこの映画を再生した記憶が蘇る。
そしてその映画を見る度に私たちは、こんな恋愛はしたくないだとか、クズと付き合うとこうなる、なんて万人が口にしそうな薄っぺらい感想を述べていたのだと思う。

5年前の記憶、もう忘れているものかと思っていたのに、やはりそんな簡単にはいかないもんだ。
あんなにも大切で憎かった記憶が5年を経てようやく細かな内容を忘れた程度である事実が恐ろしい。  
多くの人間は何事も時が解決すると決めつけるが、その期間は人それぞれであり、なんだかんだ私は日当たりのいいコーヒーと煙草の匂いのするあの部屋を、そしてこの映画も一生忘れられないのだろう。

私が考えるこの映画の最大の魅力は、どこにでも溢れかえってしまっているどうしようもない恋愛をただドキュメンタリーとして切り取ってきたような映画だという点。
これは、一見すると映画として作り込まれていないからありきたりな恋愛映画で有名俳優に頼り切りになるんだと後ろ指を指す人もいるだろう。
そんな人たちは恋愛においてとても恵まれている方達だと私は思う。キラキラしたハッピーエンドの恋愛映画のようなものはどこにでも溢れている訳では無い。むしろ、どうしようもない恋愛ばかりで世界は満ちていると思う。

私と同じような女性はきっとこの映画を見て悲しくなるのではなく、きっと自分にもここまで人を愛せることができた事を思い出すのだ思う。
それさえもできなくなった今、5年経った今、私はこの映画のヒロインが羨ましくて堪らないのだ。
 
恋愛映画というジャンルは、大きく2つに分けられると考える。つまり、万人が好きなハッピーエンド、これまた万人受けするお涙ちょうだい映画である。
「愛がなんだ」はジャンル分けするとなるときっと後者なのだろう。
この映画を鑑賞し、何度も既視感がある場面に出会う。その情景を思い出す度に、まだ私の時はその瞬間から1ミリも進んでいないままなのだと自覚する。
実際、これは思い込みなどではなく事実なのだと思う。

では、5年を経て何を得られたのか、そういった観点で物語を進めるとするならば、私はすごく得たものがたくさんある。それを得たと捉えるか、感情が乏しくなったのかと捉えるかは個人の自由ではあるが、昔と違い前向きな方向で捉えていきたいと思うのでここでは経験として得た力だと思うことにする。

そしてこれもまた私が得たものの一つである。

長々と自分語りをしてしまう、悪い癖、私も歳をとったのだ。


この映画、結局おすすめはしない。
だって、本気で人を愛することを知らない方が私は幸せだと思うから。

らる


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