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「祭り」は「エネルギー源」だった【儀式論 第三章 祭祀と儀式】

第三章は「祭り」についてです。

祭り…といえば
なんとなく楽しそうなイメージが
ありますよね。

ただ、あれば楽しいですが
無くても困らないもの…という気もします。

ですが実は、かつて「祭り」は
無くてはならないような
重要な意味をもつものだったんです。

「祭」という漢字の由来

そもそも祭りというのが
何を意味していたのか

それは漢字の成り立ちを
知ればわかります。

「祭」という漢字は介意文字であり、又、肉、示から構成されている。「右手(又)」「切った肉」「神にいけにえを捧げる台(示)」の象形から「いけにえの肉を神にまつる」を意味する。

P87

もともとは、楽しく騒いで遊びましょう!
…みたいな意味ではなくて

神に対しての奉仕の意味合いでした。

何を奉るかはお祭りによって
色々あるわけですが
いずれにしても

超自然的存在に対する祈願、崇敬、感謝、謝罪の意思を表明する行為

P88

であるという事だったわけです。

そして実は、この「まつり」を
行なうことは、人の生命力回復にも
役立っていた…
と言います。

「まつり」は、民俗学の「ハレとケ」の概念でも知られる。「まつり」は「ケ(褻)」(=日常)に対する「ハレ」(=非日常)である。「ケ」が続き、日常の生命力が枯渇すると「ケガレ(褻枯れ、気枯れ)」となる。そこで定期的に神を迎え、神の力にふれて生命力を振るい起こすためにも「まつり」が必要となるのである。つまり祭りは日常生活のエネルギーを補給するための特別な空間と時間を象徴するものとなっていた。

P88

祭り=非日常であり
日常で枯れたエネルギーを
回復するのは祭りの役目だった

というわけです。

この文章を見たとき
「まつり」をやらない人間は
どうなっているんだろう
…と

枯れた生命エネルギーを
どのようにして回復しているんだろう?

と、疑問に思ってしまいました。

特に、近年は何をやるにも
自粛ムードだったわけで
現実には「まつり」が
しづらい環境であった

思います。

…であれば、きっと
ネット上で起こっていた現象の中に
エネルギーを回復させる「まつり」が
あったのだろう
…と思って考えてみると

YouTuberのライブで投げ銭をすることや

SNSで「生贄」を燃やすことや

オンラインコミュニティーで盛り上がること

…といったことが
「まつり」の代わりになっていたのかな
という気がしました。

「まつり」には
日常で枯れたエネルギーを回復させる力が
あるということなので
疲れている人は「まつり」に
参加してみると、いいのかもしれませんね。

まとめ

「祭」という漢字は
いけにえの肉を神にまつる
という意味で成り立っている

「祭」には
日常で枯れたエネルギーを
回復する役目がある




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