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宗教、哲学、科学の大元は…【幸せになる勇気】

昔は科学的根拠ばかりを求めていた気がします。
らるです。

今日は、言葉の違いの話です。

あなたは、「宗教」と「科学」というと
真反対の言葉…だと感じませんか?

私自身も、実はそう感じていました。

ですが、実は
同じ出発点から来た…という話を
していきます。



宗教も、哲学も、そして科学も、出発点は同じです。わたしたちはどこからきたのか。わたしたちはどこにいるのか。そしてわたしたちはどう生きればいいのか。これらの問いから出発したものが、宗教であり、哲学であり、科学です。

『幸せになる勇気』、P28

言われてみれば、なるほど…と思える話です。

わたしたち自身が、

どこからきて
どこにいて
どう生きればいいか

この問いは、何年経っても無くならない
不変の問いで、
私自身も特に「どう生きればいいか」の問いは
ずっと考え続けています。


さて、では、同じ出発点をもつ
「宗教」「哲学」「科学」では
何が異なってくる
のでしょうか。

客観的な事実認定にとどまる科学と違って、哲学や宗教では、人間にとっての「真」「善」「美」まで取り扱う。
(中略)
宗教は物語によって世界を説明する。言うなれば神は、世界を説明する大きな物語の主人公です。それに対して哲学は、物語を退ける。主人公の居ない抽象の概念によって世界を説明しようとする。

P29

客観的な事実 → 科学
主観的な真善美まで含む → 宗教・哲学

これが科学と宗教・哲学の区分けだというわけです。

確かに、言われてみればそうですよね。

誰から見ても、「そうだ」と納得できるものが
科学になります。

それ以上の、特定の人にとってしか
納得できない部分を含んでいるものが、
宗教・哲学だというわけです。


そして、さらに、宗教・哲学を
分けるポイントが「物語」で

物語で世界を説明(神が主人公)→宗教
物語を退ける(主人公はいない)→哲学

という分かれ方になります。

もっと言えば

神が語ることで「納得」しているのが宗教 で
立ち止まらず自ら考え続けるのが「哲学」
とも言えるでしょう。


個人的には、この分け方は
とても納得がいきました。

宗教を強く信じている人の話を聞いていると
その人の考えること、行動することの前提が
全て「神」の教えが根拠になっていて
それ以上のことは必要ないんだな
…と
感じていたからです。

もちろん、それが悪いとは言いません。

考えてばかりでは動けませんし
動かない人に幸せは来ません。

理屈はどうあれ
人は自分の欲求が満たされれば幸せになります。
(他者に貢献したい…という欲求や
 自己の重要感を満たす…という欲求も含め)

神の教え、という根拠を強く信じることで
行動に踏み切り、本人が幸せになれるなら
それはそれでいい
のだと思っています。


ただ、宗教が、人間の主観的な真善美に
関わる
ものな以上、
神の教え、も、自分に100%合っているか
…と言われれば
そうではない部分がある
はずです。


私としては、広く受け入れられている宗教を
否定することなく、ただ、すべて無批判に
受け入れるでもなく
自分なりに考え続けていく…
哲学的な生き方をしたいと思っています。


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