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儀礼と儀式の違い【儀式論 第一章「儀礼と儀式」】

今日は第一章
『儀式と儀礼』を紹介します。

儀式と儀礼って?

儀式と儀礼って
何が違うんでしょう?

辞書的な意味としては

儀礼:社会固有の礼を示すもの
儀式:儀礼を具体化するための個々の行事

これでも、何だかイマイチ、ピンときませんね。

言い換えている部分があるので
そちらも紹介します

儀礼とは文化を文化たらしめるもの、限りなく「文化」の同義語に近いものと考えることができる。そして儀式とはそれを具象化するもの、つまり文化の「核」になるものと言ってもいいだろう。

P6

つまり、
儀礼=文化
儀式=文化の「核」

ということです。

こうなると、かなり身近なものに
感じられてきますよね。

「文化…って言うと身近かもしれないけど
普段からそんなに儀式とか儀礼ってある…?」

という疑問がある方もいるかも
しれませんが、
アメリカの宗教学者W・R・コムストックに
よると

「儀式」という言葉は、広い意味に解釈すべきであって、手の込んだ公的な儀礼もさることながら小さな社会単位で行われる簡単な動作、例えば、食事の前に家族が互いにお辞儀をかわすこととか、二人の友人が出会うと握手をすることなどの所作も含んでいると考えるべきである。

P3

ということで

お辞儀も、握手も儀式なんです

先ほどの、儀式=文化の核
という話も合わせると

家族間の食前のお辞儀も
友人と出会った時の握手も
文化の核

ということになります。

こうなってくると
私たちが普段何気なく行っている所作に
私たちの「文化の核」があることに気づいて
ちょっと面白い気がしてきます
ね。

カタとカタチ 道と悟り

第1章の中で、個人的に面白かったところを
もう一つ紹介します。

芸能や武道には規範となる「カタ」があります。
それを具体的な実践=「カタチ」にするためには
「カタ」を完全に表現する必要があります。

規範である「カタ」の完成版が「カタチ」
というわけです。

カタは時代を経て継承され、洗練されることでカタチとなり、やがてその実践が「道」となるのである。「カタからカタチへ」いたる実践過程、その道程こそが「道」である。
 宗教では、「悟り」という精神的境地が求められる。倉林によれば、これは「カタチからカタへ」の過程に属するものと考えられるという。「悟り」は会得の方式の中において見出される境地であり、それは実践の後にはじめて到達する深甚なる境地なのだ。

P41

規範となるカタを、
洗練して具現化してカタチ
にする
その実践の過程が『道』

さらに、実践による「カタチ」から
もう一度抽象的な「カタ」を見出す境地

それが『悟り』だというわけです。

自分なりの悟りの境地…というのは
少し憧れてしまうところがありますが
それは、考えて辿りつくような
ものではなくて


規範の具現化する実践を行い
「カタチ」を作った上で
さらにその先の実践の中で
見つかる境地なんだな
…と

まずは規範に従って
「カタチ」を具現化するところから
やる必要がある、ということですね。

まとめ

儀礼と儀式は「文化」と「文化の核」である

儀礼は文化であり
儀式は文化の核である

日常の、食事の前のお辞儀や友人との握手も
一種の儀式である。


「悟り」にたどり着くには
実践の中で「カタチ」から「カタ」を
見いだすことである


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