神話とは意味なきものに意味を与えるもの【儀式論 第二章 神話と儀式】
今日は第二章 神話と儀式について
神話…っていうと、どんな印象を
もちますでしょうか?
私としては、「作り話」という
イメージが強くて
特に重要とは思っていませんでした。
ですが、どうも、
人間が生きる上では
非常に大きな意味のあるもの…
というよりも、むしろ
神話が生きる意味を与えてくれる
というもののようです。
…
神話と儀式
様々な人の発言が紹介されていますが
要は
「神話」は「儀式」をやる理由を
与えているものだ
というわけです。
第一章の話で出したように
「儀式」=「文化の核」ですから
https://note.com/raru3105/n/nd1d7663209a4
「儀式」をやる理由付けが
「神話」によってなされるなら
「神話」は、私達の文化を
作っている大元といっても
いいかもしれませんね。
…
神話と夢想と秘儀
この章にも面白い話が
多く紹介されています。
その中から一つ
現代、生きることが困難になっている理由
について書かれているところを紹介します。
ルーマニアの宗教学者
ミルチャ・エリアーデの
『神話と夢想と秘儀』についての文章です。
神話は規範であり
あらゆる行為に影響していた
ただ、現代は神話が欠乏している
そのため、現代の人は病んでいる
…という話です。
「そうか…神話が無いから
病んでいたのか…」
という感じですね。
私たちが従っているあらゆるものに
意味が無い、というのは
ニーチェも似たようなことを
言っていますが
その意味が無いものに
意味を与えていたものが
神話だったわけですね。
神話がないと
生きる意味を見失って
病んでしまう
…というわけです。
…
この流れでもう一つ
「不死」についての話も
興味深かったので紹介します。
通過儀礼=イニシエーションの話から
入っていきます。
子供として死ななければ
大人になれない
肉体的痛み、精神的試練で
ある意味「死」を通過しなければ
社会的な個にはなれない
そう言っているわけです。
そして、この「死と再生」が
不死の話に繋がっていきます。
子供から大人になるときのような
通過儀礼を越える時と同じように
一度死んで、蘇る
これをひたすら繰り返し続ける
そんな状態を不死と言っているわけですね。
なかなかハードルが高そうですが
いわば「常に死に続けている」訳ですから
逆に「死ぬのが怖くない」とも
言えそうです。
生物として死ぬことは避けられませんが
少なくとも「死の恐怖」からは
離れることができていそうです。
そして著者は、この話を
以下のようにまとめています。
不死…の状態を可能にするのが
神話や宗教であり
現在はどちらも薄くなってしまった
だから、現代日本は生きにくい
そういう主張になっています。
ここまで言われると
「やっぱり神話や宗教って必要なんじゃ…」
と思ってしまいますね。
…
まとめ
神話は儀式をやる意味を与えているもの
通過儀礼は、一種の「死と再生」だった
より良く生きるためには、このような
「死」をつねに意識することが必要だが
それを可能にしていた神話や宗教は
現代日本では希薄になってしまった
だから現代日本は生きにくくなっている
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