
神話とは意味なきものに意味を与えるもの【儀式論 第二章 神話と儀式】
今日は第二章 神話と儀式について
神話…っていうと、どんな印象を
もちますでしょうか?
私としては、「作り話」という
イメージが強くて
特に重要とは思っていませんでした。
ですが、どうも、
人間が生きる上では
非常に大きな意味のあるもの…
というよりも、むしろ
神話が生きる意味を与えてくれる
というもののようです。
…
神話と儀式
神話と儀式には深いつながりがある。そして、ともに文化や宗教、民族のアイデンティティを代表する存在でもある。
p43
「なぜ儀式を行うか」を説明するために神話を創り出し、それを祝うためという理由で儀式を行うようになった
P43
神話の果たすべき役割とは儀式に重みをあたえること、人々にそれを信じこませ、必要なもの、あって当然なものと思わせることにあるからだという。
P44
様々な人の発言が紹介されていますが
要は
「神話」は「儀式」をやる理由を
与えているものだ
というわけです。
第一章の話で出したように
「儀式」=「文化の核」ですから
https://note.com/raru3105/n/nd1d7663209a4
「儀式」をやる理由付けが
「神話」によってなされるなら
「神話」は、私達の文化を
作っている大元といっても
いいかもしれませんね。
…
神話と夢想と秘儀
この章にも面白い話が
多く紹介されています。
その中から一つ
現代、生きることが困難になっている理由
について書かれているところを紹介します。
ルーマニアの宗教学者
ミルチャ・エリアーデの
『神話と夢想と秘儀』についての文章です。
神話はリアルでかつ神聖であるゆえに典型となり、人間が繰り返しうるものとなる。そうしてひとつの模範として、と同時に正当化の手段として、あらゆる人間的行為に波及する。
(中略)
つまり神話とは生きた歴史であり、いつでも体験できる規範なのである。
P76
伝統的な社会に比較すれば現代社会は神話に欠乏しているように思えると述べている。現代社会の病患と危機とは、まさにその適切なる神話の欠如に帰せられるのだとさえ主張している
P77
神話は規範であり
あらゆる行為に影響していた
ただ、現代は神話が欠乏している
そのため、現代の人は病んでいる
…という話です。
「そうか…神話が無いから
病んでいたのか…」
という感じですね。
私たちが従っているあらゆるものに
意味が無い、というのは
ニーチェも似たようなことを
言っていますが
その意味が無いものに
意味を与えていたものが
神話だったわけですね。
神話がないと
生きる意味を見失って
病んでしまう
…というわけです。
…
この流れでもう一つ
「不死」についての話も
興味深かったので紹介します。
通過儀礼=イニシエーションの話から
入っていきます。
イニシエーションにおいてポイントになるのも「死と再生」のモチーフである。子供の自分が死ぬことによってしか、大人としての生は得られないのである。そして、肉体的な痛みや精神的な試練を怖れる存在であるかぎり、社会的な個としての生存は認められない。
P79
子供として死ななければ
大人になれない
肉体的痛み、精神的試練で
ある意味「死」を通過しなければ
社会的な個にはなれない
そう言っているわけです。
そして、この「死と再生」が
不死の話に繋がっていきます。
もしひとがすでにこの世で死を知っていたなら、もしひとが別のものに再生するために絶え間なく無数に死ぬならば、——ひとはすでにこの世で、この地上で、この地上のものではなくて聖なるもの、神にかかわるような何ものかを生きるということになる。
(中略)
不死はもはや、死後の生存と考えられるべきではなく、ひとが絶えずつくり出してゆき、そのために準備をし、またいまから、すなわちいまこの世界においてひとがかかわり合うひとつの状態として考えられるべきなのだ。無死つまり不死とは、ある限定的な状態、すなわちひとが自らの全存在をかけて努力し、不断に死に、かつよみがえることによって征服しようと努力する理想的な状態なのだ
P79
子供から大人になるときのような
通過儀礼を越える時と同じように
一度死んで、蘇る
これをひたすら繰り返し続ける
そんな状態を不死と言っているわけですね。
なかなかハードルが高そうですが
いわば「常に死に続けている」訳ですから
逆に「死ぬのが怖くない」とも
言えそうです。
生物として死ぬことは避けられませんが
少なくとも「死の恐怖」からは
離れることができていそうです。
そして著者は、この話を
以下のようにまとめています。
つねに死を意識することがよく生きることであり、それを不断のものとするのが神話であり、宗教における秘儀であるとすれば、そのどちらの存在も希薄になった現代日本社会において生きることが困難になりつつあることは決して偶然ではないと言えよう。
不死…の状態を可能にするのが
神話や宗教であり
現在はどちらも薄くなってしまった
だから、現代日本は生きにくい
そういう主張になっています。
ここまで言われると
「やっぱり神話や宗教って必要なんじゃ…」
と思ってしまいますね。
…
まとめ
神話は儀式をやる意味を与えているもの
通過儀礼は、一種の「死と再生」だった
より良く生きるためには、このような
「死」をつねに意識することが必要だが
それを可能にしていた神話や宗教は
現代日本では希薄になってしまった
だから現代日本は生きにくくなっている