見出し画像

【江戸時代】「五人組」は連帯責任…だけじゃない!

『五人組』というと
年貢に関する「連帯責任」
イメージが強いと思いますが
相互扶助組織としての側面もありました。

五人組は、村内で五戸前後を組み合わせてつくられた組織です。一七世紀に幕府・大名が治安維持・年貢納入の連帯責任を負わせるために設定しました。しかし成立後は、五人組構成員の相互扶助組織として、積極的役割を果たした点も重視すべきです。

『百姓の力 江戸時代から見える日本』 Kindle 1552/2901

また、相互扶助の枠組みとしては
『同族団』もありました。

協力互助関係にある同族の集団。本家・分家の系譜関係で結ばれている家の集団。奉公人などの非親族分家も含む。同族。

デジタル大辞泉解説より

こちらは、本家・分家といった
血族の関係です。

『五人組』での相互扶助、
『同族団』での血縁関係の相互扶助
そして『村』での相互扶助

画像1

一つの家が、何重もの相互扶助に
囲まれている形
になっています。

江戸時代がいかに助け合いの時代だったか
ということが分かります。

これらの集団の中では
以下のようなことが行われていました。

同じページから引用します。

村の金を支給または貸与したり、村が住居や仕事を世話したりしたのです。たとえば川縁の村では、困窮した村人に、村人を対岸にわたす船頭の仕事を務めさせました。あるいは村内の連絡係を任せることもありました。村の仕事を任せて給金を支払うことで、その生活を成り立たせようとしたのです。また、村の有力者が困窮者に金品を与えたり、有力者の家で吉凶があった際に広く金品を配ることもありました。これらは一見、有力者の個人的な行為のようですが、背後にはそうした行為をうながす村の力がはたらいていたのです。

お金、仕事を扶助の一環として配る

それは村単位だけでなく
個人の有力者もそうしていました。

助けることが当たり前

という風潮があったということです。



現代隣の家の人が困っていても
自分には関係ない…
という場合が
殆どかと思います。

江戸時代のように
多重に助け合いの仕組みが
張り巡らされた状態
とは
かけ離れています。

それは、近所・親族の
助け合いが無くとも
生きていける便利な時代…と
言うこともできますが
やはり、少し寂しさも
感じてしまいます。

もう少し人との繋がりを
見直してみても良いのかな…
という気がしました。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!

コメント・いいね・フォローを
してもらえると、
めっちゃやる気が上がります!

毎日更新していきますので、
今後とも宜しくお願いします!





いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集