アルトー、ある狂気の闊歩
ある強烈な狂気が20世紀前半のフランスを闊歩していた。
その詩は限りなく鮮烈、例えようもなく激烈で、また何より奥深くから噴出する振り絞る叫びであった。
眼前に立ちはだかる現実に常に裏切られては、その都度攻撃性を打ち出し、エクリチュールに、デッサンに、演劇にと、無数の表現様式を自在に駆使して自らの存在の根源的な可能性を問い続けた。同時代人に理解されることは皆無に等しかった。しかしその死後、今に至るまでの影響力の大きさは計るに難く、甚大だ。その存在の特異点に穿たれた痕跡は、時代の混迷度が増すにつれ、われわれにますますはっきりとその力強さを見せつける。
精神病を煩っているという理由から、幼き頃より病院での治療を強制され、何度となく入退院を繰り返した。フランスはロデーズの病院に収容された時には、今からすれば荒唐無稽と思えるものの、当時は効果があると考えられていた電気ショック療法を何十回と施され、肉体的痛みに直に晒された。
また重度の麻薬常習者でもあった。阿片、ヘロイン・・・何度も止めようとしては回復のための施設に入り、結局はそこから逃走して麻薬を摂取し続けた。歯はボロボロになり、体は蝕まれた。
そんな現実に身を起きながら、想像の世界に逃げ込み、安住するということからはほど遠い生涯を送った。現実と想像が不可分に結び合わさった地点から思想し、その域から逸脱することは決してなかった。知性というにはあまりに攻撃的で、グロテスク。打撃を与えることが、唯一の至上命題だった。
そこで問題にされたのは常に「身体」だった。言葉が想像に向かって走り出すことを頑と拒絶し、一個の生としてある身体にこだわり続け、その可能性を既存の価値観を完膚無きまでに捨て去ったところから探求しようとした。その徹底ぶりは険峻に聳え立つ山の孤高性をたたえている。言葉の表象/反復作用を否定して、身体から沸き起こる言葉というものを表象行為という媒介からは無縁に、限りなく直接的に存在に到達しようとする。身ぶりとしての言葉。反キリスト。いつも理解を拒絶する、不可能性の可能性。
立ちはだかった暗黒の闇。妥協を許さぬ厳粛な詩性。
その男は、アントナン・アルトーといった。
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