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カメラと写真からジェンダー。

デジタルカメラとフィルムカメラ
お互いにカメラであり写真を撮れます。

カメラが体、写真が心として…

〈 デジタル を 男性 〉

〔 フィルム を 女性 〕

に置き換えて考えてみましょう。
なぜこのように選択したかは、
ここは割愛します。

そもそもこの文章を起こす経緯に至ったのは、
ふと目にしたInstagramに、

#デジタルでフィルムを再現したい

というタグをつけて写真を投稿してたのを見たからです。
外人の女性がジェンダー?について論議してる動画(名前分かんないです)(私が見かけたのは、画鋲食ってる方がマシとかなんとか和訳されてた)
ストーリーにはそんな事が記されてて
そしたらなんか飲み込めなくて、今に至ると。

横文字の用語(?)も日本語にしたらその動画(一部)は、

**『 男性目線で自分にとって都合の良い女性らしさを見繕って、
「私はトランス“女性”です」ってなるのは、理解に苦しむ(?)疑問が残る(?)
これは、社会のなかで男性が女性に当てつける偏った固定概念を振る舞っている事と変わりなくて、
それが、私たちと同列で“女性”なら
現代社会で女性が暮らしてる中の
耐えたり、苦労したり、抑えてる事とかを見過ごしてかき消されてしまう。
なのに、どうして“女性”と言い張れるの?
女性を装った男性で充分で、
女性であるのかという事と結びつけるのは違うのでは???**

という風に読み取れました。

さて、ここからカメラと写真の話に戻しましょう。

時代はデジタル全盛でございます。
カメラアプリや本体設定などで
チェキや写ルンです風だの、フレア(光線)が入ってエモいだの、
ノスタルジックを取り繕った“デジタル写真”
(適切な表現が見つけられませんでした。)
をよく目にします。

これは…
(あえてです。この表現を私自身は望まないです。純粋な関心や興味のきっかけを摘みたくないので…)、
フィルムカメラや撮った写真への
搾取や抑圧ではないかと思うんです。←

フィルムを買う、現像する、プリントまたはデータ化して写真になるというお金や時間や工程を知ってか知らずか、デジタルを駆使してその手間とも取れる部分を省き(?)不可視化して、
#デジタルでフィルムを再現したい
(フィルムの風合いに加工編集を経てご自身の中で納得されて再現して投稿している)
のは、上の枠内の太字に共感得てる人の振る舞いにしてはとても理解に苦しむなぁ…って感じました。

フィルムにはフィルムの良し悪しが、
デジタルにはデジタルの良し悪しがある訳で。

それらの特性に理解を深めて尊重してお互いに、お互いを向き合えばいいのに。

結びになりますが、
割愛したデジタルとフィルムを男と女に振り分けた理由は、私の中で説明しやすかった都合です。
ここまで読んで下さった方の性別はもちろん存じ上げませんし、はてなを浮かべながら読んだか、頷いて読んだかも分かりませんが…

個人的なお話にお付き合い下さりありがとうございました。








上はフィルムで、
下はデジタルで、

でも、私の写真にはかわりないじゃない。

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