私はどちらかといえば翠に感情移入しながら拝見してました。 なんか、切なくて。 だって、目の前にいる私には悩みを打ち明けないし(謎の金木犀には伝えられるのに)、帰り道は他の人に取られちゃうし、 でも、キラキラ可愛い姿見てたら引き止めるなんて事も出来なくて。 知ってるのに。知ってても、私から聞くのはおかしい(それ以上は言えないみたいな冷静さがはたらく?)から桂の口から伝えてくれるのを待ってるのに。 私に向かない好意を、 寂しさで確かめた他で埋まらない好意を、 金木犀のせいにして留
私の体は男である。 制服とか女性を意識する様な装いを 身に纏ったところで はっきりと私の体の輪郭をなぞって 男である事を確かめさせてくれる。 そもそも、 女性が行う様な入念なケアをしている訳でも 無い私がする事ではない。 1ヶ月の中で特定の周期で痛みに身体や心を悩ませる事もない。 新しい命が自分の身体に宿ることもない。 異性から同意のない性的な目で見られた経験もない。 もっと今の私じゃ知り得ない事とかを踏まえた上で、ご自身と向き合い、健康を整えたりしながら活躍されてる女性に
デジタルカメラとフィルムカメラ お互いにカメラであり写真を撮れます。 カメラが体、写真が心として… 〈 デジタル を 男性 〉 〔 フィルム を 女性 〕 に置き換えて考えてみましょう。 なぜこのように選択したかは、 ここは割愛します。 そもそもこの文章を起こす経緯に至ったのは、 ふと目にしたInstagramに、 #デジタルでフィルムを再現したい というタグをつけて写真を投稿してたのを見たからです。 外人の女性がジェンダー?について論議してる動画(名前分かんな
わんと言えば、たった1つ。 取って代えられない。 私の背中をあなたは見れますか? ご自身の背中をあなたは見れますか? ご自身以外の背中は見れると思います。 ただ、私の背中を私が見ようといくら覗き込んでも見れないのではないでしょうか。 やってみました? 五感を使って今と向き合う私が“前”なら それまでの私が“後ろ”にいます。 その…“後ろ”、つまりそこに至るまでの過去がそれぞれにあります。 それが、ここで言いたい「背中」です。 私の背中はどうなってるんでしょう。 見せ
という2冊を買った。私の中のメカニズムというか、仕組みというか何か図面に書いてくれる感じになった。 今回は「私」と「自分」の話。 どこまで綴るべきか。最初に。 私は縁に恵まれてると言えます。 育ててくれた家族。 一緒にいて心あったまる友達。 行き詰まった時や、仕事ややりたいことへ努める私に向き合って時間割いて貴重なお話をしてくれる諸先輩方。 学びをうけた先生。とかとか。 今日もこうしていられるのは周りにいる人のおかげで成り立っています。 いつも、視界の頭の片隅に置
いや、なんか始めようか悩んでたけどふつふつと。拙い文章ですが目を通して頂ければ幸いです。 を読ませて貰いました。 私もそうだなぁ…ある事、あった事全部さらけ出す勇気は無いからおさかなさんの話。 お住まいの所に川はありますか?海が見えますか?湖はありますか?枯れない池でも沼でも水槽でもとりあえず身近に思いついた水を…そこに暮らすおさかなさんになってみましょう。 鮭みたいに川を下って上ったり、回遊魚などなどいますが、だいたいは産まれた水域で生涯を向かえるのではないでしょう