自己嫌悪感・劣等感と「シンプルに素敵な人になるだけでいい」
自分のこと、好きですか?
自分自身の価値を信じて、自らがしっかり応援してやるのがとても大切だというのは、最近特によく言われることですね。
他人と比べるのではなく、他人からの評価に依存するのではなく、自分のことは自分で好きになって、自由に自らを伸ばしていけることができれば、素晴らしいと思います。
でも、自己嫌悪に陥る瞬間ってありませんか?
私自身はよくあります。自己嫌悪というか、劣等感というか、ダメな自分が情けなくなる瞬間にしばしば遭遇します。
あのとき、ああすれば良かった。
こんなことができない(できなかった)自分は情けないヤツだ…
いい歳をして…と思われそうですが、いい歳だからこそなのでしょうか?
というのは、自分たちの子供の頃の学校教育は、みんな画一的なことをやらされ、同じようにできて当たり前、出来ることが正しくて出来ない人は問題がある、という認識でした。
出来ない人は何とか頑張って出来る様になるよう頑張るのですが、どうしても出来ない人はいる。出来たとしても、その限られた技能の中での優劣が、人格の優劣であるかのように序列が出来てしまう…
何かにつけ「他のみんな」と比べてどうか、と考える習慣が染みついてしまっています。
先日テレビを見ていると、歌手のこっちのけんとさんがNHKの情報番組「あさイチ」で、テーマの「兄弟」について、自身の経験を語っていました。
3兄弟の真ん中のこっちのけんとさんは、兄の菅田将暉さん(俳優・歌手として活躍)に対して、自分は何をやっても兄に勝てない、自分に良いところなどない、というような劣等感をずっと抱いていたそうです。
コミュニケーションが抜群にうまい弟の菅生大将さん(俳優・歌手)に対してもコンプレックスを抱き、自分だけ兄弟のなかで出来が悪い、と思い込んで、自分は家でひたすらゲームをする日が続いていました。
ところがある日家族で過ごしていた時に、兄の菅田将暉さんがこっちのけんとさんのゲームの知識に対し、「お前ってスゴイよなあ…」と感心し褒めたところから、家族の中でもけんとさんに対する見方が変わり、母親もいっしょにゲームをしたり、寄り添う様になってくれたということです。
スーパースターと思っていた兄から褒められた喜びから、自分は自分で魅力がある、自分には一人で集中できる強みがある、と考え方が変わったそうです。
いわく、
「マイナスな部分はプラスにもなる。
なんでネガティブに考えるのか?
シンプルに素敵な人になるだけでいい。」
とってもいいお話ですね。
人がたやすく出来る様に見えることが、自分はなかなかうまくできない様に思えて、劣等感を感じてしまう…
でも、自分という人間には、そういうマイナスを持っているからこその良さがある。劣等感を感じやすいということは、自分を謙虚に観察し、向上につなげる機会を多く見つける才能があるということでもあります。
逆に、何でも簡単に達成している様に見える人でも、その人なりに悩んでいることもきっとあるでしょう。
シンプルに、その人それぞれが得意なことに関して、認め合うだけでいい、という事ですよね。
今の教育は、自分たちの頃と違って、「他人と比較するのではなく、人それぞれ良さを伸ばせば良い」という風に、かなり変わってきていると聞きます。
若い人たちと話していても、その辺の意識はかなり浸透していて、嫌なことは強制される筋合いはない、自分が好きな事をやれば良い、他の人との比較は意味がない、というのが基本にある様に感じます。
とはいえ、やはり社会のしくみはまだまだ古い部分を残していますから、コンプレックスを感じながら生きている人は多いと思います。
「シンプルに素敵な人になるだけでいい」
素敵な表現に、はっとさせられました。元気が出る気がします。
あと、アッこいつ凄いな、と思った時は、すぐに素直に本人に伝えてやる。
「褒める」という行為のパワーについても、改めて認識させられました。
いくつになっても、若い人に教えられる事はいっぱいあります。
こっちのけんとさん、有難うございました。