宮オム第七弾『愚れノ群れ』を観劇して

『愚れた先のズレた世界』

『俺らは正しく間違ってきた』


赤澤さん演じる潤輝が言うこの台詞がこの舞台を的確に表現している。
普段あまりこういうのは書かないし初めてのnoteだけど、舞台から3ヶ月ほど経って改めてBDを見たことで誰かに感想を聞いほしくて居ても立っても居られなくなった。なので正確にいうと観劇ではなく視聴かもしれない。

この舞台は一つの「國崎會」という疑似家族と二つの親子、そして三組の幼馴染が登場する。
メインは橘親子と孝雄、潤輝、ヤスの幼馴染だが他の國崎會の構成員も巻き込み彼らはズレていく。

ズレる。舞台中盤で潤輝が言う台詞だが、最初に言ったようにこの舞台がどんな舞台か?どんな物語か?を説明するのに私の語彙力だとこれ以上的確な言葉は出せない。ただ彼らは少しずつ、少しずつ間違っているだけなのだ。

誰か一人行動を変えていたらあそこまでの悲劇は起きなかったのかもしれない。
でも全てのボタンが掛け違えられてしまった。

側から見ているだけの私は彼らの事情を知っているから歯痒くて仕方がない。

「ヤス!潤輝さんはヤスを若頭にしようとしてるんだよ!!龍也は潤輝さんと孝雄さんのことも父親だと思ってるから親父って呼びづらいだけなの!!!」

「潤輝さん!!とっととヤスに全部言いなさいよ!!!」

「加藤!森田さん達は貴方のためにちゃんと動いてたよ!!!」

「逹也!全部ちゃんとヤスに話しなさい!!」

何度そうやって画面に向かって言ったか。
10年前の三人や、定本さん演じる真之助の回想を見るたびになぜあのままでいられなかったのか涙が溢れた。

本当に彼らの行動の動機は些細なものだ。それでも彼らにとっては大事である。きっとそれは彼らがビビリでどこか欠けているからなのだろう。

前川さん演じるヤスは中川さん演じる逹也に「親父」って呼んでもらいたかっただけだし、逹也は安里さん演じる孝雄さんと潤輝さんへの義理を果たしたかった。玉城さん演じる加藤が組長に拘ったのだって親父に見てほしかった、自分のことを認めてほしかった、そんな人間誰しも持つ欲求の果てだ。

でもズレたまま動き始めた歯車は止まらなかった。

きっかけ、という言葉もこの舞台ではフォーカスされる。
小学校での出会いがきっかけだったと語る孝雄さんときっかけが分からなくてチャンス状態にある潤輝さんは最後別れを選択する。
このズレの始まりをきっかけとするならそれはいつか。その問いの答えは私にはわからない。
自分で物語を咀嚼してきっかけはここだと思う!と結論を出せたら良かったのだけれど、無理だった。
親父の死がきっかけといえばきっかけなのかもしれないが、そんな簡単な話じゃない気がする。そもそも孝雄さんは10年前既に國崎會をどうにかすることを決断してたわけだし。そしたらもっと違う方向で悲劇が起こってたかもしれない。そう考えると親父の死はきっかけなんて大きいものではないと思う。
なので一旦考えることをやめた。私は、結論を出さないのも物語の楽しみ方の一つだと思っているので。

加藤の話に戻るが、私は彼を嫌いになれない。
もっといえば彼を愛さずにはいられない。
やったことは受け入れ難い。
彼は潤輝さんが最初に若頭に、と打診された時にヤスのポジションが変わらないことに異を唱えたことも潤輝さんがその後会長になってヤスを若頭にする予定だったことも知っていたはずなのに言わなかった。
それどころか自分が権力を握るためにヤスを煽り、藤本を脅した。
結果藤本は長年連れ添った“幼馴染”である西條さんのことも、吉村も、中川も手にかけた。
加藤自身森田さんのことも殺してしまった。
でも、彼の望みはきっと親父に認められることだけだった。
なんて不器用な人なんだろう。
親父の真意は語られていないから知らない。
だから「手紙でも書いてみれば良かったのに」とか「二人きりで話さえしてくれないのはなんでだってキレれば良かったのに」とかそういうことは言えないが、やはり生きていた時から親父に突き放されている感覚があったなら何かしらアクションを取れば良かったのに、と思う。
それと同時にそれが出来なくて間違ってしまった加藤はヤスよりもビビリで弱いなと愛おしく思う。

ヤスもそうだ。「親父って呼んでほしい」彼の会長になりたい動機はこれだ。
こっちからしたら逹也に直接言えば良いのに案件だが、ヤスはそれが出来ずにから回ってしまった。
私は離婚した後から親父が死ぬまでの十年を知らないからあれほどまでにヤスが拗れた理由も知り得ない。
本音でぶつかり合うというのは存外難しい行為なのかもしれない。

そう考えると、父と息子という立場の違いはあれどヤスと加藤は似ている。
弱い奴らの群れである疑似家族、そんな彼らの居場所はきっと彼らが思う数十倍居心地が良かったのだろう。

私は、彼らの筋を曲げられない不器用で真っ直ぐな生き方を眩しく思う。
それ故に舞台上で生きる彼らを愛せずにいられない。
続編はいらない。ただ彼らの最期をもう一度見れたら嬉しく思う。

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