【中編】そうだ、寝台列車、貸切ろう。
今年(2023年)8月、友人たちと「そうだ、京都、行こう」のノリで寝台列車を貸切った。
仲間を飲み明かし、写真を撮りまくり、笑いあった約24時間の中には実に多くのドラマやアクシデントがあった。
これは主催として、そして1人の鉄道ファンとして描く24時間とそれまでの物語である。
※前編はこちらからご覧いただけます、投稿が遅くなってしまいすみませんでした。
【究極の企画を創るため ~映像編~】
前回の企画を振り返って…
初っ端から某グルメ漫画に出てくるようなタイトルを出してしまったが、実はこの貸切より前にも北陸特急を題材とした企画を催行したことがある。
これについてはまた機会があった際に記事を書こうと思う。
そんな梅小路で行った貸切との比較を行った結果
・時間が大幅に伸び、制約なく企画ができること
・屋外での企画もあるため、天気によって臨機応変に対応すること
・京都と違い、アクセスが悪くなること
といった良くも悪くもいえる違いがあった。
その中での企画創り、果たしてどのようになるのか見当がつかなかった
映像作品への憧れ
そんな中、深夜の自室でふとあることが思い浮かんだ。
『懐かしさを感じる再現映像を撮ってみたい!』
以前から「フィルムエスト」という現代の出来事を敢えて80~90年代風の映像に合わせて投稿を行っているYoutubeチャンネルがあり、私はその虜になっていた。
京都鉄道博物館の企画の頃から映像制作は考えていた、しかし60分という短い時間の中でそれを組み込むのは厳しく断念していた。
さっそく私は脚本を書いてみることにした、深夜0時に書きだした草書は10ページ以上に渡り書き終えるころには朝の7時になっていた。
ここまで集中したのは大学受験の頃以来である。よく書いたなと今となっては思う。
当時風の映像を撮るなら当時の機材で…ということで80年代に発売されたビデオカメラを購入した。
ベータマックスと再生機が必要であることは後になって知った。浅はかだったかもしれないが悔いはしていない。
ダメ元のオファー
映像作品を創りたいと思ったきっかけが実はもう一つある。
私が梅小路で貸切をやる1週間前に直江津で行われた撮影会の映像である。
実際私もその撮影会に参加し、収録の様子を生で見せていただいた。
構図、音響、そして背景を完璧に活用した作品を改めて見て、
『この人に最高の映像を創ってもらおう』
と考えるようになった。
しばらくして私はべーたさんとスペースで話す機会があった。
逃すまいと思い私はオファーをかけた。
緊張しすぎていてその時に私が話した内容は忘れてしまった。
頭が真っ白になるのも無理はなかった。
しかし私の手元には快諾の返答と参加表明が書かれたメッセージがあった
私は天にも舞う思いで溢れていた。
直江津の映像を創った本人が、自分の貸切を録っていただき、作品になり、そして参加してくださるのだ。
この出来事からさらに私の映像に対する何かがさらに動き出した。
【究極の企画を創るため ~演出編~】
白制服への挑戦
同時に運営では小道具集めにも力を入れるようになっていた。
まず客側の小道具は前回の企画である程度は集めていた。35年前の缶ビールに雑誌、切符である。
僕らにとって映像に残る過去の日常において些細な小道具や風景は手が出るほど欲しい題材だった。
その中で我々は鉄道雑誌で見た白制服に強い憧れを抱くようになった。
運営総出で探しにかかった。
上着と手袋は発見、ズボンは代用で賄うことが出来た。
しかし、肝心の制帽が見つからなかった。
制帽は再現をするにあたっては必要不可欠のもの。
シーン縮小どころか、お蔵入りになってしまうかもしれない。
梅田、京都、名古屋、大宮に秋葉原…知っている鉄道系の専門店はすべて巡った。
時にはネットショッピングも探ったりもした。
不安が募る中、遂に私は制帽を見つけることに成功した。
副主催と話して購入を決定、値段は敢えて伏せることにする…
後から知った話だが、民営化後の白制帽は専門店でもあまり出回ることはなく、貴重な部品のひとつだとされていた。
探し回って全くないのも無理はなかった、運が味方をしてくれたのだ。
寝台列車の雰囲気創り
制帽も見つかり、次は寝台列車の雰囲気をどのように創るかである
運営全員が平成二桁生まれ、物心がつく頃には既に引退してしまったこともありかなり苦戦した。
憧れという名の補正がかかっているため、ブルートレインの不便さをあまり見れなかったのだ。頭では新幹線と比べると時間もかかるし列車酔いをするかもしれない。乗客率の低迷などの背景よりいかにコスパが悪いことは分かっていた。
しかし、夜更けに酒を飲みながら乗り合わせた乗客と夜更けまで語り合う、語り疲れたら備え付けのベッドでダイブする。黄昏ながら車窓を眺めて眠りにつく。そんな映画のようなワンシーンを味わえるのは寝台特急だけだ。
もうそこに、答えは見つかっていた。
【あとは開催するのみ!…のはずが】
苦戦した集客
悩んだ企画構成も7月にはほとんどが出揃い、当事者の私自身も
『役者は揃った!あとは呼び込むだけ!』と意気込んでいた
しかし、タイミングが最悪だったのだ いや最悪すぎたのだ
開催日はお盆真っただ中、ほとんどが帰省に長期旅行が重なっていた
学生ということもあり金欠という事も相まりなかなか人は集まらなかった
それでも14名が参加してくださった、そして私の大学の友人2名もお手伝いに来てくれるという!
結果的に総参加者数は20名を超えた、オタクが考える最高の夏休みはこうしてスタートを切った。
再訪、そして開幕へ
7月15日、私たちは再び観音寺の地に足を踏み入れることになった。
私、副主催に加え運営のN君も同行する。移動中に無言になる事はまずない
彼もブルトレ世代を逃した一人だ。鉄道員志望ということもありボルテージは最高潮だった。
また、前回入れなかったB寝台内部にも見せていただいた。
90年代の世界でしか見ていない風景が目の前に広がっていた。
車内の空気を吸うにつれて私の脳裏に数多の企画案が思い浮かんだ。
この日、3人の脳内はブルトレでいっぱいになった。
そして8月 ついに幕を開けることになる。続きは後編でお話ししよう。
あとがき
皆様、新年あけましておめでとうございます。
私の遅筆がひどすぎて月どころか年をも越してしまいました。
関係のない報告ですが夏開催の貸切を描いているのにもかかわらず、飽き足らずに先日2回目の貸切を同じ場所でやってしまいました。
実はこのブログでも一部その写真を使っています。
ちゃんとした年始の挨拶は別記事で書かせていただきます。
あとこちらの後編が出るのは恐らく1/21になります。(遅れたらすみません)