伴奏=共演
中学生の記憶を思い出してほしい。
伴奏と聞くと、多くの人が合唱コンクールの伴奏を思い出すだろう。
歌うことが恥ずかしかったり、クラスの意見がなかなかまとまらず、
合唱コンクールは大きな困難を乗り越え、大事な行事であると記憶している。
ソプラノパート、アルトパート、テノールパート、バスパート、指揮者、伴奏者、誰が何の役割を持つのか。
正直言って、伴奏がなくたって合唱は成り立つし、
アカペラと言うジャンルの音楽も存在する。
だが、伴奏があるのとないのとでは、音楽が全然違って聞こえる。
重なり合う響き、歌のパートとかけあう旋律、全てが絡み合って
深く心に響く
伴奏に着目して考えると、言葉からして、日本語の訳からして、
伴って演奏すること。
悪く言えば、合唱の+ α
よく言えば、合唱の支え
でもなくてはならない存在である。
伴奏という言葉は
言葉として適切ではない
伴って演奏するのではなく
共に演奏するのである
お互いの存在があって、初めて演奏として成立する
だからこそ、お互いが大事な存在であり、平等な立場である
近頃、伴奏と言うと、何か下に見られているような気がする
そうではない
奏者(合唱)を生かすも殺すも伴奏者の手にかかっている
一度管楽器や歌などソロとしてピアノとアンサンブルしたことがある人は経験したことがあるだろう
演奏しやすい伴奏と演奏しにくい伴奏があること
特に演奏に弊害がなかった人は幸せ者であるが
歌いにくい伴奏というのは世の中に多く溢れ
お互い尊敬し平等な立場で音楽を演奏するには
お互いの気持ちと時間をかけた練習が必要である
よって
伴奏と言うのは、伴って演奏するのではなく
共に演奏する共演である