リインカーネーション(転生)
現実には、経験を伴う知識の蓄積として色濃く残るにしても、意識下においては、ゼロに、なかったことに、手放すのは、まったくもって平気だし、むしろずっと同じ自分であり続けることに焦りを感じる。
それがたとえ時間と労力を掛けて苦労して得たものだったとしてもである。
もっと変わらないといけないんじゃないか?どこか間違ってるんじゃないか?こんなままで本当にいいのか?
行動や思考の基になる今の自分に疑いを持たずして、本当にそれでいいのだろうか?
あるいは、淀みの水が腐るように、だんだんと思考が濁ってくる自分に気付くこともある。
顧みることをせずに、誰か他人のせいにする自分にはたと気付くようでは、わりと重度まで腐敗は進んでしまっている。
例えば、(よく目にする光景だが、)人によって尺度は違うはずの、仕事の実績を自ら自慢気に語るようでは、あぁもうお終いだ、とすら思ってしまう。
評価は盛らずにリアリティを持つことが肝要。
その上で、自分への評価は出来る限り小さく、他人へのそれは相違点へのリスペクトを持ちつつ適正に。(内容は理解出来ないまでも、相違点を認識できないのなら、自らの勉強不足を恥ずべき。)
ほとんどの人は、自らを大きく見せようとする。でもそれは見る人が見れば、現実との乖離は明白であり、却って小物感を際立たせてしまう。
また、人は無意識に安定を求める生き物だ。その状態の良し悪しは関係なくて、変わることを拒否したいのま。
ゼロにすることにマイナスの要素はない。新しい何かを受け入れるためのスペースを開ける行為なのだ。
俯瞰してみれば、同じベクトル上には、もっとずっと高みに達している人が必ず存在する。その差を少しでも縮めたい、成長したいと願うのなら、何度でもゼロにして、新しい自分に生まれ変わる必要がある。
つまり、今生におけるリインカーネーション(転生)がマストなのだ。
(英語: Reincarnation)
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