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東南アジアに13年間住んだ帰国子女の私が苦しむアイデンティティクライシス

こんにちは、オーキッドです。最近は、Noteで、文字をタイピングすることが出来るほど、病状が治まって、回復の余地があるのかなと思えるようになりました。

実は、2週間前に、9年3ヶ月住んでいたタイ・バンコクに帰ってきました。10ヶ月ぶりです。ビザの関係で、1ヶ月しかステイ出来ませんが、思う存分楽しみたいです。家族がタイに住んでいるので、家族とも思い出を作れたらなというところです。

しかし、自問自答しなくてはならない壁があるんです。タイに、私は、「帰る」のか。「行く」のか。

私の故郷。ないというか、どこにあるのか。


Noteの読者さんでご存知の方もいるかもしれませんが、私のライフタイムラインは、こんな感じです。

1)フィリピンで生まれ、2年弱住む (0歳ー2歳)
2)東京に住む (2歳ー3歳)
3)シンガポールに渡り、1年間現地の幼稚園に通う (3歳ー4歳)
4)東京に戻り、2年弱、東京の幼稚園に通う (4歳ー6歳)
5)タイのバンコクに住む (6歳ー15歳)[1ヶ月だけ、フィリピンのイロイロ市で短期留学]
6)日本に戻り、長野の高校で寮生活をする (15歳ー16歳)
7)長野から東京に移り、適応障害と鬱病の療養生活をする (現在)

*適応障害だと診断されたのは、長野の高校で寮生活をしていた時でした。診断されたのは、2022年の1月。

私のライフタイムラインを読まれたら、察しがつくかもしれませんが…        引越し   が多い人間です。

フィリピンで生まれたからといって、フィリピンが故郷と思える訳でもない。
タイに人生の半分以上(9年3ヶ月)住んでいたから・ほとんどの友人がタイで仲良くなった友人だから・家族がまだタイに住んでいるからといって、タイが故郷と思える訳でもない。
 両親がどちらも日本国籍で、第一言語が日本語だからといって、日本が故郷とも思える訳でもない。

”私は、何者なの?” とそう悩むのはほぼ毎日のこと。


しかし、驚くことに近頃、自分を受け入れるようになってきたんです。

その自分を受け入れるようになったという落としどころは、「自分には沢山ふるさとがあるという」考え。

・自分が生まれた場所もふるさと
・自分が一定期間過ごした場所もふるさと
・自分の国籍の国もふるさと
・愛着を持っていて、離れると恋しくなる場所もふるさと

という定義にし、「自分には沢山のふるさとがあるんだ」という考えにしたら、安心感が生まれました。

世界中の友人と幼少期に関わったことで、様々な観点を内面化していたり、どの国や大陸に遊びに行っても、「友人の出身国」「友人が住んでいた大陸」「友人が今住んでいる国」だったりするので、世界が身近に感じます。自分は、ある特定の場所にいるのではなく、世界に住んでいる、世界がふるさとなんだと広くふるさとを捉えれるようになりました。

これからは、「自分には沢山のふるさとがある」「ふるさと=ある特定の場所ではなくても良い」と考えられるようになりたいです。


ありがとうございました。



オーキッド




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