ゲーム業界社畜デザイナーになるまでその1
我こそゲーム業界に憧れ薄汚い背に羽を広げいざ行かん!の心意気で自主独往と挑んだのだ。
輝かしき専門学校時代
当時3dcg系の専門学校に通っていたピチピチの私は進む路と書いて進路という2文字。途方もなき2文字に苦悩していた。
もともとエンタメが好きでとりあえずエンタメに関わろうと言う適当な考えで専門学校の門を叩いたのである。もちろん叩いて無料で学べ職に就けるというものではない。
学費という大金を支払うのだ。世の中は金で回っている。
学費のことは置いておいて本題に戻ろう。
せっかく入学したのだからいろいろ学ぼうと自主製作で映像、3Dモデル、3Dアニメーションやらいろいろ手を出した結局どれも中途半端な物しか創れず若き目はこのまま枯れて肥やしになってしまいこのままでは就職も儘ならん。と現実を前に絶望しかけていた。
が、企業説明会でエフェクトの人口が少なく需要があると光のあるありがたき助言をいただき、一先ずエフェクトをUNITYを使って創ってみることにした。作るしか選択肢はないのである。
創るにしても何だかんだあって1か月ほどたち何個か作ったタイミングでゲーム会社に企業説明会が学校で行われ、説明会後、歴戦のデザイナーに私の作品を自信満々に見せたのである。
見せた後歴戦のデザイナーから出た言葉が「これで1ヶ月か、相当頑張んないと無理だね」
現実は非常である。
私は大いに悲しんだ。
それからというものエフェクトに関する参考書、講演などむしゃむしゃと吸収しながら、UNITY、UE4などで作品を作り続けた。
そしてとあるゲームイベントのスペースを借り学校として出展することになるのである。(いわゆる就活でのヘッドハンティング目的だ。)
そこで私は面接に来ないかとあるゲーム会社からヘッドハンティングを受けた。私は学校のヘッドである。
学生時代の青春や若人どもがやっているであろうあんなことやこんなことに相反して、貴重な10代を薄暗い部屋の中、コンピューターに向かって桃色資料を閲覧しながらこつこつと制作してきた、勤勉な態度が報われたのである。さあ心に芽生えていた若人の対しての嫉妬心は洗っていない薄汚れた食器と共に洗い流してやろうではないか!溜めに溜めた内なる虚栄心を解放する面接という虚言ほざき大会に行くのである!
堕ちた。
やはり現実は非常だったのだ。
諸君、私は今この文を書いてるのも超過労働後の帰りの奴隷トロッコのなかなのである。思い出して辛くなってきたのだ。しかもメンタルを武甲山の採石のようにゴリゴリ削られたあとである。
つまり疲労困憊疲れているのだ。タイトルにその「1」と付け足してひとまず締め括るとしよう。