素人の私が小説を出版するまでの記録(5)出版業界の三人の恩人との出会い
英治出版の原田社長のアドバイス
大手出版社の編集長に、素人の持ち込み原稿を読んでもらうという、普通では考えられない幸運に恵まれながら、せっかく読んでもらった「スピニング・ジョー」を酷評されて、結果的に私は出版の機会を逃してしまいました。同時に出版業界そのものへの失望感も相まって、私の出版に対する熱意も急速に冷めていきました。
作家デビューを実現する一番の王道である新人文学賞ではねられ、裏口から入る道も拒まれた以上、もう私に残されている道はありませんでした。それでも、多くの知り合いに、出版関係の人を紹介してほしいと頼んでいた余波で、私の心情の変化など当然知る由もない友人からの紹介がしばらくは続きました。私としても失意のどん底にいながらも、そんな素振りはおくびにも出さずに、それはそれとして有難くお会いすることにしていました。世の中、何が起こるか分からないし、たった一つの出会いで様相が一変することだってあるかもしれないと、かすかな希望にすがる気持ちもあったかもしれません。
そしてこの直後から、実際に私は、ほとんど諦めかけていた「スピニング・ジョー」の出版へと結びつくきっかけを作ってくれた、三人の恩人と出会うことになるのです。
一人目が、英治出版という出版社の原田英治社長、二人目が、晴山塾という出版、執筆のサポートをする会を運営している晴山陽一代表、そして三人目が、作家及びライターとして活躍されているH氏(ご本人の希望で今回は実名を出すことは差し控えます)です。
英治出版の原田社長とお会いしたのは、2017年5月で、私が大手出版社の編集長から「駄目だし」のメールを受け取ってから、わずか十日あまり後のことでした。
原田社長は囲碁サロンで知り合った「囲碁友達」ですが、実をいうとその頃はあまりお会いしていませんでした。旧知の仲でありながら、それまで相談しなかったのは、英治出版がビジネス関連本を専門としていて、文芸を扱っていないことを知っていたからです。それでも私は、思い立って久しぶりに原田社長にメールを送って、小説を書き上げたけど、どうやって出版していいか分からないので、何かアドバイスを頂けないかと相談してみました。この時は、大手出版社の編集長に酷評された直後で、大いに落ち込んでいたので、彼の会社から出版する可能性はなくとも、いつも穏やかで優しい原田社長なら、私の不満や愚痴を受け止めて大いに慰めてくれるのではないかと期待したのです。
原田社長からは、「小説を書いたとは素晴らしいですね。僕は小説のことは分かりませんが、一般論として出版社へのアプローチ方法などはアドバイスできるかもしれないので、お気軽に相談にいらしてください」と返事がきました。私はお言葉に甘えて、「気楽に」相談に赴きました。
恵比寿の本社で原田社長にお会いして、文学賞で落選したこと、大手出版社の編集長に酷評されたことなどを洗いざらい正直に話しました。どこにもぶつけようがないもどかしさをひとり抱えて悶々としていた私にとっては、出版の相談というより、業界の事情に精通した方に愚痴を聞いてもらって、ストレス発散ができればそれで良かったのです。
原田社長はそんな私の期待に見事応えて、良い「ガス抜き」をしてくれました。
文学賞にしても、最初は学生のバイトが読んだのかもしれないので、もしそのバイトと相性が悪ければ、運悪く落選することだってあること、また、大手出版社の編集長といっても、色々な人がいるので、たった一人に駄目だしされたからといって、出版業界全体から拒絶されたと落ち込む必要がないこと、中にはこの小説を気に入ってくれる人だっているかもしれないから、諦めずにそのような人を探すように努めるべきことなど、原田社長は大いに私を励ましてくれたのです。
原田社長は、私の言い分に理解を示してくれたうえに、私が期待した以上に優しい言葉を投げてくれたので、相当落ち込んでいた私の心も随分と癒されることとなりました。
そうすると、今度は新たな悩みが浮上してきました。
確かに、何百人といる編集者の中には、私の小説を気に入ってくれる人がいるかもしれないですが、それではどうやって、そのような編集者を探すのでしょうか?
そもそもこれまで文芸部門の人間に会ったことさえないのです。
社長のコネを利用して、ようやく一人の編集長に読んでもらうことができましたが、私の小説を気に入ってくれそうな編集者をどのようにして見つけて、どのようにしてその人に読んでもらうのか、私には皆目見当がつきませんでした。それは理屈のうえではあり得る話かもしれませんが、私には限りなく実現可能性のないものとしか思えませんでした。
原田社長は「松井さんが好きな作家、あるいは作風が似ている作家の担当編集者なら、気に入ってくれるかもしれませんよ」とヒントをくれました。各社調べていけば、確かに担当の編集者は分かるかもしれません。しかし、果たしてその人にいきなり原稿を送りつけて、読んでもらえるものなのでしょうか?
原田社長は少し考え込んで、原稿を送っても読んでもらうことは難しいかもしれないけど、本のようにとじて小冊子にして送れば、意外と読んでもらえるかもしれないですよと、アイデアを出してくれました。
出版社では正式に書籍にする前に、書店や取次店などに、「サンプル版」を送って反応を見ることがあるそうです。表紙のデザインは何も施しておらず、帯に相当する文言や作者略歴が印刷してあるだけの真っ白な本ですが、それなりに効果があるというのです。確かに、原稿用紙で送られてきても、直ぐにゴミ箱行きかもしれませんが、本のようにとじてあれば、机の上にしばらく放置されても、そのうち何かの拍子に読んでくれることもあるかもしれません。
加えて、出版社に「サンプル版」を送る際には、熱烈なファンのコメントを一覧にして添付したら良いともアドバイスされました。それを読んで興味を持てば、実際に本を読んでくれるかもしれないというのです。
この真っ白な「サンプル版」を作成するというアイデアは画期的なものでした。
まさに出版業界にいる人でないと思いつかないアイデアです。
印刷会社にオンデマンドで発注するのですが、もし興味があれば、英治出版で使っている業者を紹介してくれるということになりました。
また、原田社長は、別れ際に「スピニング・ジョー」を読んでみたいので、原稿を送ってほしいとまで言ってくれました。自社での出版可能性はないのに、わざわざ時間をかけて読んでくれるというのですから、私は感謝の念に堪えませんでした。
原稿を送って、2週間ほどして、原田社長から感想のメールが送られてきました。
「本当に文章は上手ですね。文体やリズム、結構好きでした。テーマも僕も少しばかりアメリカにいたことがあるので、自らの甘酸っぱい経験を思い出しつつ、同世代の小説として楽しみました。個人的には、ジョーが想像したキャラクターより多弁で、少し違和感がありましたが、あとは推敲を重ねて、編集者とひと捻り加えたら、本当に面白い小説になる可能性は十分に感じました」
原田社長の温かいコメントに、私はどれほど勇気づけられたか分かりません。
これで折れかけた心も、幾分立ち直りのきっかけを見出すこととなりました。
もしかしたら、私の小説を気に入ってくれる編集者を見つけることができるかもしれない、そんな希望を抱いて、私は取り敢えず「サンプル版」を、英治出版を通じて10冊注文しましたが、この「サンプル版」の効果には絶大なものがありました。
それまで私は、原稿を一部だけ印刷して、ごく限られた者にしか渡していませんでした。A4両面2アップに印刷した原稿は読みづらいので、かなり親しい友人でないと頼みづらいものでした。しかも、私の知らないところで、自分の原稿が転々と回し読みされることに抵抗があり、読んだ後には必ず返してもらうことにしていたので、おのずと読んでもらう人数にも限界がありました。
ところが、「サンプル版」なら、刷りだし原稿よりずっと読みやすいので、私も友人に頼みやすくなりました。
こうして、同時に何人もの方に読んでもらうことも、またそれを他の方に回し読みしてもらうことも可能となり、これまで以上に多くの感想を集めることができるようになりました。
晴山塾の晴山代表からの「励ましの言葉」
二人目の恩人である晴山塾の晴山代表には、丁度「スピニング・ジョー」の「サンプル版」が出来上がった直後の2017年6月末に、銀行の後輩の紹介でお会いしました。
晴山代表は、英語教育関連本を200冊以上執筆し、そのほとんどがベストセラーという売れっ子作家であると同時に、もともと出版社で編集の仕事をしていた経験を活かして、ご自身でも出版社を経営していたので、まさに作家と編集両方の立場をよく理解している、出版業界のエキスパートと言える方です。そんな晴山さんは、素人が電子書籍で本を出版するお手伝いをする「晴山塾」を主宰していたのですが、その「晴山塾」のもとで、実際に本を執筆、出版までこぎつけた銀行の後輩が、私が本を出版したがっていることを知って晴山さんを紹介してくれたのです。
しかし、もうすでに原稿用紙900枚の小説を書き上げて、それをどうやって出版したらよいか分からないという私の悩みに対して、本のテーマ設定から始まって、実際に執筆する際の留意事項などをレクチャーしてくれる「晴山塾」は、私が求めていたものとは少し違うものでした。
会話が始まって、お互いにそのことが分かると、晴山さんは出版業界について貴重なアドバイスを色々としてくれました。そして視点を変えて、晴山さん自身が関与している出版社で、自費出版のサポートをしているので、私が望めばいつでも出版のお手伝いをしてくれると言ってくれました。
大手出版社の編集長からも、自費出版を勧められたので、そのような選択肢があることは知っていましたが、その時はそこまでして出版にこだわるつもりはありませんでした。一つには、どうせ周りの身内に配るだけなら、何百万円ものお金をかけて自費出版しなくても、「サンプル版」で十分その役割を果たせるようになっていたからです。そして二つ目に、自費出版に関しては、百田尚樹さんの「夢を売る男」という本を読んで警戒心を持っていたからです。この小説は、何としても自分の書いた小説なり自伝を出版したいと思っている素人の心理につけ込んで、相手の顔色と懐具合を見ながら吹っ掛けられるだけ吹っ掛けて、暴利を貪る悪徳出版社の実態を暴いた問題作ですが、読物として大変面白いばかりでなく、血眼になって出版の道を探っていた私にとっては、格好の警告書でもあったのです。
そのために、私は自費出版を手伝ってくれる出版社を探すことは敢えてしなかったのですが、晴山さんのところは、そのような悪徳出版社とは一線を画して、比較的安価で明瞭な料金体系に加えて、書店への露出の保証など、かなり良心的な対応をしてくれることが分かりました。
何と言っても、晴山さん自身がベストセラーを連発している実績を持っているので、本を売るためのマーケティングの考え方や書店への対応に関して、様々なノウハウをお持ちのようでした。
晴山さんのお話を伺って、自費出版であっても、実際に図書コードを取得して、書店に本が並ぶことには大きなメリットがあることを知りました。確かに「作家デビューを目指しているだけの素人」と、「たとえ自費出版であろうとも出版実績のある作家」との間には大きな隔たりがあるように感じられました。こうして、自費出版も選択肢の一つだと思えるようになったことは、私にとっては大きな前進でした。
私は感謝を込めて、できたてのほやほやの「スピニング・ジョー」の「サンプル版」を晴山さんにお渡ししました。
晴山さんは大変多忙な方でしたが、その後何度か二人でお会いする機会を作ってくれました。私は出版業界のお話を聞かせて頂くのが楽しかったですし、晴山さんも何らかの形で私の手助けをしたいと考えてくれていたようです。
そうして、晴山さんとは、お会いするたびに何時間も延々とお話をするようになりました。
取り留めのない話をする中で、私は小説を書くに至った経緯、「スピニング・ジョー」にこめた想い、新人文学賞で落選したこと、大手出版社の編集長から酷評されたこと、それから、もし作家デビューできたら、これから書きたいと思っている作品の構想などについてお話ししました。
晴山さんはそういった話に熱心に耳を傾けてくれましたが、ある時、じっと私の目を覗き込みながら「もしかしたら、私は、将来の有名作家とこうやってお話ししているのかもしれないな」と言ってくれました。
晴山さんが私の目の奥に何を見出していたのかよく分かりませんが、これまでベストセラーを連発してきた実績のある方の言葉だけに、私にとっては、それは何物にも代えがたい励ましの言葉となりました。
ライターH氏から聞かされた驚愕の業界裏事情
三人目の恩人である、ライターのH氏とは、知人の紹介で、2017年9月にお会いしました。彼は、最終的に私がお世話になる、スターティアラボという電子出版の会社を紹介してくれたので、そういった意味で直接の縁結びをしてくれた恩人ですが、それ以上に私にとっては、ライター及び作家として、長年見聞してきた業界の裏情報、なかんずく文芸の世界の驚くべき実態を教えてくれた貴重な存在でもありました。
今回このエッセイを書くにあたって、私は実名を出していいか確認したのですが、原田社長と晴山代表からは快諾を頂きましたが、H氏は匿名を希望してきました。
H氏も、それだけ生々しい話を暴露したという認識があったのだと思います。
たとえば、作家デビューを待つ何百人もの待ち行列がある程度出来上がっていること、編集者それぞれに「推し」がいて人脈がないと賞を獲ることは難しいこと、ある文学賞は編集者同士の談合による完全な「出来レース」であること、ある有名作家は新人賞を獲る前から文芸部に出入りして編集者に可愛がられてよく飲み歩いていたこと、ある人が選考委員メンバーに新人作家の選考をお願いしたら本当に彼女が受賞したこと、その後彼女が授賞式で「〇〇先生のお陰で受賞できました」と口を滑らせてしまって結局干されてしまったこと、などなど、どの話も物凄く面白かったのですが、同時に私は複雑な心境になりました。この歳になって、自分より若い編集者につき従って、朝までゴールデン街で痛飲するような真似はとてもできないと思ったのです。
それらの話は都市伝説のようなもので、いくら業界が長いH氏でも、全てを自分で見聞したわけではないでしょうから、本当のこともあれば、多少尾ひれがついた話もあるかもしれません。それをいちいちここで詮索するつもりはありませんが、ただ、H氏の話を伺って、それまで私が漠然と感じていた、出版業界に対する違和感が、かなりの部分で正鵠を射たものだと確信することができて、私は大いに留飲を下げることとなりました。
その意味でH氏は、私のストレスをスッキリと解消してくれた恩人でもあるのです。
私はH氏に感謝し、「サンプル版」を1冊進呈しました。
様々な出版社に出入りして、多くの編集者と接していたH氏は、私と大手出版社の編集長とのやり取りについても、理解を示してくれました。編集の立場にいる者は、出版するか否かの生殺与奪の権利を握っている分、中には鼻持ちならないほど傲慢な者もいることは認めつつも、作家と編集者両方の立場をよく知る者として、お互いの認識のギャップから生じる非生産的なすれ違いは如何ともし難いものだと、私に説いてくれたのです。
素人の持ち込み原稿を読んではいけないという、出版業界の常識についても、「一見さん」には当てはまるけど、実際には多くの抜け穴があり、最後にはやはりコネがものをいうことも教えてもらいました。
素人の持ち込み原稿を読んではいけないという不文律の裏には、そのような待ちの姿勢で楽をせず、もっと積極的に埋もれた才能を自ら発掘せよ、という大義があるようですが、それでは最近の編集者はどうしているかというと、「小説家になろう」というサイトにアップされる素人作家の作品を毎日血眼になってチェックして、ひたすら読者の反応を見ているというのです。
この話が本当だとしたら、何とも寂しい限りです。
ネットにアップされる作品に目を通すことと、素人の持ち込み原稿を読むことの違いは、一体どこにあるのでしょうか?
しかも自分で読んで判断するのではなく、ひたすら読者の反応を追うということは、それだけ、今の編集者は「目利き」としての自分の能力に自信がないのでしょうか?
それとも、出版社の編集者も今やサラリーマン化してしまって、自分が良いと信じた作品を、周囲の反対を押し切ってでも推す気概を失ってしまったのでしょうか、読者の反応を口実にした方が会議で周りを説得しやすいとでも考えているのでしょうか?
この話を聞いて、私は出版業界も戦後70年経って、興隆期の溌剌とした精神を忘れて「制度疲労」を起こしているのではないかと感じました。
実力のある名物編集長がいた時代には、パワハラまがいの伝説の数々も実際にあったのでしょうが、今やそんな実力もないのに、業界に残された既得権にしがみついて、かつての名物編集長の「傲慢さ」だけを引き継いでいる輩が多いということなんでしょうか?
私は銀行にいた時にも、似たような「制度疲労」を感じましたが、いまや日本のあらゆる業界や、行政機関において、旧来の風習に拘泥するあまり、ただ過去から続く形式を守ることに汲々として、結果的に発想の転換ができずに脆弱になっていく、閉鎖社会に特有な病理が、この国には蔓延しているのではないかと、そんなふうに思わずにいられませんでした。
初めてのファンレターに涙
英治出版の原田社長のアドバイスに従って、私は「スピニング・ジョー」の「サンプル版」を配り始めましたが、3か月ほど経過して徐々に成果が表れてきました。
最初は、出版の実現に貢献してくれそうな人を優先したので、出版社の知り合いがいる方に「サンプル版」を渡していましたが、そのうち出版に直接結びつかなくても、読みたいと言ってくる友人にはどんどん渡すようにしました。面白いと思ってくれた友人から、どう回り回って出版関係者の目に留まるか分からないと考えたからです。最初10冊注文したものを、追加で20冊、もう20冊と注文して、最終的には全部で50冊くらい配ったと思います。
こうして「サンプル版」を配っていった効果には絶大なものがありました。それまでとは比べものにならない人数の方に読んでもらうこととなり、それに合わせて、読者からの感想も続々と寄せられるようになったのです。
出版関係の方に届いた形跡はあまりなかったのですが、私の友人の間では結構出回ったので、数多くの感想が集まってきて、それが好意的なものである場合、私は大いに勇気づけられることになりました。どんどん集まってくる好意的な感想を、私は原田社長のアドバイスに従って、ペーパーにまとめていきました。この時は、そのうち何かの役に立つかもしれないという漠とした考えでしかありませんでしたが、後々これが本当に役立つ時がくるのです。
ほとんどは口頭で感想を聞かせてもらったのですが、中にはメールで感想を送ってくる方もいました。
高評価の感想を受け取ると、私はセッセとペーパーに書き足していきました。
「高評価の感想」の一覧は、どんどん数を増やしていきました。
何ページにもわたる「コメント集」を改めて読み返してみると、それぞれの読者が熱く語ってくれた好きな場面、いわゆる「はまるツボ」が、人によって全然違うことに気づいて、私は嬉しくなりました。それだけ多様性に富んでいることの証左ではないかと思えたからです。
そのいくつかを紹介したいと思います。
最初に、高校時代の同級生のコメントです。
友人はコメントの中で夏目漱石に言及しているのですが、これには私も正直驚きました。実を言うと、この頃私は、まだ誰にも言っていなかったのですが、この小説を書き始めた時に夏目漱石を意識していたことは確かだったからです。漱石は、明治維新の後に津波のように押し寄せてきた欧米的な価値観に戸惑う当時の日本の知識層の葛藤を描いたわけですが、勿論、明治と平成の違いはありますが、私としては当時とさほど変わったと思えない日本人の心象風景を切り取りたいと考えていたのです。そのことに気づいてくれた読者がいることが、何よりも私の励みとなりました。
以下、友人がSNSに投稿した文章です。
「この作品は、漱石の「三四郎」と、有吉佐和子の「非色」と、最後に寅さんが競馬で勝ってハワイに行く話がミックスされたような、実に面白い一大青春小説だ。「三四郎」で広田先生が「日本は?・・・滅びるね」と言うそのセリフと、川口NY支店長のリーマンショックを予言するような辛辣なセリフが重なって見える。そして、男女均等社会に突き進むミドリのいわゆる、無意識の恣意性、自己撞着。正に怒涛の90年代の幕開けを感じさせる。個々の登場人物が実に興味深く描かれており、その人物たちの言葉を読むにつけ、それだけで十分価値があると思う。アメリカの光と影をバックに比較文化論や経済の変遷に関する筆者の見識が随所に示され、そこらの「トロくさい」小説よりも、遥かに上級だと思う。アメリカに一度も行ったことがない者として、ビックリしてしまうことばかりだが、分かりやすい内容で実に興味深い。徳川の鎖国はもしや正解だったのでは、と初めて思った。今日のダウが堅調なるにつけ、アメリカの偉大さ、恐ろしさも伝わってくる」
次は、仕事で知り合った50代男性、商社マンのコメントです。
「本当にお世辞でなく、物凄く面白かったので一気に読んでしまった。最初から最後まで全く無駄なところがなく、一見なんでもないような表現やエピソードも実は重要な伏線になっており、かなり緻密な構成だと感じた。NYで成功した日本人の生活が垣間見れたので、NY支店長宅の様子が特に興味深かった。また、貧困にあえぐジョーとの対比も面白く感じた。ラブストーリーのエンタメ要素と、メッセージ性のある重いテーマの両方とも楽しめて、双方のバランスも非常に良かった。主人公の貴之はダメダメなところがあるけど、自分も結構意志が弱いので、逆に感情移入できた」
30代男性、外資系金融機関の方のコメントです。
「読み始めたら余りにも面白かったので、あっという間に1日で読んでしまった。本当にメチャクチャ面白かった。特に貴之の日本の銀行時代の場面が物凄く面白かった。自分の邦銀時代の思い出と重なって、初任店に配属後、イメージとかけ離れた仕事の内容や、酷い縦社会で上司と合わずに転職を考えた頃の記憶が蘇ってきた。意識の高い若いサラリーマンは凄く共感できると思うので、是非とも読んでほしい。主人公の貴之のその後が気になるので、是非とも続きを読んでみたいが、できれば外資系投資銀行で成功してほしい」
30代男性、NYで研修経験のある方のコメントです。
「まさに自分の物語ではないかと錯覚するほど、私の体験と被りました。ナイアガラの滝に友人と車で行った時に、豪雨で危うく死にかけたことや、日本人とつるんで日本語ばかり話していた苦い記憶が、つぶさに思い出されました。アヤと一緒にアップルパイを作るくだりは最高で、個人的にはこの場面が一番好きです。こうなると、是非とも続編を読んでみたいです。ミドリと貴之が東京かNYで素敵な時間を過ごしていたら良いと思います。もっと重いテーマの小説かと思っていましたが、読み始めたら、軽妙なタッチで、純粋にラブストーリーとしても面白かったです」
30歳前後女性、証券会社勤務の方のコメントです。
「小説の世界観がとても好きで、NYには行ったことがないけど、特にNYの情景描写に魅せられました。読んでいて、自分とミドリが重なって見えました。本当はケイコのようになりたかったけど、そうなれなかった現実を受け入れることが本当に辛いです。会社に入った当初は夢を持って張り切っていたけど、男女格差の壁に跳ね返されて、段々疲れてしまって、もう男性と張り合うことは諦めて、会社を辞めて結婚でもしようかと悩み始めた時期にこの本に出合ったので、物凄く共感できました。これまでに3回読み返したけど、読むたびに新たな発見があって、意外な伏線に気がつきます。まだ自分が気づいていない伏線があるかもしれないと思うと、また読み返したくなります。そういった奥深さを感じるのも、この作品の魅力だと思います」
最後に、私が初めて受け取った「ファンレター」を紹介したいと思います。
以前、大手出版社の方を紹介してくれた麹町のワインバーには、壁沿いの棚に常に何冊かの本が置かれていたので、私もそこに「サンプル版」を置かせてもらいました。もしかしたら、何かのきっかけで、近所の大手出版社の方の目にとまるかもしれないと淡い期待を抱いたのです。
2017年9月頃だったと思いますが、ママから突然電話がかかってきて、「スピニング・ジョー」をお店で読み始めたお客さんが、家に持って帰りたいと言っているけど、貸してもいいかというのです。70代のそのお客さんは、若い頃は銀行で働いていて、海外留学経験もあるそうですが、今は近くの大学で国際関係の教授をしており、お店の常連なので心配ないとのことでした。そこまで興味を示してくれる方がいるのは寧ろ喜ばしいことなので、私に断る理由はありませんでした。
それから1か月くらいして、そのお店に行くと、ママから、その大学教授からの手紙を渡されました。私はその場で直ぐに手紙を開けてみましたが、それは「スピニング・ジョー」の「感想文」でした。文章そのものは、確かに「感想文」でしたが、それは私にとっては、生まれて初めて受け取ったまさに「ファンレター」でした。
私は、それを読んでいるうちに自然と涙があふれてきました。
わざわざ「感想文」を書いてくれたことも有難い話ですが、何より、この小説に込めた私の想いを正確に理解したうえで、それを正面から受け止めて、この作品の良いところも課題と思われるところも指摘してくれたことが、心が震えるほど嬉しかったのです。
新人文学賞に落選しようが、大手出版社の編集長から酷評されようが、ちゃんと理解して「感想文」まで書いてくれる人がいるということで、私の傷ついた心はどれだけ救われたかしれません。
その「感想文」をここに、全文紹介したいと思います。
「お店で預かり、帰りの電車と夜、明朝のベッドの中で、一気に読み終えた。しばらく経って感想を書いているので、だいぶ薄れてしまったが、ミドリの生き方、ダンスパーティでの痛快なタックル、ナイアガラへのドライブの夜などの場面が印象に残っている。
この小説は、NYの語学学校に学び、夜は日本料理屋に集まる日本の若者たちが主人公である。アメリカに夢を抱き来たものの、その社会やアメリカ人の勝手さ、競争の激しさなどに遭遇し、肝心の英語もなかなか上達しない。その中で次第に自分のことを話し、お互いを深く知るようになる。小さな輪の中で男女が好きになり、関係が深まり、世の中を知っていく。
この小説に惹かれた理由は、国際金融の世界に身を置くものとして、舞台となっている1990年代の活気あるアメリカに憧れ、急速に発展をする金融やITの世界を眩しく眺めていたからである。それとともに、70年代初めにフランスのブザンソンで夏休みの語学研修を受けた自分自身の経験をかぶらせて読んだこともある。
ブザンソンは小澤征爾が指揮のコンクールで優勝した場所で、そこの語学研修は評判も高く、日本からは大学紛争を逃れてきた学生もいたし、独立心旺盛な日本の女性たち、そして私のように銀行や役所、企業から派遣されてきた連中もいた。フランス語は急にうまくならないし、パリなどに行けば仕事をしながらうまくなるだろうと甘い期待からあまり努力をしない。ダンスパーティもよくあり、寮は男女一緒に入っているし、大学の食堂などでは、若者らしく誰と誰とが結びついたとか、賑やかな話題に事欠かなかった。私は車の免許を取り、中古車を買ってスイスやスペインにも出かけた。
こうした生活は夏休みだけの間で、いわば執行猶予の期間、人生という長い階段の踊り場であった。今までにない自由の中で、少し無責任に、冒険や恋愛も少しやりたいし、先への漠然たる不安もあった。アメリカや欧州からの学生たちが自分の道をしっかり見定めているように感じ、何か大人びて見えた。この小説の作者は海外の大都会という環境のなかで少し背伸びをした、不安定で、自分の将来に焦りを感じる若者たちの姿を巧みに描いている。そこに共感を覚えた。
この本を今の若者たちはどう受け止めるだろうか?あれから、エンロンやワールドコムが倒産し、911のテロが起き、ウォール・ストリートは世界金融危機に大きく揺らぎ、今やトランプの下で自国第一主義に陥っているアメリカの魅力は低下している。米国の大学や大学院への留学生は減り、外資系の金融機関もかつての輝きを失い、日米会話学院も過日の活気はない。アメリカ社会は奥行きも深く、成熟しており、その磁力も消えていないが、日本の若者にとってアメリカは憧れ、行きたいところではなくなっているようだ。読者としてもそうではないか。
この小説はシニア層をも読者に想定しているのかもしれない。仕事をリタイアし、これまでの人生での海外や外国人との関わりを振り返る彼らは、同じような経験を懐かしみ、若者の分身たる主人公が米の大学を卒業し、ウォール・ストリートでキャリアを積んで行くことを嬉しく読むであろう。同時に、その関心は他の登場人物がその後どう過ごしたかにも向かう。
アメリカのビジネスの連中、特にインベストメント・バンカーたちは貪欲で、仕事でも人生でも競争に勝つ為に厳しいと、今でも聞く。それはアメリカ社会の強みでもあり、人によっては魅力の一つでもあろう。では、それに日本人としてどう対抗したらよいのであろうか?誰もがスピニング・ジョーになりたいが、それはできない。英語力を高め、専門の知識を深め、主張をはっきりさせ、人間的に振舞う。それだけでよいのだろうか。これは著者にとっての次のエッセイの題材かもしれない」
(続く)