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素人の私が小説を出版するまでの記録(4)大手出版社の編集長との対決

大手出版社社長のコネという隠し玉

初めて書き上げた「スピニング・ジョー」という長編小説を引っ提げて、果敢に松本清張賞に挑んだものの、二次選考はおろか、一次選考にも引っかからなかった私は、すっかり打ちのめされて、以後全く執筆する気が起こりませんでした。
57歳という年齢を考えても、これ以上小説を書くのは、時間の無駄としか思えませんでした。
作家デビューはそんなに甘いものではないと思い知らされて、芥川賞どころか、小説家になる夢さえすっかりしぼんでしまいました。

それでも、「スピニング・ジョー」はプロの編集者から見たら、どう評価されるのか、是非とも意見を聞いてみたいという願望だけは未練がましく抱き続けていました。
それだけ、可愛いわが子であるこの作品に対する思い入れが強かったのですが、理由はそれだけではありませんでした。
いくら自分で面白いと思っても、周りの反応がそれほどでもなければ、諦めもつくものですが、私が容易に諦めきれなかったのは、「メチャクチャ面白い」と言ってくれる友人が何人もいたためです。

友人の反応を見れば、正直に言っているのかそうでないのか、大体わかるものです。
確かに、中には私に気を使って「まあまあ面白かった」と言ってくれる人もいましたが、その言い方を見れば、それほどでもないことくらい、いくら「親バカ」の私でも直ぐに察することができました。
普段から私への気兼ねなどない親しい友人の中には、はっきりと面白くないと言ってくる人もいましたが、そういう場合でも、理由を聞けばそれなりに納得できる部分もありました。

ところが、「スピニング・ジョー」を気に入ってくれる熱烈なファンの反応は、そういったものとは全く異なるものだったのです。
一番多かったのが、「メチャクチャ面白かった」ですが、それは寧ろ控えめなほうで、中には「最近読んだ本の中で一番面白かった」とか、「直木賞受賞作より面白かった」、果ては、「私が松井さんに気を使って面白いと言っていると思われたら困るんだけど、本当にお世辞抜きで、物凄く面白かった」とわざわざ言い添えてくれる人までいたのです。もっと極端な例では、「これを読んで日本人はどうあるべきかを真剣に考えさせられました。どのエピソードも心に響き、生きるとはどういうことか深く考えさせられました。これは日本人全員が読むべき本です」と言ってくれる方までいたのです。そこまで褒められると、私としても必ずしも自分が「勘違い」しているわけでもないのではないかと思わざるを得なかったのです。

文学賞で箸にも棒にも引っかからなかった作品をそこまで熱烈に称賛してくれる私の友人は、世の中的には例外に属する、変わった人たちなのでしょうか?
たとえそうだとしても、そういう人たちが求めている小説を、編集のプロのフィルターによって、勝手にはじいてしまってよいものなのでしょうか?たとえ例外的な少数派であっても、彼らが熱狂できるような本を出版する意義はあるのではないでしょうか?
私の悩みどころはまさにそこでした。
この作品がなぜ編集のプロに受けないのか、あるいはどこか手直しをすれば見込みあるものになるのか、是非とも直接聞いてみたいという想いが、私の心の中でずっとくすぶり続けていたのです。

実をいうと、私にはそれを探る方法があったのです。
まさに隠し玉とも言える最終手段です。
私の比較的近い親戚の中に、大手出版社の社長と同級生で、今でもテニス仲間で親しいという人がいたのです。
文学賞という正面からの王道作戦が失敗した私は、なりふり構わず、またまた裏口作戦へと方針転換することにしました。

こんな凄いコネがあるなら、最初からこのコネを使えばよさそうなものですが、なぜこれまで散々苦労して出版社のコネを探してきたのかというと、私としてもおいそれとそこに頼るわけにいかない、作家としての矜持があったのです。
社長のコネで作家デビューしたと思われたくなかったのです。
つまり、私の理想としては、誰か出版社の方の目に留まって、作品自体が評価されてデビューにこぎつけたという形にしたかったのです。その後文学賞を目指したのも、私にとって重要なのは、「第三者に評価されてのデビュー」だったからです。

ところが、もう矜持だのなんだのと綺麗事ばかり言っていられなくなった私は、なりふり構わず大手出版社の社長という「最終兵器」を使って、力づくで決着をつけることにしたのです。
こんな強力なコネは誰にでもあるわけではないので、自分の強運を神に感謝しました。

しかし、このコネを上手く活かすにはそれなりの戦略、平たく言えば、どのように話をもっていくのか、よくよく考える必要があります。
作家デビューしたい素人の出版に協力してくれなどと言っても、いくら社長でも無理な相談でしょうけど、誰か編集の方に読んでもらって評価してもらえないか、というお願いなら聞いてもらえる気がしました。
私は決死の覚悟で親戚に頼むことにしました。

夢にまで見た大手出版社の編集長との対決の実現

私は早速、親戚に会って事情を説明しました。
出版社に原稿を持ち込むとなると、彼にも責任が生じるので、原稿を読んで大丈夫と判断したら、つないでほしいと頼んだのです。
彼は読んでもどうせ判断できないからと、原稿は読んでくれませんでしたが、出版社へのコンタクトは快く引き受けてくれました。
いくら親しいとはいえ、いきなり社長に素人の持ち込み原稿を読んでくれとはさすがに言えないので、社長の親戚で、エンタメ系の雑誌や小説を担当している、やり手の女性編集長に頼んでくれることになりました。私の親戚も彼女と非常に親しいので、頼めば恐らく断られることはないというのです。
そんな凄い編集長と親しい仲なら、もっと早く頼めばよかったと思いましたが、2年近くにわたって駆けずり回って、ようやく業界の実相を理解し始めていたので、却ってその助走期間があって良かったのだと考えるようにしました。そうでなければ、素人の持ち込みを編集長に読んでもらうことが、どれほど価値あることか分からなかったでしょうし、謙虚に耳を傾けることもできなかったでしょう。

それにしても、私の親戚は私が拍子抜けするくらい、よく簡単に引き受けてくれたものだと感謝の念に堪えませんでした。
もし私だったら、少なくとも本の内容に目を通しておかないと、とても怖くてそんな依頼は受けられませんが、もしかしたら全く読まずに丸投げしたほうが、内容に関して責任を問われる心配がないので、却って都合が良いのかもしれません。それでも読むに堪えない酷い駄作なら、きつくとがめられるリスクだって大いにあったのです。

いずれにせよ、私は祈るような気持ちで、親戚からの返事を待ちました。
2017年5月初旬のことで、「火花」を読んで衝動的に小説を書き始めてから丸2年が経っていました。

1週間ほどして、親戚から編集長の名刺が添付されたメールが送られてきました。
遂に大手出版社の編集長に直に原稿を読んでもらう機会が巡ってきたのです。
私はすっかり舞い上がってしまって、殊勝にも、たとえ原稿を読んでもらえなくても、業界のお話を聞かせてもらうだけでも有難いと考えるようになっていました。
一度もお会いしたことがない方に、いきなり原稿を送るのも失礼かと思って、お礼も兼ねて一度お会いできないかとメールを送ってみました。するとすかさず親戚から、「読んで批評するくらいならいいよと言われただけなので、黙って原稿だけ送ってください。彼女は凄く忙しいので、会いたいなどと無理なお願いをしないように」と怒られてしまいました。
私は恐縮して、彼女に直ぐにお詫びのメールを送りました。
彼女からは、「こういうことはよくあるので、ただ原稿だけ送ってくれればいいです」と返信がきました。
あるベストセラーになった時代小説も、もともとは持ち込み原稿で、読んだところ面白かったので、出版が実現したとのことでした。つまり素人の持ち込みは、実際にはよくあり、しかもそこから出版までこぎつける人もいるというのです。その言葉に私は勇気づけられましたが、一方でザラザラとした違和感も覚えました。
裏からコンタクトを取りつけた私が言うのもなんですが、この業界では表向きは文学賞の応募作品しか読まないという厳格さを見せながら、その実狭い邑社会にありがちなコネがまかり通っている匂いをかぎ取ったからです。そういえば、私に文学賞への応募を薦めてくれた出版社の方も、ある文学賞の受賞者は彼女の高校の後輩で編集長に紹介したことがあると言っていたことを思い出しました。この業界は意外とコネがものをいう世界なのかもしれません。

紹介してもらった編集長はかなりのやり手で、ヒット作も多く出しているとのことでした。出版が実現したという時代小説は、私も読んだことがありましたが、少し軽い乗りの作品だったので、「スピニング・ジョー」とは毛色が違うと感じました。彼女の経歴を調べてみると、サッカー選手のインタビュー本とか、アイドル歌手の写真集とか、確かにヒット作は連発しているようでしたが、文芸畑というよりサブカルチャー系の印象が強くて、私は一抹の不安を感じました。

それでも私は改めてお礼を述べて、メールで彼女に原稿を送りました。
翌日親戚から「今朝から読み始めたそうです。かなりのボリュームに驚いてましたよ。かなりストレートな方なので覚悟しといてね」とメールが来ました。
いよいよ大手出版社のやり手の編集長が、私の小説を読み始めてくれたのです。
私の緊張は極限にまで達しました。
遂に、やり手の編集長から直接感想を聞く機会が巡ってきたのです。
私は緊張しながらも、夢にまで見た「編集長との対決」の時が近いことを感じて、興奮を抑えきれませんでした。

編集長の評価に愕然

多忙の編集長が、仕事の合間に素人の持ち込み原稿を読むのにどれくらいの時間がかかるのか、私には見当もつきませんでした。何と言っても「スピニング・ジョー」は原稿用紙900枚の大部です。
私は毎日落ち着きなく、彼女からの返事を待っていました。
1日で読めるのか、1週間なのか、それとも1か月待たされるのか、さっぱり分からない中で待つ時間はことのほか長く感じるものです。
ところが、意外と早く、1週間後に彼女から返信メールが送られてきました。
私はドキドキしながら、そのメールを開けてみましたが、その内容を読んで私はただただ唖然とするばかりでした。
一言でいうと、酷評でした。
しかし、私が愕然としたのは、高い評価を得られなかったからではありません。
その編集長のあまりにもレベルの低いコメントに唖然としてしまったのです。
これでは全くの期待はずれとしか言いようがありませんでした。
多忙な中、貴重な時間を使って読んでくれた編集長にも言い分はあるでしょうが、私のほうでも全くの時間の無駄に終わってしまったという徒労感しか残りませんでした。

彼女は、主人公はさえないダンサーで、うまくいかない腹いせにただ切れるだけの男なので全然感情移入できないというのです。そしてご丁寧に、小説で大切なのは、面白いストーリーと魅力あるキャラクターの設定ですと「ご教授」までしてくれました。海外で苦労した経験のある友人は、NYで単身奮闘するジョーに魅力を感じ、彼に声援を送り、彼の苦悩を共に感じ取ってくれましたが、そのような多くの読者とは真逆の彼女の評価は、「友情、努力、勝利」をキャッチフレーズにしている少年ジャンプの編集方針を聞かされているようで、単純明快ではありますが実に空疎なものに感じました。
次に、そんな主人公も、全編通して少ししか出てこないのに、なぜそんな人の名前を題名にしたのかわけがわからないというのです。
それまで読んでくれた人の多くが、この題名が凄く良いとか、この作品にピッタリだとほめてくれたのと好対照で、この点でもそのあまりのギャップに唖然とするしかありませんでした。
何度もいうように「スピニング・ジョー」とあだ名される彼こそが、私がこの作品で伝えたいメッセージのまさに象徴的存在で、それは読めば誰にでも分かってもらえるものだと思っていました。
お話の中に出てくる時間が短くても題名になっている作品などいくらでもあるのに、なぜそのようなくだらないことを言うのかと呆れるしかありませんでした。
「となりのトトロ」の主役はサツキとメイで、トトロはあまり出てきませんが、それでは題名が「サツキとメイ」のほうが良いかというとそんなことはないでしょう。「オズの魔法使い」に至っては、そんなものは存在さえしないことが最後に分かりますが、この題名が「ドロシーの冒険」にすべきだという人はいないでしょう。「レベッカ」にしても、「パルムの僧院」にしても、そんな例はいくらでもあります。
要は、この小説で私が訴えたいことが、彼女には全く響いていなかったということなのです。
現に彼女自身、この小説であなたが何を言いたいのか、さっぱり分かりません、とはっきり言ってきました。
こうはっきり言われるとこちらもお手上げです。
彼女のコメントは、世界を股にかけたバンカーの意味が分からず、「何が言いたいのかさっぱり分からない」と言ってきた六本木の20代の接客業の女性と大差ないものでした。
読み手に理解されないような小説を書いた筆者が悪いと言われれば、返す言葉もないですが、それでも少なくとも私の友人の多くがしっかりと理解している事実を考えると、必ずしも私のせいばかりだとは言えないでしょう。
彼女の読解力に難があるのか、それとも著しく私と感性が異なるのか、そのいずれかなのでしょう。
あるいは彼女は、30年前のNYを舞台にした留学小説なんて今更はやらないと思って、最初から出版する気がなくて、ほとんど読まずに返事をしてきたのかもしれません。
そうとしか思えないほど、彼女のコメントは浅薄でお粗末なものでした。
挙句の果てに彼女は、あなたがNYでの思い出を日記のように綴って、仲間うちで思い出に浸りたいのなら、商業出版にはそぐわないので、自費出版をお薦めしますと、ピントはずれのことまで言ってくる始末でした。

大手出版社の編集長にようやく読んでもらえる機会を得て、どのような評価が聞けるのか楽しみにしていた私としては、全くの期待はずれに終わり、大きな失望感しか残りませんでした。
現在の大手出版社の「やり手の編集長」の実力もこの程度なのかと、ただ唖然とするばかりでした。
伝説の編集長だった高橋一清さんのような、厳しいながらも、こちらが納得できるような鋭いコメントが得られることを期待していた私はすっかり拍子抜けしてしまいました。
「三島由紀夫の自決で日本の作家は終わった」と言った文芸評論家の江藤淳さんの言が正しいなら、日本の文芸を担うに足る編集者の時代も同時に終わったのかもしれません。

私は反論する気も、自分の作品を擁護する気も失せて、ただ彼女にお礼のメールを送りました。
彼女と何を言い争っても、時間の無駄だと感じたのです。厳しい批判の中にもう少し何か響き合うものでもあれば、こちらも言い返す気になりましたが、私としては彼女と共有できるものは一切ないように感じました。

それでも彼女は、文章は商業出版のレベルにありますと、一応及第点をくれました。
そしてお決まりのフレーズです。
折角文章力があるのだから、松井さんのキャリアを生かして、「経済小説」を書くことをお薦めします、というのです。最後に私を慰めるつもりで言ってくれたのかもしれませんが、私としては聞き飽きたお題目でしかありませんでした。

しかもそれに続く彼女の言い分はもっと衝撃的なものでした。
松井さんには自分で思い入れがあるものを書きたいという願望があるのかもしれませんが、実際に自分が書きたいと思っている小説を書いている作家はほんの少数の売れっ子に限られ、恐らく100人に一人か二人くらいしかいないのです、と私を諫めてきたのです。
これには私も怒りがこみあげてきました。
言外に、どんな作品が売れるかの目利きは出版社に任せておけば良いから、作家は出版社に言われた通りの作品を書いていればいいのだという、なんとも傲慢な姿勢が見て取れたからです。そこには作家の個性や独創性に対する尊敬の念は一切感じられませんでした。
彼女はストレートな物言いを売りとしている、「やり手の編集長」なので、もう少しオブラートに包んで言えばいいものを、つい口がすべったのかもしれませんが、私には、それが多くの出版関係者の本音だということがようやくわかってきました。
そこには出版社が上で、作家は下という明らかな上下関係の意識が存在しているのです。
これではまるで、立派な料亭のお座敷に出たければ、こちらの振り付け通りに舞っていればよいのだと芸者に迫る置屋と何ら変わらないと感じました。
芸者である作家は、想像力だの芸術性だの余計な御託を並べずに、こちらの言いつけ通りひたすら売れる作品を書き続けていればよいのだ、という単純明快な理論です。

私は、作家が狭い鶏小屋に閉じ込められて、ひたすら金の卵を産み続けるように迫られている光景が目の前に浮かんで暗澹たる気持ちになりました。
そうやって、多くの作家が自分の意に沿わない作品を、出版社に追い立てられながら必死に書き続け、やがては疲弊して使い捨てられていくのでしょうか?そういえば、デビューしたての頃は濃密で面白い作品を書いていた作家が、その後数多くの作品を出し続ける中で、少し設定を変えただけの同じパターンの似た作品ばかりになっていることが気になることがありました。最初はフルボディの重めのワインだったのが、水のような薄味のワインになっていくような感じです。もしかしたら、その作家も本当はそんな作品は書きたくないのに書かされているだけなのかもしれません。

こんな状況では、「嵐が丘」のような魂を揺さぶる名作はもう出てこないだろうと感じました。「嵐が丘」に登場するのは、誰一人感情移入できないようなひねくれた人物ばかりです。それでも相手を憎み、恨みながらも愛さずにはいられない、どうにもならない情念に突き動かされる人の性というものに、魂が揺さぶられるのだと思いますが、「友情、努力、勝利」を求めるような今の出版業界の単純な発想からは、「水戸黄門」のような分かりやすい作品しか産み出されず、このような深みのある作品が出てくることはないのでしょう。

出版業界に対して感じた違和感の正体

はっきり言って、彼女とのやりとりで、私が普段文学好きと会話する時に感じられる文芸のフレイバーというものを嗅ぎ取ることは一切ありませんでした。
本来出版社というのは、日本の文字文化や文芸を守り育てていく高尚な役割を担っている存在だと私は勝手に思い込んでいたのですが、そんな幻想がもろくも崩れ去っていくのを感じました。

こうして私が出版業界に対して漠然と感じ始めていた違和感の正体が段々と明らかになってきました。
この業界は、本来の使命を忘れて、今や文学にさほど愛情を感じていない者たちが、営利にとらわれてひたすら商業主義に走っているのではないかという疑義です。そんなことを真剣に懸念する一方で、それではあまりにも悲し過ぎるので、それは私の思い過ごしであってほしいと願わずにいられませんでした。
「9人の翻訳家、囚われたベストセラー」という映画では、著者や著作に対する愛着や敬意を持つことなく、ひたすら金儲けのことしか考えない出版社に対する強烈な皮肉が描かれていますが、今の日本の出版業界の実情も似たようなものなのでしょうか。
たとえ下らない作品を粗製濫造しようとも、とにかく本が売れさえすれば良いというのが、今の出版業界の本音なのでしょうか。

「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」という映画では、作家を目指す主人公が出版社に原稿を持ち込んでも、「こんな普通の家庭の様子を描いても面白くない。もっと刺激のあるものを書け」と言われて突き返されます。才能ある主人公は、殺人とか決闘などという愚にもつかないものを書き続けて時間を浪費することに抵抗を覚えて悩みます。
今の日本の出版業界もこれに似ているのではないでしょうか?
映画では編集長がボツにした原稿をたまたま彼の子供たちが読んで面白いと騒ぎだし、これは売れるかもしれないと編集長が思い直すことで出版に至り、結果として何世代にもわたって読み継がれる「若草物語」という名作が誕生することになるのですが、今の日本の出版業界では、この子供たちの役割を担ってくれる人はいるのでしょうか?
私にとって、この子供たちの役を演じてくれるのは、「面白い」と言ってくれた友人だったのかもしれませんが、彼らが出版社と交わることが皆無である以上、この時の私は出版の道が閉ざされてしまったと思わざるを得ませんでした。

こうして、大手出版社の編集長に作品を読んでもらうという、普通ではあり得ない絶好の機会を得ながら、私はそのワンチャンスを活かせずに終わりました。
これは相手の読解力がどうのとか、感性がうんぬんと言っても埒が明かない、完全なる私の敗北でした。
これでもう、素人の持ち込み原稿は読んでもらえないから出版できないという言い訳も通用しなくなりました。
実績のある「やり手の編集長」が下した判断のほうが、まだ作家デビューも果たしていない素人の物書きの言い分より正しいに決まっているのです。
現に私の作品を読まなかった親戚も「彼女はやり手の編集長だから、彼女の言うことは正しいと思うよ」と決めつけて、これからは趣味で書き続けたらいいよと私を慰めてくれました。
もう何を訴えても、出版業界の現状を憂えても、負け犬の遠吠えとしか受け止められないことは明白でした。
そのことがなんとももどかしく、悔しくて仕方ありませんでした。

私は悔しい想いを胸にしまって、親戚にお礼を述べましたが、この悔しさをどこにぶつけていいか分からず、一人で耐えるしかありませんでした。
この一連のやりとりで、私は如何ともし難い無力感を味わいました。

表から堂々と入って行こうとしてはじかれ、今度は裏からコソコソと入っていこうとしてあえなく拒まれ、全ての道が閉ざされ八方塞がりの私に、残されている道があるとは思えませんでした。
何より、出版業界に対して大きな失望感を抱くに至って、もうこれ以上ジタバタしても徒労に終わるだけだという諦観に包まれていたのです。

ところが、世の中わからないもので、大手出版社の編集長とやりとりした後に、すっかり力が抜けて喪失感に浸っていた私は、後々の出版へとつながるきっかけを作ってくれた、出版業界で働く3人の恩人とお会いすることになるのです。
まさに捨てる神あれば、拾う神ありです。

                                               (続く)


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