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「境界戦機」とは何だったのか 第3回 ロボットアニメって何?
境界戦機ファンのみんなごきげんよう、ランガタロウです。
第一回ではシンプルに境界戦機全体の駄目なところを
第二回では自治区DASH村編を通じての作品の中にある臭みある思想性をお伝えしてきた本シリーズ
第三回のテーマは
「ロボットアニメとして」どう?
このあたりをやっていこうと思います
ロボットさえかっこよければ
主人公が戦う目的も、主人公が何と戦うのかも、世界設定も、守るべき人達が何に虐げられているのかもふわふわしている境界戦機
それでもロボットアニメなのだから ロボットが魅力的であればそれだけでなんとか撮れ高とは生まれるはずだが。
境界戦機の「メカ戦」「ロボットアニメとして」の部分には見た人の間でも非常に意見が別れます
カッコイイという人もいれば「クソ」という人もいる
僕の結論なんですけど
「叩かれるほどじゃないけど 求められてる物も入ってない」
って感じなんですよね。
手描きだから良いとか手描きだから悪いとかでもなくて
「リソースが無いけど止め画を効果的に使ってダイナミックな絵を演出してるよね それはそれとして止め画を効果的に連打するのって 節約の手法なので 節約してない絵が見たいですね…」って感じの なんとも言えない質感なんですよ。 これを悪いって言うには贅沢だけど、良いというにはチープなんですよ。
この連載記事ではアニメで見て感じた範疇のことで解釈するという縛りを設けているので、放送前のことやスタッフの発言に触れるのはルール違反なんですけど。
この境界戦機ってアニメそのものはホビージャパンWEBなどを通じてのメディア広報だと「リアルロボットの新境地」って宣伝してたアニメなんですよね。
で、放送前の宣伝と実際のアニメの内容が違うのなんて普通のことなんで、そこをあえて「悪い」と言い切りたくないんだけど。
境界戦機の場合は様々な要素が絡み合って「なんで?」ってことになっちゃったんですよね。
1話を例にしても、主人公が乗り込むロボット「メイレスケンブ」はもう完全にスーパーロボットとして描かれるんですよ、工業的なデザインで作られたリアルなロボなのに。
動力源は電気だし関節駆動はモーターだし、ビーム兵器も存在しないリアルな世界観の中で30mm機関砲が直撃しても無傷の装甲を持った巨大ロボットとして立ち上がるし、ブースターも無しに足のバネだけで跳躍するんですよ。
これは上手くやれれば全然悪くないんですよ、ものすごくロボが”リアル系”な世界観である日少年が「スーパー系」なロボを手に入れて無双していくような作品なら、賛否はあってもアンチと同じ数のファンが付くと思うんです。実際「リアルロボだし そんな武装はついてないのに 気分を盛り上げるために 必殺技名を叫ぶ」っていう演出は面白かったと思います
でも、この「主人公が凄い」って要素を「有人機だから無人機より硬い」と設定してしまったのがそれ以後の全てにケチをつけてしまった感じなんですよね。これによって「あえて有人機であるからこそ無人機より強い」って要素が消えちゃったし 例えば「有人だからこそ無人機にはできない発想力がある」って要素は「AIがパイロットに提案する」という要素によって 「じゃあもうAIがやればいいじゃん」になってる
あとまぁ機関砲の直撃に普通に耐える装甲を持ったことで「弾が当たると危ないから物陰に」みたいなアクションも無くなったし、例えば「これは流石に装甲が抜かれるからヤバい!」みたいな大砲を持った敵が出てくるみたいなシチュエーションも無いんですよね
ロボットアニメにおける巨大ロボットとは何かっていうと「人間の力を拡張 拡大するもの」なわけです、例えばガンダムのモビルスーツってのは巨大な宇宙服としてデザインされていて、だからこそ歪な見た目の巨大MAとかに載ってる人の心が歪んていく、巨大なMSに乗るほど自意識が肥大化していくようなことを見せたわけですし
マジンガーZなんかは身長が18mなのを「大人の10倍だから」って感じなわけです
で14歳からそこらの少年が「大人に勝てる腕力を得る」っていうのが「ある日少年がロボットに出会う」ってことなんですけど
境界戦機は1クールを通して「メイレスケンブ」という巨大ロボのことを「主人公の力 主人公がこの手にしたもの」として描くことが出来てなかったと思います。
摺合せに失敗したAI要素
じゃあ主人公ロボが主人公の力として描かれなかったのはなんでかっていうと「AI」の要素を消化しきれなかったせいなんですよね
主人公は山奥で偶然拾ったデータユニットに入っていた自我を持ったAI「ガイ」と出会い ガイをパートナーとしたことで「ロボットにのって立ち向かおう」とか「あれをしたいこれをしたい!」っていうのを無気力だった主人公が得ていくっていう構成に境界戦機がなっていて。
「それはAIの言いなりになってない?」って視聴者としては思ったし特に1話2話を見ていた頃は「実はAIに導かれて騙されてた的などんでん返しがある!」とすら思っていたんですが。
どうも1話から13話まで見た結果「AIのおかげで自分のやりたいことが見つかった、それを最後までサポートしてくれたAIにまじで感謝」って文脈のみで構成されていたっぽくてビビりました。
巨大ロボットにサポートAIが乗っかっててパイロットとの間に友情が芽生えるなんてロボットアニメでは100%失敗しない要素なのになんで境界戦機は失敗してるかっていうと
ロボットがいなくてもAIが使えるようになってるんですよね。
サポートAI達は普通にロボットからユニットごと取り外しが出来ちゃうんですよ、ロボットと紐ついてないんですね。
「戦いの中で仲間が死ぬのを見て怖くなった主人公がロボを捨てて逃げだす」みたいなロボットアニメ定番のエピソードであるはずの4話終盤から5話の前半にかけても「ロボットは捨てたけど AIは取り外せるからパートなとしてずっと付いてくる」「ロボットを捨てた後の生活もずっとAIが超技術でサポートしてる」ってなってるので ロボットを捨てたことがあんまり大きい出来事になりえてないんですよね。
もちろん5話では最終的に「今この現状を打破するためには力が必要だ」ってロボットを取りに戻るんですけど、この回終わったら 戦闘そのものが無くなっちゃうので「せっかく取りに戻ったのに戦う回が無いから この出来事を経て主人公が力に対してどう変化したか」とかが描かれない
6話なんかが凄くて
「アモウとガシンのロボは動かせない状態なのに 街で紛争が始まって民間人の避難が終わってない」というシチュエーションが発生するんです。
普通のロボットアニメなら例えば主人公が動かせないロボで飛び出してピンチになるけど「それでも」誰かを守るために飛び出す姿を通して主人公がどんな人間かを描くし、そこで新しいロボが登場して活躍することで新しいロボも引き立つわけなんですが。
じゃあ境界戦機はここでどうするかというと「パートナーAIが逃げ遅れた民間人全員のスマホをハッキングして避難誘導する」というちょっと無理やりな展開が出てくる
意地でもロボットを魅力的に引き立てないぞ!という強い意志でも働いているかのような流れでマジでびっくりする、それもう全部AIでいいじゃん!である。
結局この回は3号ロボ「メイレスレイキ」のお披露目回であり、3機のメカの中で、というか「境界戦機の世界の中で」唯一飛行可能なロボという技術的特異点な存在なのだが…
メイレスレイキの武装はヒートナギナタ一本であり、銃などという日本人の魂に反する卑怯な武器は使わないという思想でも漏れ出しているのか、せっかく空を飛べるのにいちいち降りてきてナギナタで切ってまた飛んでいくという なんだか良くわからないアクションを展開していく
もうこのあたりになると「リアルな動き」でもないし「リアル系の世界でスーパー系な動きをしてる」のどちらでもなくて
「1クールアニメなのに 4クールアニメの省力作画のテクニックを延々駆使ししてる」みたいな状態になっていて なんとも言い難い感じになる。
それが悪いとも言えないというか「見れる」画面になってはいるんだけど、「じゃあこの画面の中にある 境界戦機だからこそ見れるロボットの動きとか ロボットアニメフェチが食いつくようなこだわりの動きって何?」ってなっていくんです。
基本的に「そのロボットアニメじゃないと出てこない絵面」が求められてると思うんですけど「最低限のテンプレは備えているけど このアニメじゃないと見れない絵はありません!」みたいなチグハグな感じというか。
減点するほどじゃないけど加点の無い絵面が続く…というような感じですね…
プラモデルが余ってるだの何だの言われてるのは、アニメの出来が悪いとかそういうことの前に「アニメを見ることによって広がる世界観」が無いと言いますか
「アニメには出てこないけど この世界の戦場にはこういう風景があるかもしれない」というイマジネーションがMSV的な「砂漠色に塗られたザク」を生み出すわけですけど、もうそういう想像の余地をもたらしてない作品と言えばいいのか。
でも褒めるところもあるんですよ
はい、なんかもう自分でも何言っていいかわからない記事になってまいりましたが、でも境界戦機の戦闘、境界戦機だからこその戦闘
実はあるんです。
境界戦機7話でございます。
境界戦機最大のイレギュラー「どこの軍にも所属しておらず無差別に襲いかかる謎の自立機動兵器 アメインゴースト」を追って北米軍のブラッド大尉が攻撃を仕掛けるというエピソードです
この回はですね偉いです、もちろん境界戦機なんでお話の流れとしてはガバガバですけど、ここでの戦闘アニメはロボットアニメとして褒めるべきものだったんですよ。
無人機がメイン運用されている世界であえて有人のロボ4機を投入して仕掛ける北米軍。
無人機との戦闘経験しか蓄積されていないので戦術パターンを構築できずに反応にラグのあるゴースト。
連携によって「AIに次の選択」を迫らせ続けてプレッシャーを掛け続ける北米軍
メカ輸送用のヘリも機銃掃射を続けて常に追い込み続ける。
有利になったかと思えばゴーストは「有人機は人が載っている」というリスクの意味を学習し、「殺しにかかるフェイントをすることで連携を崩す」という技を繰り出す
北米軍とゴーストの間で代わる代わる「こうされたら!こう! こうされたらこう!」という選択と解答の応酬が巻き起こる
そうだよ!普通ロボットアニメのバトルってそうだよな! 棒立ちの無人機を殴って満足してる主人公ロボとは大違いだぜ!というテンションに盛り上がっていく。
戦いの中で成長し、対応が優秀になっていくゴーストに対して
ブラッド大尉は「指揮権をくれ」と部下に告げます
ここからが「境界戦機だからこそ」の戦闘描写です
境界戦機のメカは基本的に無人機なので有人機でも「指揮官機からの命令で無人機として動くモード」が搭載されており
これを応用して「自分の考えを部下に伝えて『了解』と返事をもらうよりも速く 部下の機体を遠隔コントロールすることで 驚異の連携を生み出す」という技を出してきます。
自我の無い「普通のAI」を搭載されたマシンを扱う上での最適解とも言える連携 その上で「簡単なAIが動かしているのに 人間が命令したパターンにない行動」をすることでゴーストの戦術処理を上回って対応し、スキを作ったところからの複雑な突撃行動処理はまた有人パイロットに戻して仕掛ける。
つまり「ちゃんとしたAI」の話と「フィクションのAI」の戦いをやってるんですよね、人間が命令してそれを人間がやるよりも速く処理してくれるっていう意味での「現実のAI」と「自己学習自己進化を繰り返し 自我を持つフィクションのAI」であるゴーストの戦いをやってる これは超面白い
最後の「パイロットで死んで動かなくなった機体」に「引き金だけ引かせる」という小技によってゴーストの感知の外から攻撃を仕掛けつつ
「君の死を穢してしまったかもしれない…」と死んだパイロットの載った機体すら利用してしまったことを人間の情緒で反省するブラッド大尉の流れはこのアニメで唯一面白いと言っていいだろう
こういうことをやりたかったのか!こういう要素をロボットの面白さとして追求するんだね!と思ったのでここはめちゃくちゃ褒めましたが、まぁ…この話の後にそういう要素のある戦闘って無かったんですよね… うん…
最初からこれを毎週やってれば「境界戦機」っていう個性が産まれたと思うぐらいの回なんですが、残念です…
というわけで次回に続きます。第三回はちょっと僕の文章そのものが緩かった気がするので修正が入るかもしれないです ではまた次回までごきげんよう