「恋するリコーダー」本村睦幸さんからリコーダーを教えてもらう (9)
歌うように奏でる
ピオの食事会はとっても賑やかだった。出席者の半分はイタリア人。イタリア語と日本語と英語の協奏曲。
ジョルジュのお店のイタリア料理はサイコー! マカロニ料理の魚介の出汁がすばらしい。サービスもサイコー。イタリアの男性は女に優しくてうれしい。
イタリア人なのに日本人より語彙の豊富な方々。恋バナのさ中「羅生門のように彼の側からの話も聞いてみましょうよ」なんてジョークが飛びだすし、オペラ「蝶々夫人」が宴会芸として歌われるのだけど、これがまたうまいっ!かっこいい!
オペラの名曲をいきなり同じテーブルの女性が歌いだすという人生初の体験に新鮮なショックと驚き。
なんだ、これは?
「イタリア語って、オペラのためにあるんだ!」と思わず絶句。
いや、だってイタリア語じゃなかったらこんなにかっこよくないって。日本語でオペラって無理って思う。根本的に発声が違う。イタリア語は歌うための言語だ!みたいな衝撃。
隣に座っていた作曲家の三枝茂章さんが「都はるみの『北の宿』はショパンのピアノコンツェルトだよ」と言う。「ショパンをパクったんだから売れるはずだね」
マジか……。確かにそっくり……。
「では、これから日本の演歌とイタリアのオペラをハイブリットで歌います」
オペラと演歌が、日本語とイタリア語のマゼコゼで歌われて、それがまた妙にフィットするのだ。オペラが日本語になり演歌がイタリア語になり、渾然一体となってなんだかわからないけど芸術になってる。イタリア人、恐るべし!
どうしてイタリア人ってみんな声がいいの? 歌がうまいの?
それはイタリア語を使うから?
「イタリア語を習おうかな」と言ったら、友人のディエゴが「イタリア語なんてイタリア人しか使わない言語なんだから、英語を学んだほうがいいよ」って言う。
そりゃわかっているけど……、あんなふうにオペラが歌えたらかっこいいなって思う。
英語は便利だけど、かわいくないもん。
「なんでもいいからオペラをイタリア語で歌ってみたい……一曲だけでいいから」
これはリコーダーでバロックを吹きたい……という野望に近いかも。
ディナーの後、「蝶々夫人」を歌ったTzianaが「うちのマンションまで散歩して一杯飲んで帰るのはどう?」と誘ってくれて、二人で麻布十番から元麻布まで歩く。
初対面の相手の家に夜中に遊びに行くなんて、何年ぶりだろうなあ。二人でナポリの思い出なんかしゃべりながら夜道を歩く。
「日本人ももっと唄えばいいのにね、私は会社でも時々歌うわ。部下が元気になるから」
……アカペラであんなインパクトのあるオペラを歌われたら元気出るよ。カラオケとは質的に違うものだ。自分のためではなく誰かに捧げている歌。
「あなたは作家でしょう、いまはどんなものを書いているの? 次なる野望は?」
「いまは何も書いていない。20年書いてきて、あまりに長い時間をパソコンの前で過ごした。だから、休暇をとったの。長い夏休みの最中。海に潜ったり、リコーダーを吹いたりしている」
「それはステキじゃない。たくさん休むべきよ。60冊も著書があるなんてすごいこと。働き過ぎよ」
文章を書くことと、本を出すことは違う。文章を書くのは趣味でできる。本を出すのはビジネスになっちゃう。好きだったことがビジネスになってしまって、なんだかつまらなくなった。
しばらく出版から離れてしまうと、だんだん気楽になったきた。文章以外の表現にチャレンジしてみたくなった。なんだっていいのだ。楽しければ。
歌もいいなあ。
とはいえ、私の歌なんか捧げられても周りはうれしくないかな。歌は下手だ。声も悪い。音域もない。日本にいるとなんとなく劣等感が強くなるのはなぜ?
スコットランドのコミュニティ、フィンドホーンでの毎日を思いだした。朝は必ず歌で始まる。石造りの小さなホールでいろんな歌を合唱する。混声四部……や輪唱……。歌ったり、踊ったりすることがあたりまえの生活。祈りや瞑想や、庭仕事。楽しかったし、歌うことが幸せだった。歌の優劣なんて競わなかった。
うちに帰ってから、リコーダーを吹いた。
この巡礼歌はスペイン語なのか? それともラテン語? それすらよくわからないけれど原語で歌えるように練習してみよう。
本村さんが「歌うように奏でる」と言っていた意味が少し飲み込めた。人間はきっと大昔は歌って会話していたんだ。そんな気がした。
※写真は大昔にナポリに行った時にもの。またイタリアに行きたいな。