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これまでの人生を振り返って、これから社会人になる方に伝えたいこと
「社会人」になるあなたへ
あなたは、自分の就職したい業界や会社に入れましたか?
あなたは、やりたいことが明確になった上で、社会人デビューを果たせそうですか?
あなたは、大学卒業後の未来に対して、ワクワクしていますか?
それとも、
あなたは、希望の業界や会社に就職できず、落ち込んでいますか?
あなたは、やりたいことが分からず、ただ社会の流れに身を任せている状態ですか?
あなたは、大学を卒業せず、まだ学生でいたいと思っていますか?
上記質問に対して、「分からない」と答える人も多いだろう。大丈夫。私も分からないことばかりだった。これまでの人生を振り返り、これから社会人になる方に向けて伝えたいことを綴ろうと思います。少しでも何かのヒントになればと思います。
そもそも「社会人」とは?
「社会人」に明確な定義はない。「社会人」とは「社会の構成する一員」なので、「学生」も「社会人」と捉えることもできる。
日本国憲法第27条1項は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」としている。では、勤労の権利は何歳から有するのか?
労働基準法第56条で、使用者は、児童が満15歳に達した日以後最初の3月31日が終了するまで、これを使用してはならないとしている。
広義では、「社会人=勤労の権利を有する、義務教育を終えた15歳以上の人」と言えるかもしれないが、ここでは、「社会人=大学を卒業し、就職した人」と狭義的に定義する。
働くとは?
あなたにとって、「働く」とはなんですか?
生計を立てる手段ですか?
お金を最大限稼ぐ手段ですか?
社会に貢献するための手段ですか?
自己実現の手段ですか?
社会的ステータスを得る手段ですか?
まだあまりイメージが湧かないかもしれないが、結論、答えはない。答えはあなたの中にしかない。多くの人とって、人生の大部分の時間は労働に充てられるだろう。そのため、あなたにとって「働く」とは何か自分なりに定義し、自分なりの意義を持って人生に臨む事が重要だと考える。
もちろん、あなたの人生は、あなたの人生だ。どのように生きるかは、あなたの自由だ。しかし、人生の大部分の時間を占める「働くこと」に対して意義がないと感じる人生は、あまりにも虚しい。
あなたには、自分の人生を楽しむ権利があり、楽しむ義務がある。そのため、労働の意義付けを放棄することは、人生を楽しむ権利を放棄することと同様だと考える。
働く「意味」は存在しないが「意義」は存在する
「意味」と「意義」の違いを明確にしておこう。
意味:言葉・行為により示される一般的な内容、または物事の一般的な価値
意義:より限定された、言葉が表す内容や物事が持つ価値
一言でまとめると、「意味」とは「広義的な価値解釈」であり、「意義」とは「狭義的な価値解釈」であると言える。
例えば、「運動」は 「体を動かすこと/走る、蹴る、投げる、飛ぶ」など、「運動」が示す一般的・広義的な行為を表す。
一方、意義は、「健康を維持できる行為」「筋肉や体力をつけることのできる行為」「心を健康に保つのに役立つ行為」など、限定的・狭義的な運動に対する見方を表す。
「意味」は英語にするとWHATと考え方が似ており、その言葉が表すものは何なのかを説明する、そのものは何とイコールなのかを述べるといった使われ方をしている。
一方、「意義」は英語にするとWHYと考え方が似ており、そのものの必要性や価値について、なぜそれが必要なのか?なぜ存在するのか?ということを表していることが多い。
「働くこと」「働くという行為」自体に広義的な価値はなく、むしろ狭義的な価値しかない。なぜなら「労働」の捉え方は人それぞれだからだ。つまり働く「意味」は存在しないが、「意義」はある。「人生」も同じく、「意味」はないが「意義」は存在する。
あなたにとって、「楽しい」とは何か?
あなたの「楽しい」は、なんですか?
問いを少し変えよう。
あなたにとって、優先したい「幸福度の高い状態」とはなんですか?
家族と仲良く過ごしている状態ですか?
何かに熱中している状態ですか?
仲間とわきあいあいとしている状態ですか?
何かの目標に向かっている状態ですか?
何かの役に立っていると周りから認められている状態ですか?
未知に向かっている状態ですか?
何かに勝った状態ですか?
自分にとって重要な問題を解決している状態ですか?
自分が得意だと感じるものをしている状態ですか?
これも結論、答えは存在しない。答えは、あなたの中にしかないが、幸福だと感じる状態に多くの人は意義を感じるのではないだろうか。
重要なのは、自分の幸福な状態の優先度を人生の中で一貫させ、シンプルにすることだ。そして、それを「働くこと」とできるだけ紐付ける(=意義付ける)ことだ。
全ては、ものの見方次第
あなたは、あなたがしてきた経験、あなたの身の回りで起きていること、あなたが置かれている環境をどのように捉えますか?あなたには、どんな景色が見えてるだろうか?
景色が変われば、行動も変わる。
あなたにとって、目の前の事象が「山」に見えたら、あなたはその山を「登る」だろう。
あなたにとって、目の前の事象が「海」に見えたら、あなたはその海を「泳ぐ」だろう。
あなたにとって、目の前の事象が「空」に見えたら、あなたはその空を「飛ぶ」だろう。
あなたの狭義的な価値解釈、あなただけのものの見方、あなただけのの尺度を通じ、「働くこと」や「人生そのもの」にあなただけの意義を見つけ、それを実際に体現するこで幸福を感じるものだと考える。
ものの見方は常に変化する。全てあなたの行動次第
あなたがどのような景色を見るか判断するためには、まず実際に行動しないと、そもそもその景色を見ることができない。
あなたにとって、サッカーが楽しい・得意かどうかは、実際にサッカーしてみないと分からない。
あなたにとって、デザインが楽しい・得意かどうかは、実際にデザインしてみないと分からない。
あなたにとって、マーケティングが楽しい・得意かどうかは、実際にマーケティングを勉強してみないと分からない。
あなたにとって、プログラミングが楽しい・得意かどうかは、実際にプログラミングしてみないと分からない。
あなたにとって、人前で話すことが楽しい・得意かどうかは、実際に人前で話してみないと分からない。
まずは、自分の直感を信じて、何でも試して行動しよう。その中で、自分が納得するものの見方や自分だけの意義を見出し、どうすればそれを「働くこと」や「人生そのもの」と紐づけられるか考えてみよう。また、ものの見方はどんどん変化させよう。変化を繰り返す先に、価値が相対化され、本当に自分にとって価値のあるものの見方だけが残る可能性が高い。
スキルとは何か?
私は、自分の社会的価値を高めるために、何か専門的なスキルを身につけないといけないと思い、コンサルに転職した経験がある。しかし、今は必ずしもそれは必要だと感じなくなった。
私個人の狭義的な解釈になるが、スキルとは、自分のものの見方を通じた、実現したい状態(=自分が優先したい幸福度の高い状態)を実現するための引き出しみたいなものだと捉えている。
山を登りたければ、地図を読むスキル、危機を察知するスキル、食糧の調理スキル、ルート逆算スキルなどが必要になるかもしれない。一方、これらのスキルは、山を登った先に実現したい状態によって必要かどうか変わる。自分は日帰りの簡単な山登りで十分満足するのであれば、調理スキル、危機を察知するスキルなど不要になるかもしれない。しかし、そもそもこれらのスキルが必要だと感じるかどうかは、実際に山に登ってみないと分からない。
まずは、行動してみて、自分が本当に必要だと思ったスキル、自分が身に付けたいと思ったスキルだけを身につければいい。
行動とは自己投資に近い。自分の限られた時間やお金を自分に投資して、何かしらの効用や成果を得る行為とも言い換えることができる。そしてその効用や成果をどのよう捉えるかは、全て自分次第だ。
自分の価値を高めるためになど思わなくてもいい。自分の価値を社会(=他人)に決めさせていけない。時代に合う形で、自分の意義とスキルをできるだけ紐づけよう。
今からでも遅くない。社会人になる前にたくさん行動して、色んな経験を積もう。
自分のやりたいことはその瞬間の仮説でしかない
自分のやりたいことが分からないと、悩んだことはないだろうか?私も就活していた頃、同じような悩みを持っていた。なくても大丈夫だ。20年強の人生の中で感じるやりたいことなど、本当にやりたいことではない可能性が高いからだ。
私も、世界を飛び回りたい、経営者に対する漠然な憧れがある、インパクトの大きい仕事がしたいなどといった理由で総合商社に入ったが、振り返ると、ただ給与が高い業界に入りたかっただけだ。これらはただの建前で、本当にやりたいことなどなかった。やりたいことを持つべきだという思いから、自分のこれまでの20年強の学生人生と、むりやり論理付けた脆い仮説でしかない。やりたいことがないと悩む必要はないが、たとえ脆くても仮説を持つことが重要だ。仮説を持っている状態は、自分と向き合った結果だからだ。自分と向き合うこと自体に意味があるため、仮説は崩していく前提で自分から逃げずに向き合って欲しい。
最後に
イチローの好きな言葉がある。
「無駄なことをしないと合理的になれない」
その通りだと私も思う。自分のものの見方とは、自分の合理とも言える。この世に無駄なことはないと思って、何でも行動(=自己投資)して欲しい。
特に学生の間は、自分に使える時間がたくさんあるため、積極的に自己投資していこう。