EQという能力について
最近「EQ」という能力を知った。
自分なりに色々調べてみたが、「結構大事な能力なのでは?」と思い、私が感じたEQの重要性について書くことにした。
そもそもEQとは何か
EQとは、"Emotional Intelligence Quotient" を指す。日本語にすると、「感情的知性」「こころの知能」という意味だ。定義は以下の通りである。
一言で言えば、「自他の感情を上手く取り扱う力」と言える。
ふむ。このような概念が生まれたということは、感情を扱うのが上手い人と下手な人がいるという前提があるのだろう。
言われてみれば、確かに感情の扱い方における巧拙はありそうだ。例えば、「メンヘラ」はEQが低いと言えるかもしれない。では、EQが高い人とはどんな人なのだろうか。もう少し詳しくみてみよう。
組織という文脈でのEQの重要性
どうやらEQには、心理学者のダニエル・ゴールマンが提唱している、モデルがあるようだ。ダニエル・ゴールマンは、永年 EQを提唱してきた心理学者であり、同氏によると、EQは以下の5つの要素からなっているとのこと。
この要素分解の背景は、企業社会における優れたリーダーの素養は、IQ(知能指数)ではなくEQ(こころの知能指数)であるという視点に立ち、その素養の内訳を明らかにする試みである。
このような抽象的な概念を分解し、言語化できる人はすごいと思う。このモデルが感情の扱い方の巧拙を網羅的にカバーしている前提で話を進めよう。
どうやら業績の優れた経営幹部と平均的な経営幹部とを比較すると、前者の場合、地位が高くなるほど、EQの構成要素がリーダーの資質の中心へと位置するようになり、能力差のほぼ9割はIQではなくEQにあるとのこと。
詳細の検証方法については、論文を確認する必要があるが、どうやら「EQが高い人=リーダーの資質がある人」という見方ができそうだ。
経営幹部を比較しているので、リーダーとは、チームマネジメントという文脈におけるリーダーを指しているのだろう。
「EQが高い人であれば、リーダーの資質がある人だ」
「EQが高い人 ⇨ リーダーの資質がある人」
これはデータ上では「真」なので、EQの高さは、リーダーの資質の十分条件と言えそうだ。
逆はどうだろうか。
「リーダーの資質がある人であれば、EQが高い人だ」
リーダー資質は、EQの高さ以外にも他の要素もあるはずなので、これは「偽」となる。
つまり、「EQの高さはリーダーの資質としての十分条件だが必要条件ではない」ということだ。
しかし、限りなく必要十分条件に近いと推測している。
チームとは、人間の集合体だ。結局人間は「感情>合理」で意思決定する傾向にあるという前提で話を進めると、ずば抜けてEQの高い人は、チーム全体をコントロールする事にもきっと長けていると言えるだろう。
例えば、「あの人に仕事を頼まれると、なんか嫌」「理屈は分かるが、なんか嫌」「質問したいけど、あの人は怖い」みたいな感情は、きっと誰にでもあるだろう。合理的に正しい選択肢だとしても、感情的には納得できないから、合理的ではないほうを選択してしまうことはよくあることだと思います。「人間の根本にあるのは、合理性ではなく、感情だ」という前提は、本質的だと捉えています。
感情とは?
「じゃあ、感情って何?」という話ですが、私も専門家でないので、詳しく分からないが、以下のように紹介されていた。
感情は脳の信号の一種として捉えると、何のためにこれらの信号を発しているのか?
自分の生存確率を高める、もしくは自分の生存優位性を高めるための判断を導くための「快」か「不快」の信号だと言い換えることができそうだ。
一言で言えば、「感情=自己都合の最適化装置」ということになるのだろうか?
つまり、EQが高い人は、自他の自己都合を最適な状態に維持することが得意な人と言い換えれそうだ。
以下のように感情的意思決定について述べている文章を見つけた。
結果的に感情的な判断が合理的な判断より合理的な場合があるということだ。つまり、感情で自己都合を最適化していることになる。
脳は、絶えず自己都合が最適化されるよう働いているとすると、人間は自分本位な生き物であり、全ての人間の最大の関心ごとは「自分」ということだ。
となると、優れたリーダーは、そんな自分本位な人間を各人に合った形で、感情的に最適化されている状態や環境を作れる人ということだろう。
今回の結論
「EQの高さ ≒ 優れたリーダーの必要十分条件」であり、感情とは自己都合を最適化する装置だとすると、優れたリーダーは、各人の置かれた状況を絶えず感情的に最適化されている状態にアップデートし続けられる人という結論だ。
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