【自然最高】稲毛海岸でテレワーク
先日、朝早めに起きてテレワークの機会を活かし、稲毛海岸で午前中仕事しました。
最高でした(笑)
天気も良いのに、家に引きこもっているのはもったいない!
そんな思いで自転車で40分程かけて稲毛海岸に向かいました。
春風を感じながら、サイクリングロードを爽快に走り抜ける感覚はただただ最高なんですよね(笑)
そして、いざ稲毛海岸に到着!海!
いつも不思議なんですが、海を見るとなんか嬉しいですよね(笑)
海を見ながらベンチに座って仕事しつつ、隙間時間は読書して凄く有意義な時間でした。
周りを見渡すと同様に読書してる人もいれば、ただただ黄昏れている人もいれば、日焼けしている人もいれば、ピクニックしている人もいれば、各自それぞれの方法でリラックスしてます。周りがリラックスしていると自分もリラックスできますよね。
皆さんにとって、リラックスしている感覚はどのような感覚ですか?
私は自然の中に同化し、自然と共存しているような感覚がリラックスしている感覚です。
自然の中に自分がいる。自然の中にただ自分が存在しているだけ。無思考。まさに植物になったかのような感覚。「無」なんですよね。瞬間的に全てがどうでもよくなる無我の境地です。これが私にとってのリラックスしている感覚です。
私のリラックス状態は「自然」と「自分」が瞬間的に一体化したかの様に表現してますが、本来は人間も一元的に「自然」であり、常態的に一体化しているという考え方が正しいです。
地球上のすべての生物は、一つの共通祖先生物から進化したという前提だと、イヌ、虫、植物、人間といったあらゆる生命に共通祖先生物が存在し、人間も生命の進化という自然現象の賜物の一つに過ぎないです。つまり、本来は人間も自然なのです。
改めて考えると壮大ですよね(笑)あらゆる生命の尊さを感じざるを得ないです(笑)
ただ、人間は進化の過程で「知性」をたまたま手に入れてしまったばかり、文明を発展させ、文化を発展させ、技術を発展させ、便利な世の中に発展させて来ました。そしてこれからも便利になっていくことでしょう。
一方、便利になればなるほど自然から離れていきます。ここに矛盾が生じているように見えます。
人類は良かれと思い、便利な世の中に発展させて来たわけですし、それを現代の人間が引き継いで享受しながら、また更に発展させて行きます。しかし、発展するにつれて、人間本来の自然性から自ら離れている矛盾が生じています。
これが良いか悪いかは横に置いといて、誰が何と言おうと、本来は人間も自然なのです。
私は冒頭に「自然と同化し、共存しているような感覚がリラックスしている感覚」と述べましたが、そもそもは、リラックスもくそもないのです。何故なら人間にそもそも備わっている自然性に回帰したに過ぎない為です。本来は当り前のことなのです。仮に原始人が稲毛海岸に来たら、私が定義するリラックスという感覚を覚えないかもしれません。何故なら原始人にとって自然との同化は当たり前のことである為です。
では、なぜ私は稲毛海岸に来ると、リラックスの感覚を覚えるのか。それは普段、私は自然と同化していない為です。一日の大半はパソコンで仕事をしたり、家でテレビやYouTubeを観たり、スマホをいじったりしてます。自然と触れ合う時間がほぼないです。その為、稲毛海岸に来ると本来の人間としての自然性を取り戻し、身体がリラックスしていると錯覚しているのです。
人間は自然。
つい忘れがちですが、この視座は非常に重要だと思います。
現代社会で常態的に自然と一体化する事は難しいですが、たまには海、山、川などの自然に足を運んだり、デジタルデトックスを意識したり、原点回帰すると身体は本来の姿を取り戻して、喜びます。
なんか疲れたなーと思ったらとりあえず本来の自然に還りましょう。
以上、稲毛海岸でテレワークして思った事でした。