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周回遅れの人生を吐き出す2

(文体の乱れがあります。お気を付けください)
僕は18の春、小倉の地に降り立ちました。
別に旅行とかじゃない。「収監」されるためです。九州圏、あるいは関西圏の人も聞いたことあるかもしれません。受験界のアルカトラズに僕は入ることになりました。
LCCの安っぽい機体の振動を感じながら小倉の地に降り立ち、隣のマンションと比べて見るからにボロく吹けば飛ぶような寮に入寮しました。しかも寮の規則で携帯電話どころか音楽プレーヤーすら持ち込み禁止で一切のインターネット接続機器が断たれてしまった。結果的にはよかったのかもしれないが正直これは堪えた。
きつかった。現実逃避先がなくなりました。
その当時僕は64GBのiPod touchに40GBくらい音楽を入れて四六時中聞いていました。junk のpodcastはテレビでバラエティーを見れない代わりになっていました。それが断たれてしまいした。
ですがそれはほかの寮生も同じ。なのでいわゆる普通の中学生くらいになった気分でした。寝る前の10分や風呂に入るときにバカ騒ぎをしました。うまいラーメン屋を探して月1の休日にみんなで食った。数少ない休日に朝飯だけ食べて門限まで友人とボーダーブレイクをやった。その日の昼飯は80円のパン詰め合わせだった。朝飯食べるのに食堂に並んで寮から予備校まで競争して着く時間を競った。選択した授業でどこの席に座った子がかわいかったとかも話した。コンビニの青テープ本が通貨になって部屋チェックの時に禁制品を隠す手伝いすらした。
「先輩」もいました。彼らは経験者だから何を持ち込んでどう隠すかがわかってました。walkmanは直接CDからデータをぶち込めるからそれを持ち込んでツタヤで5枚借りてネカフェで入れてその日のうちに郵送で返したりしてました。同人誌も教えてもらいました。佐藤製菓さんだったと思う。商業単行本より薄かったから隠しやすかった。枕の下とかテキストの間とかに入れていました。青春時代の思い出、と言われたら自分はこの時代を上げると思う。

だがまあ今までさぼりまくった人間がそう簡単に変わるわけないわけで。2浪した。初めて酒とタバコの味を知った。
今にして思えばあの1年で漸く人間に近づいていった気がする。目標に向かって進むということを覚えたのだ。惜しかったと自分では思っていた。だからこそ本気で、ポーズじゃなく、悔しいと思った。
周りも悲喜こもごもで進学した奴、就職した奴、もう一年ってなった奴いろいろだった。自分の友人も受かり晴れて脱北し自由な姿を見せてきた。余計に火が付いた。自分が何やりたいかを明確にし、今までふんわりしていた志望校を明確にした。そしてあの講義や勉強量ならいける、と踏みもう一年やらせてもらえるよう頼み込んだ。その時受かってるとこが無いこともあり許可をもらえた。

条件付きで。

あの予備校には医進専門の予備校がある。そこに通うことだった。まあ同じ系列だし講義もそんなに変わらんやろ。そう思っていた。だが自分は完全に忘れていた。あの「先輩」たちはほとんどそこの生徒であることを。

正直に感じたことを言おう。あそこは私立の医学部であればどこかしらはひっかるだろう。だが国立はよっぽどうまくやらないと厳しい気がする。それくらい開きがある。足りないんじゃなくてずれを感じた。ここにいてはだめだ。本能で感じたことなので説明するのが難しかった。GWあたりに三者面談があった。戻りたいと懇願した。自然と涙が出た。なぜかわからない。だが泣いて元々医学部に入ることなんて本当に考えていなかったし医者になんてなりたくなかった。医者になるくらいなら就職したほうがましだ。ほんとにこう言った。

それが功を奏したのかどうかわからないが2学期から通常コースに戻った。もちろん同寮のやつにはいじられたし講師には驚かれた。だがそれも1ヵ月くらいしたら収まった。そんなことを気にしているなら勉強する。そういう環境だった。そしてその年の受験を終えた。

結論から言うと僕は第一志望に受かった。受験の帰りにこれはいけた、という感触があったから学生寮の申し込みまでしていた。その日も割とのんびりと後期の準備をしていた。合格発表の時間になりパソコンの電源を入れた。受かっていた。これで夢のキャンパスライフを送れる。サークル、バイト、恋愛に試験勉強。いままで夢見てきた世界がそこにある。そう思った。

しかしこれはぬか喜びに終わった。

親がここだけは受けてくれ、ここを受けることを学長に言ってしまったから、という学校に受かっていたのだ。受かってしまったのだ。

ご想像の通り医学部医学科。しかも私立。僕としては受けるときにここ受かっても行く気ないしもし通わされても1~2年で辞めるよ、とずっと言っていたがどうやら冗談だと思ってたらしく第一志望のほうの入学金やら学費やらを出さない、というかもう私立のほうに入学金は払ったと宣言してきやがった。しかも最悪なのがその当時から母親がはまっていた風水の有名な先生も両親の味方をしてきた。こんな大勢の大人にようやく地に足のついたひよっこが口で叶うわけない。僕はあきらめた。あきらめてしまった。だがある一つの思いが胸の中に生まれた。自分にもこんな感情があることをはじめて知った。正直自分は喜怒哀楽の真ん中抜いて喜楽しかないと思っていた。

その日初めて僕は憎悪という感情を抱いた。(続く)






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