いのちを繋ぐ
『THECOACHアドベントカレンダー2023夏
星座 〜人生の点と線〜』
という企画に寄せて。
今回のテーマを知ったとき、真っ先に浮かんだのが「家族」だった。
点と点を繋ぎ、線になる。
それぞれの時点での出来事が、いつの間にか繋がっている。
そんな経験を重ねてきた。
なにかが違う
参加の意思表明をしたとき、とってもワクワクしていた。
今回は何を書こうかなと楽しみにしていた。
だが、途中から質感が変わってきた。
自分の順番が近くなってきた。
少しずつ書き始めよう思ったとき、なにも浮かばなかった。
浮かばないのは仕方ないと、書くことを手放した。
わたしにとって、noteを書くことは思考整理だ。
書きたいと思った出来事に対して、掘り下げていく。
ある程度ゴールが見えてきたものの道筋を明らかにして、ゴールをより色濃くさせる。
数日前に書き終えて、自分が納得のいくかたち整えて、投稿していた。
数日前になり、いよいよ焦る。
修正する時間がないどころか、書き終える自信もない。
最近のわたしはギリギリまで動けないでいる。
行動の先に想像しうる悪い結果ばかり目に浮かぶ。
何が起きているんだろう?
なにに引き留められているのだろう?
もしくは、留まっていたいのだろうか?
心当たりを挙げてみたけれど、納得のいくものには辿り着けなかった。
そうして迎えた今日。
noteはほとんど白紙。
さて、どうしようか。
そわそわと落ち着かなさを感じつつも、どこかどうにかなるだろうと思っている自分もいる。
なにはともあれ、このバトンを止める訳にはいかない。
書けないいま。
無理矢理にでも生み出すことに、きっと意味がある。
わからないままでもいい。
それがいまのわたしなのだから。
どこに辿り着くかわからないが、書き進めていくことにしよう。
家族ってなに?
ここ数年向き合い続けているテーマ。
きっと人生を通して向き合い続けていくんだろうなと思う。
わたしにとって家族とは?
わたしを創り上げてきたもの
自分の家族が居なければ、今のわたしも居ない。
そんなわかりきったことを、わたしは受け入れられずにいた。
受け入れられていないことに気づいてすらいなかった。
実家で過ごした日々。
どこか落ち着きのなさを感じていた。
「わたしは、ここに居ていいのかな」
とぼんやり感じていた。
無意識のうちに、家族の顔色を伺い、自分の振る舞いを変えていた。
いろんなことがあった。
その中で自分は、家族を明るく照らしていたいとずっと願っていた。
自分が擦り減っていることも知らずに。
わたしの家族。
母、兄、祖父、祖母。
両親は幼少期に離婚している。
父親の顔は覚えていない。
わたしにとって父親はいない存在だった。
いないことが自然すぎて疑いもしなかった。
ゲシュタルト療法
はじめてゲシュタルト療法に出会ったのは今年の3月。
THECOACH主催、ファシリテーターはヒロさん。
好奇心に呼ばれてワークショップに参加した。
セッションを見守り、ときに役の一人として加わった。
ひとの生きる力、場のエネルギーを感じた。
6月にゲシュタルト×家族療法に参加した。
ARUKUKI主催、ファシリテーターはヒロさん。今回はクライアントの機会もいただいた。
セッションを受けたあと、不思議な感覚だった。
自分に起きていることなのに、どこか夢のようでひとごとだった。
家族の出来事をテーマにセッションをした。
父、母、兄
それぞれの場所をレジャーシートで示し、自分が場を行き来しながら、それぞれで感じることを言語化した。
場所を変わるごとに、感覚が変化していく。
はじめての体験だった。
「なにを感じる?」
この問いでセッションが進んでいく。
問いの真髄を感じた。
感覚を言葉にしてはじめて、自分が抱いていた感情を知る。
いや、その時点では思考を通していない。
ただ「あるもの」として、場に置いていった。
兄。
頼りにしていた兄。
いつからか、わたししか兄を理解できないと思っていた。
わかるなんて言わせないとも思っていた。
わたしたち兄妹は、ふたりで現実と戦ってきた。
いや、兄が守ってくれていた。
わたしはいつも、兄の後ろに隠れていた。
安全な場を与えられていた。
それが、急にひとりになった。
表に立たざるを得なくなった。
「わたしがどうにかしなきゃ」
こだまし続けていた言葉。
それは恐れからくるもので。
消えないで
そう願っていた。
置いていかないで
そう強く願っていた。
恐れている未来が現実にならないことを祈る一方で、
「こんなもんじゃないよね」と言うわたしもいた。
母。
かつて、世界の中心だった母。
いつからか、飲み込み続けていた言葉たち。
言っても伝わらないと諦めていた。
対峙して、止めどなく言葉が溢れてきた。
あのときぶつけられなかった言葉たち。
強い言葉を投げつけた。
激しい怒りに支配される。
憤り、悔しさ、軽蔑。
様々な感情が渦のように湧き出てきた。
レジャーシートには、はっきりと母が座っていた。
わたしはもう、母という存在を必要としてはいなかった。
悔しくてやるせなくて、涙が止まらなかった。
もう、全てが遅すぎた。
わたしは、強くなりすぎた。
父。
確かにいたはずなのに。
いつからか、存在を消していた。
父の場所を示すように言われたとき、戸惑った。
「居ない存在をどう示したらいい?」
苦し紛れに思いついた場所は、兄の後ろの方だった。
参加者に父親役を担ってもらった。
はじめて父と対峙した。
どうしていいか、わからなかった。
はじめは顔を見ることすらままならなかった。
徐々に視線を合わせると、感情が押し寄せてきた。
怒り、非難、不信感、諦め、虚しさ…
様々な感情がごちゃまぜになって、堰を切ったように出てきた。
一度出てきたら、止められない。
ひたすらに吐き出したあと、伝えた言葉。
「わたしたちには、あなたが必要だった」
居ないはずだった、居なかった。
なのに、必要としていた。
父を呼んで、存在を確かめた。
気付いたら、子供のように声を出して泣いていた。
「頑張ったよ」って、伝えた。
「頑張ったね」って、返ってきた。
とても、あたたかかった。
父は存在していた。
見ないようにしていたもの
自分に厳しい言葉をかけ続けていた。
自分で自分に「頑張った」と言葉をかけても、もうひとりの自分が「大した事ないじゃん」と言っていた。
自分で自分を認められなかった。
父の存在を認められていなかった。
自分の存在を半分認められていなかった。
実体のないまま、魂だけが漂っていた。
「家族の中のわたし」という役割を着れば、実体のある「わたし」として存在できていた。
常に、何かしらの役割を着ていた。
漂わないように着込んだそれらは、鎧のようで。
とても、窮屈だった。
ずっと、鎧を脱ぎたかった。
でも、脱いでしまったら、そこにいる価値がなくなる。
だから、脱げなかった。
脱いだら、消えてしまう。
「お前はなぜ、生きている」
そんな言葉がこだましていた。
鎧を着込むことで、生きる意味が見えてくると思っていた。
鎧は呪いだ。
着込めば着込むほど、重くなる。
でも、着ている本人は慣れてしまう。
脱ぐときがわからなくなる。
それが自分だと思い込む。
もう、たくさんだ。
ここにいる
父は存在している。
父と母の遺伝子を継ぐわたしも、確かに存在している。
存在を認められたとき、やっと自分の輪郭が見えてきた。
「鎧を脱いでも大丈夫」
そんな声が聞こえた。
鎧を脱いだわたしは、どこへ行く?
たくさんの自然がある場所へ出かけたい。
ふわふわと漂って、心の赴くままに動きたい。
ときに、台風が来ることもあるかもしれない。
強風に煽られたり、雷に打たれることもあるかもしれない。
ずっと穏やかなお天気では、つまらないかも。
なんて。
過ごしやすいに越したことはないけれど、ずっとその景色では、いつか慣れてしまう。
荒波に揉まれることも、人生の彩りになるのだと思いたい。
雨のあとに虹がかかるように、大変な状況を通り抜けたからこそ、見える景色もあるのだろう。
鎧を脱いた状態だからこそ、景色がクリアにみえるのだ。
彩に溢れた世界を、わたしは旅していく。
繋ぐ
家族の繋がりがあって、いまのわたしがいる。
父の遺伝子を継いでいることが、苦痛でしかなかった。
でも、父には父の事情がある。
この人生を選択をした背景がある。
父の存在がなければ、いまのわたしにはなり得ない。
そう考えることで、激しい感情が収まっていった。
父の人生を知りたいと思った。
母の人生も、知りたいと思った。
ひとりでは家族になれない。
個という点と点が繋がって家族という線になる。
家族の中の役割があるが、その前に、ひとりのひとと関わっているのだということを忘れずにいたい。
その先には家族以外のたくさんの人との関わりが生まれる。
ひとは、ひとりでは生きていけない。
ひとりで生きていこうとしていたわたしに、
「もう十分だよ」
って伝えたい。
ひとりで生きていくことをやめた。
急には難しいかもしれないが、薄めていきたい。
そして、ひととの繋がりを創っていきたい。
差し伸べてくれた手を、振り払うことなく。
共に、歩んでいけるように。
たくさんのひととの繋がりを経て、わたしはいまを生きている。
これからも、わたしを、生きていく。
あとがき
書き始めの焦燥感は少し落ち着いた。
なんとかなった。
1日で書き上げられるんだなという自信にもなった。
まーさん、りみさん
今回も素敵な企画をありがとうございました!
読んでくださった方々、ありがとうございます。
皆さまの物語も楽しみにしています。