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東京グランドキャバレー物語★17 感動秘話 買えない運動靴

 この話しは、誰やかれや構わず話す事はない、とっておきの私の物語である。この話しをし始めると、ある種のお客様は必ずと言って良いほど目を潤ませる。
 例えば、自分で事業を起こし、苦労に苦労を重ね現在の栄光を掴み取った社長さんや、何代も続いて来た老舗の店があわや、自分の代で傾きそうになったのを命をかけるが如く、知恵と信念で立て直したと自負している、そんな難関辛苦を味わった店のあるじ向け限定の話しである。
 成長している子供の足は、すぐに大きくなってしまうので、5000円の靴を買うのは、もったいないので980円の布製の靴にするしか選択の余地はないと言う、それだけの話しなのだが。

「子供の足って、本当に早く大きくなってしまうので、ぴったりしたサイズの靴を買うと、すぐにダメになってしまうんですよね。だから、高い靴は買えないんです」
「えぇ!買えない?]
 お客様は、買えないと言う言葉に、まずは、ひどく驚く。
「いえ、買わないんです」
 と私が否定しても、お客様は、どんどん自身の考えを構築し始める。

 買わない=我慢をする=我慢するほど買えない。
買えない=お金がない→子供の靴が買えない→5000円の物が買えない→980円の布製しか買えない→苦労しているホステス→目の前にいる可愛い福ちゃんと、こうなる。最後は、私の憶測ですが。

「あんたも苦労してるんだね」
「えぇ、まぁ」
 苦労したから今がある、努力は人の何十倍と言う意識を持つお客様との会話は弾みやすい。就活で私も苦労し一応は努力を重ねた。
 
「自分は良くやってきたよ。あの時代、日本は高度成長期で、日本人の誰もが上を目指していたんだ。競争社会の渦の中にいたね。町には詐欺師もいたし。誰も信用など出来なかった!」
 社長さんは、氷の浮かんだグラスを大事そうに持ち、口の中に味わうように流し込むと熱く語り続けた。
「金がなかったから好きな酒とか、飲みたくても飲めなかったんだ!俺は絶対に、自分の力で好きな酒を飲めるぐらいになってやると、心に誓ったもんさ」
「そうなんですか」
 私は大きく頷く。

「指を見せてごらん」
 芋焼酎を飲みながら、お客様の社長さんは、ごつい私の指を見ると涙が出ると言うのであった。他のホステスさんのマニュキアが似合う白魚の指とは真逆な福の指は、そんなに心を打たせるのだろうか。
 福の太い指を見ると、畑を耕していた母の姿が瞼に映し出されると言うのだ。テーブルの下に指を隠す。

 昔、食べ物がない時代でも、寒い夜は温かいすいとんや、白い米の握り飯を作って待っていてくれた母。自分は、親孝行が出来ただろうか。
 あの頃の母親と目の前のホステスが、どんどん重なって行く。
どうにかして、亡き母への親孝行をしたい気持ちになる社長さん。

「福ちゃん、頑張って生きるんだよ」
「はい。頑張ります」
 おもむろに社長さんは、私の手に諭吉さんを握らせる。

「えぇ!嬉しい。有り難うございます」
「これでね、子供さんと美味しい物を食べなさい。それから、運動靴は良い物を買ってあげなさいよ」
 それから何人もの社長さんは、私の太いお客様になっていった。

「福ちゃん、指を見せてごらん」
毎回、社長さんは挨拶代わりにそう言いながら、福の指ジッと見る。
そして、必ず安心したように苦労しているんだね、と言うのであった。

            つづく