【自作小説】クロッカスの舞う夜に。#8
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昨晩過ごした、夢のような時間を帰宅してからも頭の中で再生する。何より、私だけが彼を好きなのではなく、彼も私のことが好き。カップルとして付き合うことが出来たのに、まだ実感が湧かない。学生の恋愛とは別で、キラキラした時間よりも安定した関係を築ければ、それが幸せだと思った。
先程彼から電話で連絡があった。
「昨日はありがとう。改めてよろしくお願いします」
「こちらこそありがとう。こちらこそお願いします」と、お互いにわざと丁寧な口調で言い合う。
「誕生日に出張って話したけどさ、一週間先延ばしになったんだよね」
「ほんとに?もしかして会えたりする?」
「その、もしかしてだよ。会おう」
「やった。嬉しい」
ということがあり、奇跡的に彼の誕生日に会える事になった。昨晩一軒目に選んだ昭和感の漂う居酒屋を、彼は思いの外気に入ったようで、誕生日当日もそこに行きたいと言う。誕生日はお洒落なお店という固定概念があったが、彼が行きたいと言うのなら喜んで選ぶ。実際私もかなり気に入っているので問題はない。居酒屋へ電話をし、15日の18時から2名で念のため予約を取った。
11月15日誕生日当日を迎え、私たちはお昼頃に玄野巣駅に集まった。
「気を遣わせてしまうから誕生日プレゼントは大丈夫だよ」と言われていたので、予め用意はしていなかった。駅ビルでのウィンドウショッピングを終え、遅めの昼食と休憩を兼ねてカフェへ入った。
誕生日のせめてものプレゼンントとして、今日1日のお会計は私が持つことで話がまとまった。休憩がてら入ったカフェで、1時間半ほど過ごした後、まだ少し時間があったので遠回りして居酒屋に向かう事にした。
空はすっかり暗くなり、カラッと乾いた冷気が肌に刺さるのが痛い。自然と横を歩く彼との距離も近くなる。
「来週の出張ってどこに行くの?」
「伊豆まで行かなきゃいけないんだ。会食があるだけだから、正直旅行みたいな感じなんだけどね」
「仕事だけど伊豆に行くの羨ましいなー。向こうで飲みすぎないようにね」
大学生の頃に、当時付き合っていた男性と行ったきりだったので、その時の記憶が何となく蘇る。「伊豆は何年も行ってないなぁ」とそれ以上話を広げる事なく終わらせた。
本来なら15分で居酒屋に到着するところを、40分かけて歩いたおかげで予約時間の10分前に着くことが出来た。週末で賑わう店内の、狭い椅子の間を通り抜けて、店の奥の席へ案内された。
2時間ほど滞在し、私たちはこの店を後にした(もちろんこの居酒屋での会計も私が支払った)。
時刻はまだ20時過ぎと、解散には少し早かったので2件目に行くつもりだったのだが、途中で彼の携帯電話に電話が掛かってきた。声の聞こえない距離にいた彼が5分ほど誰かと話して戻ってくる。
「誰からだったの?」
「実家の母親からでさ、父親が体調崩しちゃったみたいで今から来れないかって」
「それは大変じゃん。行ってあげた方がいいよ。私のことは気にしないで大丈夫だから」
「せっかく会ってるから申し訳ないけど、そうさせてもらうね」
「うんん、気にしないで。また落ち着いたら会おう」
彼の親が体調を崩してしまったというのなら仕方がない。今いる玄野巣からもさほど遠くないようなので、家に帰らず直接向かうらしい。
乗る電車の路線は別々だったので、駅の改札までは送る事にした。
「お父さんのこと心配だけど、気を付けてね」
「ありがとう、落ち着いたらすぐ連絡するから。気を付けて帰ってね」そう言うと、彼は小走りで改札を抜け、銀川線の上り電車のホームへと駆けて行った。
家族が体調を崩し、途中で解散する事になった翌日の昼過ぎ、彼から電話があった。
「昨日はごめんね。父さんなんだけど、母親が大袈裟に心配しちゃっただけみたいで。全然元気だったし、何ともなかったよ」
「そうだったんだ、元気ならよかった。せっかく実家に帰ったんだしゆっくりしてきな」
「ありがとう。そうするね」
今週末の土日、彼は伊豆へ出張に出てしまうのでしばらく会えないことになった。長く続くカップルは高頻度で会わないというのを、勤めているローテ出版の恋愛コラムか何かで読んだ記憶がある。私自身も大きく新たな仕事を抱えているため、お互い丁度良いかもしれない。
自分では感じないのだが、同僚の女性社員から「最近なんだか雰囲気が変わったね」と言われる。嫌いな上司からの、今までなら癇に障っていた言葉も、ほとんど気にならなくなった。恋愛による私生活への良い影響が大きく、日々が充実しているのをとても感じている。
#1 はこちら
自作小説「クロッカスの舞う夜に。」の連載
眠れない夜のお供に、是非。
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