【自作小説】クロッカスの舞う夜に。#7
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お酒と共に会話も弾み、時刻は18時半をさしている。早い時間から呑み始めていたため、滞在時間の割にはまだ時間には余裕がある。店内を見回すと、これから乾杯を始めるようなテーブルが多い。私たちが入店した頃には騒がしさというものは感じられなかったが、半分以上の席が埋まっている現在は、雰囲気が違う。
「弥生ちゃん結構飲めるんだねー」
「えへへ、実は飲んじゃうんです」とは言ったものの、かなり酔いが回っている事は自覚している。相手にはそれを悟られまいと、ババ抜きの最後の2枚のように平然を保つ。
「この後空いていたら、この間のスペイン料理のお店行かない?」
「もちろん行きましょう!お腹は一杯だから、お酒しか飲めないけど」
この間のスペイン料理のお店とは、私たちが出会った日の夜に行ったお店の事だろうと解釈し、勿論のこと承諾した料理だけでなく、お酒も美味しかったので、再び行くことができて嬉しい。
お会計の4,650円の内、4,000円を彼が支払い、端数の650円を私が支払った。男性は女性に奢る、という風潮が善とされているが、私にはそれが少し苦手だった。男性側からすると、そんな気は無いのかもしれないが、奢られてしまうと申し訳なさや、関係に若干でも上下が出来る可能性があるのが昔から苦手だった。それを会話から何となく察してくれた彼は、自然な流れで会計をこのようにしてくれた。
店を出ると空はすっかり暗くなっているが、繁華街特有の街明かりで空に黒さを感じない。眠らない街という言葉がまさに、この玄野巣駅周辺の繁華街を表している。
先程までいた居酒屋から例のお店まで10分ほど歩く。お店へ向かう道中でも、彼との会話が尽きることは無かったため、10分という時間を感じさせなかった。11月の寒さが普段なら肌に刺さるが、アルコールが入り少し火照った肌には心地よい。
お店に到着すると、前回と同様店内は賑わいを見せていた。唯一空席だったテーブル席へ案内され、彼は名前の分からないカクテルを頼み、私もそれを真似て同じものを注文した。
「バレちゃう前に言っておくんだけど、いつき君が今頼んだカクテル知らないの。かっこよくて真似ちゃったの」周りに見栄を張ったことを気づかれないようそっと伝えた。
「なんだ、聞いてくれればどんなお酒か教えたのに」とダージリンクーラーが、紅茶とフランポワーズのリキュールを、ジンジャーエールで割ったカクテルだよと教えてくれた。フランポワーズがよく分からなかったが、「そういうことね」と理解した顔をして誤魔化した。
ロンググラスに注がれたダージリンクーラーが運ばれ、初めて本当に紅茶の色をしているのだと知った。感心しているのが表情に出てしまっていたのか優しく笑っている彼と、グラスを傾けて乾杯をした——あと何を話したのだろうか。酔いで記憶を無くしていた訳ではない。何を話していたか、鮮明に覚えている。多少なりとも、お酒の力は借りてしまったのだが、私は彼に向かって確かに「いつき君のことが好き」と口走ってしまっていた。意志とは別に口から出てしまったことへの衝撃で、一瞬記憶が無くなったような感覚になったのだろう。
「弥生ちゃん…?本当に?」彼が目を丸くしてこちらを見る。当然だ。
「ごめんね、いきなり。お酒の力少し借りちゃったけど、本心だよ。初めて会ったあの日に、一目惚れって言うのかな」恥ずかしさを誤魔化すよう、明らかに口数と身振りが多くなっている。
「忘れてって言ったら嘘になるけど、忘れてください」と話を逸らそうとしてしまっている。店内に飾られている、大きな時計に目を逸らすと秒針がいつもより遅く、それよりもむしろ、動いていないように感じた。
少しの間も心臓に刺さるように感じるが、実際には3秒と経っていないだろう。
「実は僕も弥生ちゃんの事は気になっていて。好きって事なのかな」彼の口から予想もしない言葉が、私の耳に届く。嘘のような、あまりに現実とは思えないことに、むしろ意識が鮮明としてくる。
「じゃあ今度は僕の番。僕と付き合ってください」真っ直ぐな目で、私に気持ちを伝えてくれた。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」私もそれに応えるように、真っ直ぐな目で答えた。
男女の交際において、日本では告白をするという通過儀礼のようなものがあるが、婚姻届のように形がある訳ではない。皆理解をしているのだが、これが日本の文化である。
付き合うための通過儀礼が終わり、複雑に強固に結ばれた緊張の糸が解ける。その後の会話は特段変わった事はなく、今まで通りの内容だった。違う種類のカクテルを一杯ずつ飲み、お店を後にした。
腕時計を見ると時刻は23時を丁度回っていた。終電車まではまだ一時間以上あるが、今までだと解散となる流れだ。お店を出たあたりで彼はそっと私の右手を握る。握るという表現よりも、優しく掴んでいるような、そんな触れ方をしている。駅までの道のりには、いくつも輝く建物が立ち並ぶ。お互い意識しない訳ではない。彼の歩く歩幅が少し狭くなり、言葉はなくとも私の意志を確認する。私の目線は彼の胸元を見て頷く代わりに、握っている彼の綺麗な左手をぎゅっと握り返す。
お互いが了解を得たところで、アッパーライトで照らされた入口の、独特な目隠しの為のような一枚の厚い壁の横から、心臓の高鳴りを感じながら足を踏み入れる。空室だけが光っているパネルの、306号室のボタンを選び、狭いエレベーターに乗る。開いた扉の前に他の客がいないことを願う。
306と書かれたサインランプが点滅している、無機質な部屋の扉を開き、改めて決心をして、煌びやかな別世界のような空間へ入った。
人並みに恋愛はしてきたつもりだ。だから、こういった場所に来たことはもちろんある。しかし何年ぶりだろうか。男性とのそういう行為も、しばらくない。私自身、欲が強い方では無いので気にもなっていなかったけれど、考えてみると二年前ほどしていない。それも相まって、現在の感情は複雑なものになっている。
「来てみたけど、なんだか緊張するね」と彼は少し耳を赤らめているのが、間接照明に照らされてよく分かる。
「うん…。少し照れる」相手に合わせたのではなく、私も緊張している。私も気を紛らわせるように、ベッドの枕が置いてある側の壁を見ながら「このさくらんぼの絵、大きすぎない?」などと、壁一面に描かれた大きな絵を見たままの情報で伝える。
「たしかに。こういう大胆な壁紙って、この場所だからこそ許されるよね」と、くだらない話を合わせてくれたおかげで、少しばかり気持ちが軽い。ベッドに腰掛けていた私の隣に、少し間を置いて座りながら話す。彼はこちらに体を向けながら、「気持ち、伝えてくれて嬉しい」と先程の絵の会話をした時とは、少し声のトーンを落として言う。
「いつき君もありがとう。お互い、何て言えばいいのかな」私がどう表現すればいいか口籠もっているのを遮るように、「お互い—お互いが好きってことだよね」とシンプルに、簡潔に表現してくれた。
「うん…。いつき君のことが好き」急に恥ずかしくなり、目線を足下へと向ける。私と彼とのわずかな間を無くすように、私を優しく自分の方へと抱き寄せる。私もそれを了承するように、体を委ねる。
そこから先は考えるよりも本能というのか、体が自然と動いていた。目の前には彼の顔が、お互いの鼻が触れそうな近さにある。彼の落ち着いた鼻息を、耳で聞くよりも肌で感じる。私は目を閉じ、彼から何か来てくれるのを待つ。相手が目を閉じていたかは分からない。私の首を後ろから抱えるようにしながら、彼の柔らかい唇が触れる。
それから5秒、10秒と経った。長くは続かず、息継ぎをするように一度、唇を離した。ゆっくりと目を開けると、彼も同じタイミングで目を開けたようで、目線が優しく重なった。クスッと笑顔を見せたので、私も同じように笑顔で返した。そしてもう一度、唇を重ね合わせ、今度は彼の舌が私の中へと入ってくる。「んっ」と吐息混じりの声を漏らしてしまい、私を抱き寄せる力が少し強くなる。彼の腰の辺りから抱きつくように、自分の腕を回す。そのまま私たちは強く抱き合った。
目を合わせた後の、二度目のキスも長くは続かず、再び息継ぎをするように中断された。
「シャワー、浴びてくる?」彼からそう提案されたが、私の後に浴室へ入られるのは気が引けたので、「先に入ってきて」と彼を先に浴室へと促した。
アメニティのバスローブを着て出てきた彼の髪の毛は、ドライヤーをする前の濡れた状態になっていて、普段に増して色気があった。「お待たせしました」と濡れた髪をバスタオルで拭きながら言う姿も良かった。
洗面台の横にある、ヘアオイルやボディクリームなどのアメニティを一通り手に持ち、脱衣場へと入った。
髪を切り、ドライヤーに費やす時間は3分の1と減った。しかし、せっかくなら良い状態のまま最初はこの後の行為に臨みたい。何より、すっぴんをまだ見せる勇気は無かったため、顔より下だけをいつもより入念に洗った。
ムダ毛がないことを確認し、浴室を出る。普段使わないボディソープの甘い匂いが、自分は今ラブホテルにいるということを感じさせる。
念のためと、見られても恥ずかしくのない下着を身に付けてきて正解だった。上下、下着だけを付けバスローブを着る。曇りガラスのこの扉を開けると彼が待っていて、先程の続きが始まる。そのことは私だけではなく、彼も同じ気持ちでいるはずだ。初めて降り立つ駅の改札を通る時のような、楽しみと不安が入り混じったような感情のまま、扉を押した。
彼が待つベッドへと行くと「おかえりなさい」とサービスで置かれていたペットボトルの水を渡してくれた。それを二口、口の中を潤すようにゆっくりと飲んだ。
今度は間を空けることなく彼の隣に座り、身を寄せた。何か合図があった訳ではない。気付いた時に彼の腕は、彼とは反対側の私の肩へ優しく回され、私も彼の腰の辺りへ手を回していた。数秒見つめ合い、唇を交わした。先程よりも長く、そして優しく。
舌の動きがぎこちなく、上手く合わなく感じていたのが、徐々に自然と絡ませている。頭の中が真っ新なキャンパスのように、何も感じられなくなり
ただただ気持ちいと言うのが今の感覚だった。
彼は私の首に回していた腕を、後頭部と腰の辺りに変え、ベッドへ優しく倒した。仰向けになった私は、彼の首にぶら下がっており、上から覗き込まれている様な状態になっている。恥ずかしさと嬉しさで自分の頬が紅潮している気がする。天井のダウンライトで影になっているため、彼の顔色までは確認できないが、きっと同じように頬を紅らめているだろう。身体中に巡る血液の音が、内から感じられるような気さえもしている。
私の右腰辺りにあるバスローブの紐を、彼はゆっくりと解く。そして左腰辺りでも結ばれている内側の紐へと手を伸ばす。その手を反射的に止め、「部屋、もう少し暗くしたい」と伝える。私の頭の上にある、スイッチによって照らされ方の異なる盤のどれかを押した。室内は完全に暗くはならず、かろうじて相手の顔が見える程度となった。暗くなったことを確認した後、解かれていない残りの紐をゆっくり解く。下着をつけていたが、彼の顔の下でゆっくりと露わになった私の胸元を見て、「可愛い下着だね」と褒めてくれた。
彼の着ているバスローブも脱がそうと、手探りで紐を探すがなかなか見つからず「私ばっかりずるい」と理由をつけて一度起き上がった。
結び目を解いていると、沈黙の無の間に耐え兼ねた彼が無邪気にキスをしてきた。1つ、2つと手早く解く。両手を彼の肩から腕、手首と下になぞらえる様にして、羽織っているだけの状態のものを脱がす。その最中もキスを止めることはなく。
口と口が重なり合っているまま、両腕が私の腋の下から抱くような姿勢を取る。手間取いながらブラジャーのホックを外す彼が、愛らしく感じた。ここでスムーズに外す事ができないと、行為に対する熱が冷めてしまうという女性もいるらしいが、片手で簡単に外される方が、女性慣れしている様に感じてしまいそうだ。
心を許した相手にしか見せることは無い、無防備に露わになってしまった私の胸を、始めは片手でなぞるように優しく包み込む。
「綺麗だね」と彼が告げる。
「ありがとう。でも恥ずかしいからあんまり見ないで」決して大きいとは言えないが、形にはそこそこ自信があった。褒めてくれたことも嬉しいが、だからと言って、まじまじと見られるのは恥ずかしい。
手で触れていたものが次第に彼の口へと変わる。思わず声とは言えない、反射的に吐息のようなものが漏れてしまう。
キスを交わしながら彼の左手は胸を触り、空いている右手が私の恥部へと伸びる。私のものとを隔てる1枚の布の上から触られ、すでに濡れてしまっているのが分かる。つまりは、彼もそのことを認識しているということだろう。その布の中へ彼の右手が入ってきて、直接恥部を弄る。私は全身の力が抜けて、もはや身を委ねるしかない。
この部屋に入ってきた時から、現実なのか夢なのか分からないでいた。登場人物に私も含まれる、何かのフィクションストーリーなのでは無いかと。ただそのフィクションのストーリーも、ずっと続けば良いのにと思う。
彼からの愛撫を一通り受け、「もう我慢できない」と私を今までよりも強く抱きしめる。私も心身共に、彼のモノを受け入れるコンディションは整っている。
体育座りのまま、上体を後ろへ倒したような姿勢で待つ私の足を、目線はこちらの顔に向けたまま広げる。
彼のモノが私の中へ何の隔たりもなく入ってくる。愛撫された時に力が抜けてしまった時とは比べ物にならないくらいに、全身に電流が流されたような衝撃が走る。思わず「あっ」と吐息混じりの声にならないような音が漏れる。
「痛くない?」と優しく私を気遣う彼に「うんん、大丈夫。気持ち良い」と伝える。
停車していた車がスピードに乗る時のように徐々に、徐々に、動かす腰が早くなる。動く腰が私の太ももにぶつかる度に、色のついた声を上げてしまう。この後も何度か体勢を変え、重なり合った。
動くたびに軋むベッドさえも、幸せの絶頂を迎える私たちの前では、ハーモニーとして奏でられていた。
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